詩 の 原 故 郷 を 求 め て
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株式会社コールサック社のグラデーション
「コールサック」日本の詩人
株式会社コールサック社の役立つスペーサー
●秋山泰則(あきやま やすのり)
株式会社コールサック社の役立つスペーサー
経歴
昭和十三年   九月、東京都浅草に生まれる。
昭和二十年   四月、長野県松本市近郊に疎開。以後、現在まで松本市に在住。
昭和三十二年  長野県立松本深志高校を中退。詩誌「WILL」発刊。
昭和三十四年  自営業を開始、現在に至る。
昭和四十年   長野県詩人協会新人賞受賞。詩集『流砂』刊行。詩展開催等現在まで活動を続ける。
昭和四十二年  長野県詩人協会幹事長。
昭和四十五年  長野県鮨商組合理事・監査役。
昭和四十八年  市民タイムス文芸欄「詩」の選者となる。
昭和六十年   鎌田小学校PTA会長。
昭和六十一年  松本市立信明中学校校歌を作詞。
昭和六十二年  鎌田中学校PTA会長、松本市PTA連合会会長。
         松本市議会議員に初当選。同市監査委員、議会運営委・教育民生委・経済環境委・決算特別委 各委員長他を歴任する。
昭和六十三年  高山植物等保護指導員に就任する。文芸講座(自分史)を開講。
         ぼんぼん青山様伝承保存会設立に参加。運動が実り「松本市」「長野県」の無形民俗文化財に指定される。同伝承保存会実行委員長。
平成三年    松本市公設地方卸売市場買出人組合組合長に就任。
平成十三年   文芸講座(現代詩)を開講。松本詩人会設立。詩誌『松本詩集』を刊行。
         第一回美ヶ原高原詩人祭を企画・開催(毎年開催)。
平成十五年   松本市議選・五期目に落選。
平成十六年   松本市文化芸術振興審議会会長に就任。
平成十七年   長野県自然観察インストラクターとなる。松本市子供を守る会を設立。
平成十八年   地球温暖化防止推進委員となる。
平成十九年   詩集『民衆の記憶』発刊。
株式会社コールサック社の役立つスペーサー
【詩の紹介】

母がうたう歌

若い頃の母が口ずさんでいた流行歌が
前触れも無く口を衝いて出ることがある
女であるがゆえの理不尽な仕打ちを
黙って耐えていた後に
放心したような姿で ふっとうたう

私は母の何もかもが好きであったが
とりわけ
女の悔しさをあらわす仕種は美しいと思った
その心情もさることながら
闘って敗れた姿には
宝石をばら撒いたような華やかさと
誰も近付くことのできない厳しさがあった

母がうたった歌をうたってみると
私の何処かで小さな光りが
群がって湧き出ようとしているのを感じる
その歌に見出した母の思いが伝わって来る
故郷を失った人間の哀しさと 流離うことの虚しさを
闘いながら教えてたのかもしれない
どんなに言い繕っても戦争が正しいわけは無いと


昼の星

日の丸一本振られるでなく
見送る人もいない出立が
俘囚の生活の始まりであった
武器を持たない兵士の闘いは
身を守るためにひたすら 逃げ回ることであった
前線の兵士は戦うべき敵をもっていたが
銃後の兵士は敵でないものと戦わなければならなかった

深い穴の底から空を見ると
昼でも星が見えるという
母はきっと沢山の星を見たことだろう
光を持たない黒い星と
深い穴の底でしか見る事ができないと言われる
真っ黒な太陽も見ただろう

命が惜しかったから逃げた
死にたく無いから故郷を出た
その引き換えに与えられたもの
これはいったい何なのだろう
燃えて死んでも東京に居ればよかった

山あいに大きくうねりながら消えていく
汽車の煙りを見ながら誓った事は
あの先へ どうしても帰らなければならないと言う
たった一つの事であった

 

戦死

従兄の肺病は 軍隊で無理をしたせいだといった
街の医者へ行く日には
私の家へ寄っていった
家の中へは入らず 縁側に腰をかけて
着物の中から 自分の茶碗をだした
母がその茶碗に白湯を注ぐ
従兄はそれをゆっくりと飲む
私が近付くと 近付いた分だけ離れた
母が近付いても やはり離れた
離れた分が従兄の愛で 離れた分の寂しさをこらえた事が
私達の愛であった

ほどなくして従兄は死んだ
少年兵の戦死であった
屍は国旗に包まれることもなく
敬礼して見送るものもなく 焼かれた

生きている限り私達は従兄を愛し
愛し続けなければならない
鳴咽の中から母の声が私の体に入ってきた

 

別れ

ボストンバックと言うものがあった
長方形の筒型の中心あたりに握り手のついた
布製の鞄である
中学校を卒業し
働きに行く為に故郷を出る者は
皆 申し合わせたようにボストンバックを持った
食べる物も 着替えも買ってやれない時代
あの大きな鞄に彼らは何を入れていったのだろう

ボストンバックを持つという事は
中学校を出た少年や少女達が
親に仕送りをする為に
郷里に別れを告げることであった
生きるための事だけをして生きてきた親達が
餞にしてやれた世間並みの事が
大きな鞄を買ってやることで
それが我が子の出世を願う形でもあった

幸せを探しに行く子供達は幼馴染ばかりで
駅のプラットホームで小さな塊になっていた
子供も大人も 後ろを向いている人も
泣いている人達はずっと一緒だった人ばかりだった
この子等が帰ってこれない事は誰もが知っていた
戦争が終って十年が経っていた
    (「COAL SACK」57号に掲載)

 

 

株式会社コールサック社の役立つスペーサー
●朝倉宏哉(あさくら こうや)
株式会社コールサック社の役立つスペーサー
1938年 岩手県生まれ
  県立水沢高校 早稲田大学第一文学部史学科卒
  NHKにて番組制作(1962〜1993年)
  NHK文化センターにて講座企画・運営(1994〜1999年)

  1973年 詩集「盲導犬」(崙書房)
  1975年 編書「日本の詩・石川啄木」(ほるぷ出版)
  1983年 詩集「カッコーが吃っている」(青磁社)
  1994年 詩集「フクロウの卵」(土曜美術社出版販売)
  1999年 詩集「満月の馬」(レアリテの会)
  2003年 詩集「獅子座流星群」(土曜美術出版販売)
  2006年 「乳粥」(コールサック社)

  日本現代詩人会 日本文芸家協会 岩手県詩人クラブ会員
  中国の歴史と文化を学ぶ会会員
  詩誌「舟」「回転木馬」「火山弾」同人

  現住所 〒262−0015 千葉市花見川区宮野木台3−17−10
  Tel&Fax043−256−561

株式会社コールサック社の役立つスペーサー
【詩の紹介】

ミイラと少女と二羽のスズメ

ウルムチの博物館で男のミイラを見た
千年以上前に栄えた高昌国の将軍だという
何かを掴んだ形で差し上げた右手
  (指揮棒を掴んでいた?)
あんぐりと開けた口
  (なかに玉(ぎょく)があった?)
指揮棒は朽ち果て
玉は盗掘されて無いという

ゴビ灘(たん)の高速道をトルファンに向かった
天山山脈南麓に広がる炎熱のオアシス
その郊外の高昌故城
ミイラの将軍が活躍した王国だ
玄奘がインドへの旅の途上歓待された城塞国だ

シルクロードのロマンというけれど
見渡すかぎりの日干し煉瓦の総崩れ
外城も内城も宮城も寺院も乾ききった廃墟
興亡の果ての滅びの様(さま)をむき出している惨状
火炎山を背景に怨念が赤い炎をあげている

ロバ車に乗って遺跡に入って行く
ウイグル族のかわいい少女が
極彩色の民族衣装を翻らせて追いかけてくる
オ母サンガ作ッタ帽子ト手提ゲ袋
安イカラ買ッテ!
ワタシノ名前ハ艾子提古麗(アズデイークレイ) 九歳
ほほ笑みながら巧みな日本語

ミイラの将軍からこの少女までの遙かな時間
指揮棒は風化して跡形もなく
  (空(くう)を握るミイラの手の形で残り)
副葬の玉は異教の墓盗人とともに消えて
  (将軍の口は叫びの形になり)
高昌故城は無数の物語(ストーリー)を封印している

王国の最も奥深いところの仏寺に着いた
ここだけが昔日の面影をとどめている
六二八年 若き玄奘はここで仏法を説いたのだ
観光ラクダが寝そべって千年の夢を貪っている
ロバは立ったまま瞑目して永遠に嘶かない

あ 将軍が何か叫んで右手を上げた
槍のような指揮棒の差す方を見ると
二羽のスズメが仏塔のてっぺんにとまっている
中央アジアに来て初めて見る野鳥だ
砂漠の廃墟でどのように生きているのだろう
スズメがチチチッ チチチッと鳴いた
少女がにこやかに踊りのポーズをとった

  「COALSACK」52号より

 

がんじがらめ

「生きて虜囚の辱めを受けず」
戦陣訓のわずか十二字のために
どれほどの日本人が無駄死にしたか
兵士ばかりではない
沖縄で 満州で 南方諸島で
何十万人もの老人婦女子が自ら命を絶った

言葉でがんじがらめにしたのは誰だ
「玉砕」とは何だ
「散華」とは何だ
むごたらしい死に方を讃美するように
言葉を虚飾したのは誰だ
玉が砕けるのではない
華が散るのではない
生きている人間の肉と血と骨と心が砕けて散るのだ

「一億総玉砕」「神州不滅」
矛盾するスローガンで
戦車や重機と戦うために
女学生にまで竹槍訓練をさせたのは誰だ
「飛行機を作る」と寺の鐘まで供出させ
「燃料にする」と松の根まで掘らせ
「欲しがりません 勝つまでは」と飢えた子供に言わせたのは誰だ
「弾丸(たま)に死すとも病いに死すな」と息子を戦場に送る母にしたのは誰だ
自分が鬼畜になっていながら「鬼畜米英」と叫び
「今に神風が吹いて必ず勝つ」と国中を狂信させたのは誰だ

言葉をねじ曲げるな
敗退を「転進」などと言うな
自爆を「特攻」などと言うな
台風を「神風」などと言うな
日本を「神国」などと言うな
天皇の声を「玉音」などと言うな

六十五年前
言葉をねじ曲げ
自らその呪縛にかかり
国民をがんじがらめにして
世界を相手に無謀な戦争に突入し
無数の人を殺し
無残の極みをもたらした

それは彼の祖父
いや もしかしたら それは君の父
いやいや もしかしたら それは私の祖父と父
かもしれない

  「COALSACK」54号より

 

ばんか

遅れてきた蝉の幼虫が眩暈(めまい)している朝
くっきりと深く暗いいっぽんの穴
徹夜で鳴き明かした虫たちの沈黙
朝顔の藍にむすぶ白露のきらめき

昨夜 別れてきた老詩人の詩の数々
シベリアのラーゲリの半世紀の悪夢
凍土に埋めた棍棒のような死者たち
埋め尽くせない兵士と俘虜の独り言

猛暑がつづいた夏の最後の朝の死
老詩人のデスマスクは絶叫の形相(かたち)
震撼せよ 酷寒の原野 人間の業(ごう)

朝顔の蔓にしがみついた蝉の羽化
死 それとも誕生 それとも転生
脱穀の上で鳴き始めよ正真の油蝉

 

株式会社コールサック社の役立つスペーサー
●亜久津歩(あくつ あゆむ)
株式会社コールサック社の役立つスペーサー

【経歴】
1981年4月  東京都生まれ
2000年3月  埼玉県立浦和西高等学校卒業
2004年3月  早稲田大学第二文学部卒業
2008年8月  詩誌「COAL SACK」61号、新鋭詩人特集にて10篇発表
2008年9月  『生活語詩二七六人集 山河編』最年少参加(詩2篇、章扉絵9点)
2008年11月 第一詩集『世界が君に死を赦すから』(コールサック社)発行
2009年3月  『大空襲三一〇人詩集』最年少参加(詩2篇、装画・装丁)
          NHK首都圏放送にて紹介される

現在は妹弟、愛犬3頭と埼玉県在住。ブックデザイナー。
パーカー×ジーンズ×スニーカーがトレードマーク。

【Blog】 「詩人で、装丁屋の、ブログ」 http://walkerwalking.blog63.fc2.com/
【Mail】 aa.walking@hotmail.co.jp

株式会社コールサック社の役立つスペーサー
【詩を紹介】
詩集『世界が君に死を赦すから』より

彼は空を飛びたかった

麻酔の切れた
風見鶏は
錆びついた羽で
取り戻したくて
逆回りを始める
けれど
優秀な風見鶏は
一度たりとも
選択肢を誤ったことは
なかったので
わからなかった
西なら西を
北東なら北東を
吹雪でも月蝕でも
正しいことを
正しいと思うことを
繰り返してきた
小鳥たちの囀りに
四季薫る風に聴き惚れながら
信じれば夢は叶うと
少しずつ近づいていると
軋む足を励ましながら

いくら回ってもとどかない空を仰いで。

 

無を内包する玉葱、一

黄緑色の丸い玉葱
古びた皮が剥がれて落ちた

玉葱はつるりと思った
ドコからドコまで自分なのかな

どんどんどんどん剥いてみたら
どんどんどんどん小さくなった

玉葱はぞわぞわしてきた
ドコまでいったら見つかるのかな

どんどんどんどん脱いでみたら
どんどんどんどん小さくなった

小さくなって
なくなった。

 

無を内包する玉葱、ニ

ココに小さな無が在った
無いのではなく無が在った
かつて玉葱だったもの

無はほろりと考えた
皮は自分であったが自分でなかった

一枚一枚、取り上げて
一枚一枚、見つめてみた

無はそろそろと思い出した
これらは与えられたもの
タマネギという名前さえ

坊主であった昔から
或いは更に以前から
気づけば着込んできた衣

一枚一枚、拾っては捨て
一枚一枚、選びなおした
今度は自分で創り始めた

借り物の皮は皆返し
余計な皮は皆捨てた

黄緑色の丸い玉葱
前より少し小さくなった

前より自分が好きになった。

 

無を内包する玉葱、三

黄緑色の丸い玉葱
風に揺られて陽を浴びて
疑うことなど何一つなく

玉葱は知らなかった
自分がユリ科の多年草なんて
玉葱は知らなかった
後でカレーにされるだなんて

そしてそんなことは
どうでもいいことなのだった。


手品の妙

ここに硝子の器があります

珈琲を、淹れました
それは「食器」になりました

水とメダカを、入れました
それは「水槽」になりました

百合を一輪、挿しました
それは「花瓶」になりました

いつかは
色褪せ
罅割れて
破片になると
知りながら
器は「名前」を求めていました
器は「意味」を求めていました
自分が自分であるために
ソンザイカチのあるように

硝子の器がありました

空のままでもうつくしい、

一つの器が、ありました。

 

 

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株式会社コールサック社の役立つスペーサー
●石川和広(いしかわ かずひろ)
株式会社コールサック社の役立つスペーサー
1974年生まれ大阪府在住 いじめにあったりと内気な子どもであった。
1996年大阪の片田舎の大学を卒業 詩作を開始。その後職を転々とする。
1999年から大阪文学学校にて一年間学ぶ。3年間知的障害者介護に従事し、世間知らずだったので、人は様々なストーリーをもっていることを実感。精神疾患にかかり現在リハビリ中。
一番好きな歌手は河島英五。
2005年 詩集『野原のデッサン』(草原詩社)出版

ホームページ 灰皿町富士見7番地
http://www.haizara.net/~shimirin/ishikawa/

株式会社コールサック社の役立つスペーサー
【詩の紹介】

白い息

背がとまってしまってから
もう何年もたって
ぼくはますます自分の存在の小ささを感じるのです
空を見れば、もっと
闇につつまれて、さらに
優しい人に会うと、うーんと
ぼくはこの小さな存在で
かろうじて息づいていることを感じます
まるで小さなかえるになったように

小さな葦がゆれている河原に立てば
とおくにゴミ処理場の煙突が白い煙を上げていますが
がんばって星をみるのです
星は大きいけど
目に見えるのは小さい光の粒
それらがつながって大きな家族をつくっているようです
星は魂と同じだから
ぼくが宇宙の絶対的孤独の中で
すごく小さな星になったら
大切な人や知らない人と抱きしめあって
星座になるのです
とてつもなく孤独だからこそ家族になれる
そんなことをけっこう本気で信じているのです

全ては幻だとしても
はかないことだとしても
そう思っていることは
ぼくにとって安心です

葦の河原から瞬間移動して
土の匂いがしてきます
生駒山がみえて
田んぼが並んでいて
ぼくのおじさんの小さな町工場がみえます
おじさんはもうおばさんとねむっているのでしょうか
不思議にこのあたりはなつかしく
星がさらにつよくざわめくようなのです

ぼくはそんなにからだの小さな男でも
大きい男でもありません
まあ中くらいです
中くらいで弟に背は負けるけれど
そんなぼくは根源的に小さな存在なのだと感じた今
色んなものが
やっと当たり前の大きさを取りもどしはじめて
ぼくはベットで目をつむりながら
ぼくに与えられた光と闇のことを
素直に感じます

小さい頃遊んだ冬の公園がみえてきました
人工的な沢があり
百舌が鋭く鳴いています
まだ人気のない朝
父親と歩いていて
ぼくは底知れず肩を落としたり
弟とじゃれあったりしています
そして
そこを走るぼくの白い息は
今ぼくのところまで届くようなのです

 

 

株式会社コールサック社の役立つスペーサー
●石村柳三(いしむら りゅうぞう)
株式会社コールサック社の役立つスペーサー
1944年 青森県北津軽に生まれる。
1962年 身延山高等学校卒業。
1967年 立正大学文学部史学科卒業。
2004年 『石橋湛山−信念を背負った言説』(高文堂出版社)を刊行。本書は《日本図書館協会選定図書》となる。
2005年 11月8日 「平成17年度 身延山大学公開講演会」から講演を依頼され、「自由主義者 石橋湛山」を語る。
2007年 詩論集『雨新者の詩想』(コールサック社)より刊行。

 僧侶になるべく仏教系の学校に学んでまもなく父が亡くなり、身延町波木井山円実寺にお世話になり、行学の二道に励む。毎日五時に起床するなど、躾は厳しかったが、住職夫妻の分け隔てない愛情に、育ての親の恩愛を知る。ふかい感謝が胸臆を離れない。
  東京池上から千葉県鎌ヶ谷市、市川市、千葉市に転居し落ち着く。この間、水書房編集部や日蓮宗新聞社編集部に記者として勤める。
  詩誌「光芒」同人。詩誌「COAL SACK」、その他にも寄稿。
千葉県詩人クラブ会員。立正大学国語国文学会会員。石橋湛山研究者。

株式会社コールサック社の役立つスペーサー
【詩論の紹介】

朝倉宏哉詩集『乳粥』を味わう   石村柳三
  ―時間と空間の彼方へ眼を向ける詩想の聲

 朝倉宏哉詩集『乳粥』が出版されて一ヶ月少々過ぎた十一月八日(水)、友人や詩 友による出版の祝いが、日本橋三井タワービル2F千疋屋フルーツパーラーメテール で午前十一時三十分から開かれた。二十名ほどの小じんまりとした楽しい出版記念会 であった。
  このお祝いの席上での『乳粥』への評価は、私の思っていた通りの高いものであっ た。
  なかでもこの詩人のあいさつを聞きながら、改めてリアルな眼と、ふかい思念と内在の感性から生まれた詩集であったことを知らされた。同時に謙遜と照れくさそうな 詩人の態度にも、やさしさのにじみでた感懐があった。
  ところで『乳粥』の詩集の大きなモチーフというか、一つの要となっているテーマ は、詩人の背負っている認識(思念)にある、想念の抱く根源のさけび、人間としての聲にあったと私は思っている。
  それは自らの自存してきた日常の生活や、それらを洞察し、これからの人生のあり ようとしての歩みに詩人の精神をみつめようとする。つまり自らの精神的内在をする 《旅》という彼方へ通底し、人間存在の聲を捉えようとしていることだ。
  具体的にいえば、この詩集の主流をなす勝れた作品は愛する家族や肉親、息子の滞 在していたアジア (インド含んで)への親近と理解、そのあこがれのあった《旅の経験》から生まれ、この詩人の思索から生まれいずるべくして詩想された作品群と申 し上げてもいい。
  表題作「乳粥」や「天池」「敦煌の町を歩く」また「この広い野原いっぱいの草」 「三本の樹」「ミイラと少女と二羽のスズメ」、もしくは「勝山号」「がんじがらめ」 「隠れびと」「微笑」などの力作が、詩人の詩心の絆から生まれたといえよう。就中、
「乳粥」「天池」「勝山号」は名詩編だと思っている。
 ちなみに作品の構成は・章に八編、・章に八編、・章にも八編という、計二四編が収録されている。それに心情あふれる味わいのある〔あとがき〕。
  この度の詩集に取り上げられた詩の作品は、今まで出版した五冊の詩集にあまり見られなかった《旅》を媒介しての時間(歴史)と空間に流れるアジアやインドの人びとのさけび、その風土に生きてきた人間性の沈黙、その精神をも汲み、その民族の情念の匂いを一行一行の作品に連ねていることだ。
  たとえばその底流には、朝倉宏哉という詩人の脈搏と胸臆につちかわれていた時間的、空間的な歴史観への眼。それに重なる仏教、とくに原始仏教への関心もあり、この詩集の詩想を豊かに興味ふかいものにしていることがうかがわれる。
  詩編「乳粥」について書かれた詩誌『COAL SACK』の小文によると、チベット仏 教に血脈する精神に興味をもち、その研究をしながら、これらの《旅》の詩編をつくっ たことが理解される。
  むろん知識や知性だけですぐれた詩編は生まれるものではなく、それを凝視し、問う、詩人の思念のふかさがなければ、深化され、転化された佳編の詩は出来ないであ ろう。
  それを問い、求める詩精神。もっと言い換えれば、そこに住み生きてきた人間の姿や、聲。地理的環境や風土のもつ聲を聴こうとしなければ、こうしたロマンとリアル の匂いする感情は表出できないかも知れない。
  とまれ、「乳粥」にうたわれるラマ僧とそれを慕う難民の祈り。中国の侵略と弾圧によって、国をのがれ、異国で耐えながら生活するチベット難民。そうした人びとをささえていたのは、ダライ・ラマに帰依するチベット仏教の信仰心であり、その信仰に伝わる心の自由であろうと思われる。やすらぎの魂かも知れないのだが。
  そういう人間のもつ純粋さを、この詩人は表白しているともいえよう。そうした詩語の詩行をランダムに引用してみよう。

 〈五月のある朝、北インド・ダラムサラの山上の寺院にチベッ ト人たちが続続と集まってきた(略)ラマ僧たちの野太く澄 んだ声明が境内に流れヒマラヤの雪の連峰 へと渡っていく〉

 〈この浄らかな静謐は何だろう(略)異国の旅人を引きつけるこの不思議な力〉

 〈二千五百年前 ブッダ・ゴータマは苦行のあとの衰弱した 躰を村の少女スジャーターがささける乳粥で癒し 菩提樹の 下で瞑想した(略)わたしは仏教の誕生物語に想いを馳せ  ……〉

 そうした「乳粥」で癒されたゴータマは仏陀となり悟りを開くことになった。この悟りの境地のなかに、時間と空間の心音を感受し、視つめ、人間というものの存在、あるいは自存を問う詩人がいる。
  そう生きている今を認識し、詩人朝倉宏哉は呼応し感応する。

  〈悠久の今を共有しながら乳粥を味わうかれらの眼前にヒマラヤが聳え立つ その彼方は失われた祖国 今も喘いでいる 同胞がいる〉

 「あなたもどうぞ」と信徒の一人が旅人の詩人に勧めた。旅人は器をもっていなかったが「お手を出しなさい」といった信徒の笑顔が菩薩のようにやさしかったという。 少年のラマ僧からの「乳粥」は詩人の手によそられ、見つめるこの「乳粥」はヒマラヤのようにまぶしかったというのだ。
  とくに〈菩薩のように微笑んだ〉詩行の美しさ。さらに〈わたしはまぶしさを口に入れた 温かかった 質素だった 喉元を通るとき かすかにスジャーターの乳粥の味がした〉

 何と質素で美しい光景であろう。その姿はヒマラヤの美しさに劣らぬ光景にあろうか。 終行の言葉は、 詩人がその 「乳粥」 の味をゴータマに献げた「少女スジャーターの味」だと表現する。
  ロマンと、その人間性のもつ美学の詩といってもいい。
  そこには仏教徒として生きている難民たちの人間的で、大切な呼応の生きかたのあり ようと風土の厳しい音色が流れ、伝わっているように共感される。
  ではもう一編私にとって語っておきたい作品は、「天池」。

 天山山脈のふところの天池のほとりに立ち
 七色のさざなみを眺めていたとき
 ふと湧いてきた想念があった

  ……人類が流した涙がここに溜まっている

 この〈人類が流した涙が〉の一行が、本詩集の詩人の想念の言葉だろう。私はあつくなるものを感じながら、やはりこの詩行を味読し想念する。
  時間と空間に消えつつ、消しえぬ歴史と風土の聲。そうした空間の時間は自由自在に捉えられ、詩人の詩想としてアジアとインドが美しく放散されている。その文化文明の歴史の悲劇の涙を共感させつつ。

 こうした詩人の心情のさけびの聲が、ありふれた思念としてではなく、現実をひく眼と歴史の認識の感性をもって詩語詩想されていることだ。特色の一つといっていい。
  朝倉宏哉という詩人の「今、立っている」境地がここに知られるものがある。そしてそれは大切なことでもある。
  ともあれ、こうした作品は誰にでも書けるものではない。人間を見つめ、歴史を見つめ、自然を見つめ、それらに語りかけ自問転化する、内在の力から生まれるものであるのかも知れないと私は考えている。
  詩集『乳粥』の詩人は、大学時代に「史学」を専攻し学んだというが、その眼が心情の底にあり流れていたと思われる。
  またもう一つ、私はここで是非語っておきたい詩編がある。「明日から来る今日」 の作品だ。鳴海英吉という詩人の三回忌の《墓参り》をモチーフにしたものだが、その詩行にある

 明日から来る
  今日がある
 その今日を
  生きていけば楽しい
        藤代聡麿
 
  この言葉が印象に残った。
  ここには「時間」と「空間」が、過去↓現在↓未来へだけ移るものではなく、今日は明日から、明日は昨日からという現在・過去・未来が自由自在に捉えられる思惟(認識)が暗示され、その眼にある大事さを教えられる。
  時間もしくは歴史観、空間に自在に巡る思惟の眼。そこに洞察する現存の眼。時間を固定して捉えるのではなく、自在観の思念の時間として問うことも、「生きる」ことには必要であろう。
  こうした考え方は余談ではあるが、道元の大著『正法眼蔵』に説かれる「時間論」にある。道元の「時間論」としても知られている。
  詩人にとっては、こういう詩想の「時間論」の把握や感性も重要であり、背負う大切さでもあろう。
  そのような意味というか、立場から、私はユニークな「明日から来る今日」の詩を評価している。
  さて紙幅のこともあり、最後にこの詩人の『乳粥』に対峙し、矜持していた姿勢というか、態度について一言申し上げておきたい。
  「二十一世紀初頭に生存する地球一市民として、何を拠り所に生きていけばよいのか」(あとがき)と。
  そこには詩人の自問自答する「思念」のさけびがあろう。そのような詩人として、人間としての姿勢がある。とおとい姿勢論として。
  少なくとも、そうした個としての自覚があればこそ、この第六詩集があり、詩人としての詩想の聲を放っているといえようか。
  もう一つ感受し、忘れてはならないのはこの詩人の来歴から述べられた「年輪と体験という五感」の大事をだ。この「年輪から流露する体験という感性」にこそ、求道的詩心を見つめる朝倉宏哉という詩人がアンテナを張り、立っていたのだ。詩人の凝視であり、思索思念年輪の歩みとして、力強さと美学をともなった詩群となってだ。
  そうしたこれらの詩語の一言(ひとこと)が、生の充実さへの言葉ともなり、さらには普遍性を連ねた精神へも通底する詩語ともなるのであろう。
  そういう詩精神というか、知的感情を内包しているのが詩集『乳粥』の味わいでもあろうか。
  なおすでに語ってあることだが、私が再度言っておきたいのは、時間と空間の彼方へ眼を向け、ロマンの香りと歴史の足音をつつんだ詩編は、リアルな心音とともに読む者の心情を捕らえるであろうということだ。
  詩人の背負わなければならぬ、《転化精神》の情熱と問う意識を意識を求めつつ−−。
  朝倉宏哉詩集『乳粥』は、かようなことを伝えてくれる詩心を流露している一冊である。

〈コールサック社/二〇〇六年九月三十日発行/二千百円(税込)

 

 

株式会社コールサック社の役立つスペーサー
●うおずみ千尋(うおずみ ちひろ)
株式会社コールサック社の役立つスペーサー

略歴
一九四四年福島県生まれ
著書・詩集『凌霄花』(一九九五年刊)
    詩集『犀川大橋』(一九九八年刊)
    詩集『形』(二〇〇〇年刊)
    詩集『憶』(二〇〇三年刊)
    詩集『牡丹雪幻想』(二〇〇七年刊)
所属・日本現代詩人会会員
    詩誌「衣」同人
    詩誌「COAL SACK」(石炭袋)に寄稿

株式会社コールサック社の役立つスペーサー
【詩の紹介】

シーラ カムイ

ぶな原生樹林の
ここはどの辺り?
道幅ひとり分
前と後ろ 手と手を繋ぎ
数珠のように連なって一足一足登って来た
わたしら
盲目の女たち

人生の途中
落ちてしまった閉塞の闇から
いま
しなやかに起ち上がって
そうよ 触れているの
確かに視ているのよ
わたしら それぞれの内を烈しく噴き上がりながら
天を覆い尽くしている 原生林

白神
シーラ カムイ
あなたの根元に堆積した長い長い歳月の喜怒哀楽に
きょう 更に
小さな失意と少しばかりの哀しみを積み重ね
静かに座すことが出来たから
不意に
誰かが祈るように吹き始めた篠笛の音色
胸に染みてくる
           (「COAL SACK」57号に掲載)


寒水仙

真冬の
刺すように吹きつける
海風に抗して群れ咲く
あの花が
見たいの

鈍色の
空の下
越前岬を染めて芳(かお)る花に埋もれたくて
貴女に託した
小さな希い

ひとり暮らしの部屋に
いま
水仙の香りが満ち満ちている
  したたかに
  そして 淑(しと)やかに
盲女性の会での講師の言葉が忘れられなくて
花瓶に活けた
貴女からの旅の贈り物

凛としているのに
しなやかに匂い立つ
その有りように 思わず頬を埋めると
遠い
北の海辺のうねりが轟いて来て
いつの間にか わたしも
風に抗して佇っている


二月の海

岩肌に体当たりして砕け散った波が
巨大な
白い掌のように伸びて
コートに包まって佇つ
私の足元に届きそうになる

北陸の
二月の海は
鉛色に垂れ込めた空の重圧に耐え
大きく呻きながら渦巻いて
そこに佇む者を
深い場所へ
還らせる

あれは
遠い記憶の冬の浜辺
走りに走って 立ち尽くした
白い砂丘の果ての
幻夢
逆巻く怒濤に深く傾斜してずぶ濡れていた
黒い
二つの墓標

迫り上がる白い波頭は
幾度も幾度も体当たりして
砕け
泡立ち沁みて
また
茫々の冬の海へと
戻って行く


 

株式会社コールサック社の役立つスペーサー
●海埜今日子(うみの・きょうこ)
株式会社コールサック社の役立つスペーサー

略歴
東京生まれ。
詩集『共振』(W ネット)、『季碑』『隣睦』(共に思潮社)、
詩誌『COAL SACKl』『hotel 』『すぴんくす』
『リタ』(http://www.t-net.ne.jp/~kirita/)他。
自分のことを書くのが苦手です。けれどもホームページ『大字豹』
( http://www.haizara.net/~kirita/umino)で5の日に日記を更新しています。詩の場所について、詩の際について、その周辺にまとわりつくようなことを、なるべく書いています。その場へ接近しようとするわたしが、まわりみちですが、プロフィールになるかもしれません。ご覧になってくださるとうれしいです。

株式会社コールサック社の役立つスペーサー
【詩の紹介】

百日紅

くれないをかたったひといきれのなか、風の夕映えがもとめられた。
うけいれてはわかたれてゆく、親密さが落ちていたような気がした
ので、ふりかえるのをやめてみる。いない羽が長くなり、くずれた
雲がわたるのだった。いそぐ男がいれかわり、たちかわり。きっか
けがつぶさにながめられていた。物売りめいたにおいもまた、ひと
けのなさからたゆたってくる、とかんじたのは錯覚でしたか? 衣
服のみだれをなおしながら、旅の目的をなげだす女がいた。百日紅
はあがなうようなまなざしで、夏をとむらっていたんです。忘却に
せきたてられ、嗅ぐようにして男を欲した。行方と方角がないまぜ
になり、接点のようにさそうから。夕暮れとは何時のことをさすの
でしょうね。うごかない日々を日記にちりばめ、地図をひろげる女
もいた。あて先不明のものがたりが、夜からぽっかりとうかびあが
り、男たちをふるわせる。うしなった重さがのしかかり、ちがうわ
かれをはぐくんでいた。そめたようなまがまがしさ、とある者は顔
をそむけ、べつのある者は旅装をとく。日録はたそがれにおもむき、
逢瀬をゆめ見ていたのかもしれなかった。地平線がここからではみ
えません、だから結末がわかりません、いえ、だれもあなたをせめ
はしないのです。だからどうか、どうか。さんざめく日没、肯定し
ていたわけではなかったが。日々の出立、それが夕景の合図だった。
ふりほどく、のではなく、すべるということ。重なることが越境な
のだと、秋が彼らをはがしてゆく。鋭利さすれすれに、つかのまの
胸がしなっていたのがもどかしい。雲へむけられたはじまりは、い
つだって抱擁よりもたどたどしいから。ひとごみにともるように咲
いていたのだと、案内人としての地図をしまい、息苦しさにたちか
える。男のようにたぐる肌、そまらない息づかいもまた、たぶん。
見送るにおいを風がねがった。おわりの花が燃える地面だ。

(『COAL SACK 』53号 二〇〇五年十二月)


パンドラの雪

雪の時間をはかっていた。檻のような出会いの途上の、かけらから
の出立だった。きしんだ音をつむぎながらの、船のようなあしどり
だった。かたむく道をつのるだろう、かたちのうしろを舞っている
のでやりきれない。枝のゆくえがほのかにさわぐ、桟のいたみを眠
るのかもしれなかった。日々のうすさが軽やかになり、景色のこと
ばをわたっている。
しめった降りかたがあなたをちがった。夜更けのような無防備さの
まえで、柵の感覚がもたげてもきた。枯れたつもりかたにくるまり
ながら、さいごを通過する思いがしずむ、またのぼる。たたまれて
いた、期待だったか約束が、荷物のひとつを置き去りに。帰らない
ためのまなざしが、雪片めいて自由になる。
ねばつく白さがこがれている。うもれた香りだけがついてくるのだ
と、島のかたちでつげるのだった?とりぶんだけ居場所がなくな
る、崖のようなかれらがいとしい。離反の群れにぶれていたのはわ
たしだから。かくれることが急いていた。みられた夢が降りすぎる
ので願わずにはいられない、箱庭のような人肌だ。
囲いをくくぐもる息のはがれる。遠さのなかでよりそっている、ふ
ぶいていたのはいないひとりだ。つもる途中で思い出になり、とけ
た記憶にとじてゆく、それは他人の場所だから。かじかむ声が舳先
のようだ。ふりかえり、かえってくるためにはなれた遠浅。まもな
くふるえをつないだひとびとのほうへ。土の露出がたちきるきずな
が、手招きのようにあたりを照らす。
とりまく景色がもどっては、港のてまえでくずれている。希望のな
さがあざやかになり、かれらにまぎれたそのかたわらで、柵をひき
よせるのはだれであったか。船の視線が来しかたをつらぬく、耳た
ぶ付近であわだつ声が、ちぎれんばかりに覚醒だった。あなたをし
らない出会いが呼ばわる、雪のうらにことばがつたった。

(『COAL SACK 』54号 二〇〇六年四月



きずのあとさき

くぎった視界がささくれだった。はじまりはうずまきながら霧散
したのだろう。あとずさりのなか、わきをこするように肩をおと
し、おぼえた気配をあたためている、あれは傷をしずめたひとだ
った。しらなさすれすれにかわきながら、したたる音色が身近だ、
からわたしも。
したしさのなか、やましさのないどんな場所でも、くるんだこと
ばはふくれつづけ、明日以降のおびえをつなぐのかもしれなかっ
た。よどんだ岸をうたっている、日々をとどまる方法につけくわ
えられた汗をなぞる。かれをよぎるのは、たいていいたはずの日
時だった。
あたためたものが波紋をながめ、つむぐようにたちきれる、そん
な千鳥足がのぞまれていた。起きるすれすれのまさぐりだったか
が違いを手にし、なつかしみながらたたむだろう。刹那をもたげ
たゆるやかさについて、はげしさがこなごな付近でくるまってい
たともきく。比例にくらんだ眼のきわで、おぼれるような声がは
しった。
ますますゆらぎ、だが遠方とつりあいをとり、さざめく端からふ
さいだ耳をひろいたかった。切れ間のおびただしさがとどかない
ので夢のむくろ。うずたかくつまれ、かわいた傷をひびきにくく
する、あの反面をくるめばよい、そうあともどりがよんでいた気
がする。役割をわすれたようにちらばる日付にたおれなかった背
すじがふりむく。
無口をやどした笑いがおこり、さざめく円環にうしろがみえない。
名前をわすれたいたみに浮上するひとがまたれていた。岸をなで
る水温が鏡のように修正し、つたない思いをよびよせている。交
接のなかではじかれた、肌にみちのりがあっただろうか。残像の
ほどいた距離がおびただしい。まざった音階がうすれる、のでむ
せるわたしの。

(『COAL SACK 』55号 二〇〇六年九月)

 

影街

恋のような淵のさなか、つらなる入り口をうかがっている。ひきずられた突端だった。きざまれつつ、筋交いたちはあつまるもの、と街はつぐみ、影におおむねのあらがいをほうりこむ。にじんだ地下はかまびすしい。ふんでみよう、この少年たちは柱にそってわたしたちをきりとり、区画のおきてにうめてしまおうというのだろう。とりかこまなくては、でれませんから。

恋のような縮小があり、はみでた修復が水泡を、やけに赤裸々にたばねたようだったので、後ろ手にたわめ、ほとぼりをさまそうとしたんです。風紋のような街路樹たちが、おとこの影法師をつらぬいた。あるいはやわらかな羽交いじめが少女のなかでもてあそぶ。けんけんぱ。ながれたあなたがかたまりたい。

くだけた恋が、皮膚にはりつくモザイクだった。おんなのまるみはすきまにたまり、うねる壁をつぶれそうだがたもっていた。あの川がとなりとの線をひく。わたしたちは濃さにそってあらうだろう。その寸断から、はみだしていたのは投影だから、はなれた場所はいつもちがった。あなたをくろずんではいませんでした。たなびくままにわれてゆく、熱をむさぼるかげろうもいた。

暗がりをひきずって恋、四隅にこどもをたたせるだろう、かしら。港のようなしたたりに、街たちは人影を、そのかなしみをぬぐっていたのかもしれない。とどかない分解のわきだったかで、わたしはあなたをしっていました。整備されたいしずえにまつわる、跡地たちがおとこをよびとめ、ほりおこすことにくぎをうつ。いきなかったこどもは始終やさしい。

したい恋にはずむ波は、遺跡のようにさらすだろうか。陰影のうちあげられ、少年のかたすみにふくらみつづけ。だしてみようか、わたしはそれにさわれない。さびた時間にはしった予感は、とうからここにいたのですから。街のつめたい縮小たちにのこったおんなは、根づいたあたりでながめる区切りだ。

しない恋におひれがいじられ、かたい少女をほぐすだろうか。矩形にはぐくまれた凪のむこうで、街に巣くった風穴だった。あなたをたらすように去来する、おとこにうずめる柱がなごりで。ひしめいていたなげきはつもり、いまではきっとぞっとしない。失神された筋交いに、あのこどもをさがしてみよう。影ふみたちのおちない井戸にかえさない、ほとばしる遊戯がわたしをはじいた。

 

株式会社コールサック社の役立つスペーサー
●大掛史子(おおがけ ふみこ)
株式会社コールサック社の役立つスペーサー
1940年 東京 渋谷区に生まれる
1969年 詩集『三月の雪』
1982年 詩集『青のうらみ』
1991年 詩集『ビジネス戦士と葛』
1994年 詩集『あふれ寄せる光の潮で』
1998年 詩集『丘の教会』
1972年〜2001年 詩誌「幻視者」参加
1993年〜2005年 詩誌「光芒」参加
2003年 詩集『花菖蒲(イーリス)』
日本現代詩人会会員、「墓地」同人、「COALSACK」に寄稿
株式会社コールサック社の役立つスペーサー
【詩の紹介】

女三人のモロー詣で

疲れた女が三人でギュスターブ・モローをたずねた
パリのラ・ロシュフーコー街ならぬシブヤのBunkamuraに
作品や家具調度ごと華麗な美術館になっている彼の家
展覧会場に再現された壁一面のモロー美術館
その妖しい内部屋に吸い込まれていく三人の女

一人目は
山なす詩誌の講評に辣腕をふるって疲れた女
けれど面ざしはサラ・ベルナールに似て物腰優雅
二人目は
溢れる才気を持て余して疲れた女
けれど瑞々しい触角を幾本も具えている
三人目は
田舎暮らしのUVに灼かれて疲れた女
けれどうち庭ふかく秘密の木陰もありそうで

疲れた女は三人三様 細いペンの灯りを掲げ
モローの森の幻想の迷路をたどっていく

最初に襲った熾烈な光は「エウロペの誘拐」
主神ユピテルが美女エウロペを略奪する『変身物語』(*)の一シーン
頭部だけ若々しい神のまま白牛に変身したユピテルが
エウロペの無垢な裸身を背に乗せて
いましもクレタ島に連れ去ろうとしている
『変身物語』なら自家薬籠中の物と
疲れてなんかいられない三人の女

次に展がったのは神秘な美のアルカディア「一角獣」
狩人には決して捕らえられず
処女のみがつかまえられる一角獣
処女母神信仰の純潔の象徴とか
しかし一角獣と戯れる処女の艶めいた裸形は
疲れた女たちの脳波を官能の秘薬で乱した

遂に「出現」!
宝石だけをまとって踊るサロメが指さすところ
めくるめく光に包まれ血を滴らせたヨハネの首
中空に出現した首だけのヨハネは眼光炯々と
疲れた女たちの内腑を抉った
抉られた臓腑はモローの森にばらまかれ たちまち
ケンタウロスやレダやガニュメデスを拐った大鷲や
スフィンクスやグリフォンに食べ尽くされた

女三人すっかり軽くなった魂を揺すって
笑いさんざめきながら
シブヤの雑踏の中へ生還したとき
もう誰も疲れてはいなかった

*アウグストス帝時代のローマの詩人オウィディウスの作『メタモルフォセス』 
* 「 」 内はすべてモローの絵の題名
(「COALSACK」53号に掲載)

 

モーツァルトの庭
それはいつも生れた許りの姿で現れる──小林秀雄

盲目の青年ピアニスト(*)が
モーツァルトのピアノ協奏曲(コンチェルト)第二十一番を弾いている
サントリーホールは大きな柔らかい耳となり
かろやかに翔び交うのは澄明な韻きの羽毛
楽響はひたむきな祈りを天に捧げ
無垢な花びらとなって降ってくる

光を受け入れたことのない彼の眼には
モーツァルトの庭が誰よりもよく見える
モーツァルトはいつも
いたずら好きな天使の面ざしで彼を誘う
そこは噴き上げの水が花々を潤し
きらきらと陽のこぼれる清らかで親密な場所
もういくたびも訪れて隅々までを熟知しているその庭

けれどその庭は決して彼を安住させない
踏み入るたびにモーツァルトは
毎回まったく異なる表情で彼を試す
白杖も介護の手も振り払って自在に遊ぶとき
親しみやすく美しい庭の貌が
悪魔の相貌を重ねているのを彼は知っている

軽々と跳びはねおどけながら
人々をからかいやめない悪魔の楽想が
いま彼の指先から溢れつづけている
清澄な音の花びらを浴びて憩う至福のさなか
天から届き地から湧く畏ろしい声に
聴衆は魂を掴まれておののく

ピアニストは最後の鍵(キー)を叩き放ち
一瞬の空しい静寂を受け入れる
怒涛のような拍手にうながされ
指揮者に支えられて彼が立つと
ブラボーブラボーと賛嘆は引きもきらない
深々とお辞儀をくりかえしながら
彼はもうモーツァルトの庭を歩いている
美しくも恐ろしい悪魔の音楽が
彼を就縛し彼を解き放つ永遠の庭の中を
杖も誰の腕も借りずたった一人で
*梯 剛之
        (「COALSACK」54号に掲載)

 

そのひと       
    ─朝倉宏哉詩集『乳粥』に寄せて

杉木立の急坂をランナーたちが登ってくる
最後の難所が荒い息と汗と地響きで充満する
そのひとも走り登ってくる
中高年ナンバーのゼッケンをつけてはいるが
軽軽と大気を分け
にこやかに手を振り
少年のように頬を染めて
目の前を爽やかに走り過ぎていったもの
杉の町の杉森を縫うコースだから
あれは杉霊(さんれい)だったかもしれない
風と雲と空と太陽をまとって駆け抜けたそのひと

そのひとは馬を引いてやってくる
海を渡った何十万の軍馬のうち
ただ一頭生還した勝山号を
『勝山号物語』を書いたそのひとの亡き兄が
馬の背に揺られて微笑んでいる
中国戦線でいくたびも瀕死の重傷を負いながら
そのつど不死鳥の如く復活し
終戦でやっとふるさと江刺に帰還した勝山号
いくたびも心臓の手術を受けて臨死体験をし
そのつど死との闘いに勝って教育現場に復帰した兄
勝山号に託してわがことを書いた兄を乗せ
いたわりと敬愛をこめて馬上を振り仰ぎながら
二つの人生の輝きに包まれて歩いてくるそのひと

そのひとは手のひらによそわれた乳粥を
おしいただいて見つめている
そこにはまぶしいヒマラヤと
辛酸を舐め尽くしたチベットの難民たちが映っている
そのひとはつぶやく
   老人の顔には谷間のような皺
   少女の瞳には薄雪草のような憂い(*)
菩提樹の下で瞑想するブッダ・ゴータマと
乳粥をささげる少女スジャーターに思いを馳せ
そのひとが口に入れたそれは
チベットの民のこころそのものだった
乳粥のものがたりを聴き終えたとき
ぽっかりと虚ろだったこの胸の椀を
まぶしく暖かく質素なものがたぷたぷと満たした
そのときからずっと
謐かな深い目をして
少年ラマ僧のように
乳粥をよそいつづけてくれるそのひと
* 詩「乳粥」より
    (「COALSACK」56号に掲載)

株式会社コールサック社の役立つスペーサー
 

株式会社コールサック社の役立つスペーサー
●大原勝人(おおはら かつと)
株式会社コールサック社の役立つスペーサー
一九二六年 広島県豊田郡沼田西村に生まれる。
一九四一年 石川啄木に憧れて短歌を始める。
一九四四年 三菱三原車輌青年学校卒業。
一九四五年 無線通信兵として入隊するが、終戦のため復員。
一九四七年 三菱三原車輌従業員組合青年部書記長となる。
一九四九年 国際新聞広島支局尾道駐在員記者となる。
一九五一年 大阪に出て昭和パイプに入社し、組合を結成し組合長となる。
小野十三郎と出会い中之島文学サークルの講演を依頼する。
一九五七年 大原塗装店を設立、翌年家具卸業二本桐を設立。
一九六七年 広島県府中市に帰郷し、栄進家具工芸を設立し現在に至る。
一九七八年 短歌集・回顧録『道草』(私家版)。
一九七九年 短歌集・回顧録『波の花』(私家版)。
二〇〇七年 詩集『通りゃんすな』出版。
広島県詩人協会会員、中四国詩人協会会員。
詩誌「衣」「輪」「福山文学」同人。「モデラート」「COAL SACK」に寄稿。
株式会社コールサック社の役立つスペーサー
【詩の紹介】

俺のふる里

陽炎の陽だまりの中
吹雪く花びらの向こうに
俺はふる里を見失っていた
兎と遊んだ裏山は
カラフルな家が建ち並び
小川の水はカラカラに乾き
メダカやどじょうはコンクリートの檻に
閉じ込められて逃げ場を失っていた

夕焼を唄った野道は
幾何学的な白線の道に変わり
別れを惜しんだ峠には
白い煙を吐き続ける工場が出来た
今も貪欲な怪物たちは飽きたらず
鉄の爪をふる里に打ち込んで
臓腑を引っぱり出している

見よ、
欠落した文明の亀裂は
底なし沼のように闇に広がり
贈賄、収賄、恫喝の網の中でもがき苦しみ
地底に沈んだ骸はさみしく
泥まみれの花束を積み上げる
梵鐘が弱々しく鳴き渡る
ここは何処
俺のふる里はどっちだ

    (「COAL SACK」56号に掲載

 

ある形の遍路旅

観光バスの中は物見遊山の集団と
見粉う程の賑わいようで
乗客の背に、南無大師遍照金剛と
染め抜かれた白衣の道中着姿に
揃ってなければ
四国遍路の旅とは思えない雰囲気である

……皆様間もなく次のお札所に到着です、お仕度下さい、その前に皆様、前方右側の道路脇に見える無縁仏のお墓に手を合わせましょう、お四国参りのお遍路の旅に来られた方が不運にもこの地で人生を終えられたお墓です

ガイド嬢の声は手馴れた
マニュアル通りの口調で乗客をうながす
乗客の眼は一様にその墓にそそがれたが
深刻さはない
ただ後部座席にいた伸子だけは
違った想いに脳裏は沈みきっていた

明治も鹿鳴館で浮かれた時代も去り
巷は文明開化を求めてうねり始め
国勢は軍国の色を濃くしてゆく中
ここ瀬戸内を挟む本州北部の寒村は
冷え冷えとした空気に吹き晒されていた
とりわけ小作人百姓の家では
貧しさのため人減らしの年期奉公や
妾奉公などが頻繁に行われた
伸子の曾祖母に当るタミの家でも
次々生まれてくる孫で
家族も十人に膨れあがろうとしていた

……わたしゃ、連れ合いの供養も兼ねて、お四国参りをして来とうありゃんすけえ……

この地方では切なる願い事の成就を祈って
四国遍路の旅に出る者と
ひたすら仏に帰依する事を願って
四国四十八ヶ所に終(つい)の住処(すみか)を求めて
遍路の旅に出る者との習わしがあった
そしてそれはどちらが先に切り出すか
人減らしの最後の切り札でもあった

……お婆ちゃん着物の衿に一円ほど縫い込んで置きゃんしたけえ、困ったときゃあ、それを使いんさいよ、お大師さんがズーッと付き添うてくれとってでありゃんすけえな……

どうにもならない思いが交錯するなか
タミは家族の合掌に見送られ
住みなれた家を後にした
晩春の朧に霞む朝陽に
野面の麦の穂色が一段と濡れて輝き
それは切ないほどの緑の濃さであった
     (「COAL SACK」57号に掲載)

株式会社コールサック社の役立つスペーサー
 

株式会社コールサック社の役立つスペーサー
●尾内達也(おない たつや)
株式会社コールサック社の役立つスペーサー
1960年生まれ。25歳の頃より詩を書き始める。6年前から、俳句に関心を持ち、現在、詩と俳句を同時に書いている。俳句の音楽性と季感を含む時間性を、アクチャリティを残したまま詩に導入することをめざしている。また、移動という観点から翻訳に関心があり、旧ソ連からパリに移動した(亡命した)ピアニスト・指揮者・作家、ヴァレリー・アファナシエフの詩の翻訳を『COAL SACK』誌上に発表している。詩集に『白い沈黙 赤の言葉』(摩耶出版 1994年)、『青のことば』(私家版CD-R 2001年)。
尾内達也-Delfini Workshop 創作・翻訳日記
  http://blog.goo.ne.jp/delfini2/
株式会社コールサック社の役立つスペーサー
【詩の紹介】

水の森

森は大いなる垂直の流れである
枝葉をめぐる水
幹を昇り
根を上がり
水の柱がそこかしこ
天に向かって
ひんやりと涼しく
さらさらさらさらさらさら
月の水 
古の人はすでに一陣の涼風である
耳を澄ますと
森の奥から
風鈴に似た音楽が
とぎれとぎれに
聞こえてくる
言葉なのか音楽なのか
聞き取れたと思ったとき
燃える村が見えた
一筆書きのような暮らしが見えた
だれもいない
けれど
だれもがいて
話すそばから
言葉は燃えさかる
ぽっかり空いた言葉の外で
蟋蟀がしきりに鳴いている
そんな村
さらさらさらさら
日の水流れ
森は大いなる垂直の流れである
空に注いで
しづかなしづかな
水の森

 

その門が
いつから
そこにあるのか
誰も知らない
ただ
無門と呼ばれているだけである

門の向こうには
枯れ草の中に狭い道
その先は海だ
海鳴りがひっきりなしに
聞こえてくる
今 門を一人の若者が出て行った
従者は連れていない
門を出れば
たちまち運命に弄ばれるだろう
だが彼の選んだのは
剣ではなく横笛であった

若者は己の名を知らない
運命を知らぬ者の髪には
潮風も海の匂いをつけることができない
(愛は恐ろしい
たったひとりで世界を背負うのだから)
父の言葉だったか
古い書物の言葉だったか
村を出ると
冬の雨が後を追うように
降り出した
言葉は前後に中断されたままである

畑では枯れた葱を
燃やしている
真白な煙が
村への道を遮っている
焼いた葱の匂いが
道一杯に広がると
若者はもはや一人の旅人である

 

月のない夜
暦を見てはならない
日も月も書かれていない
生まれたての世界
どこかで
時を書き込む者がいる
夜の川風は
まだ血なまぐさい
歴史の匂いがしない

窓辺で
少女が島唄を歌っている
だれかに呼ばれて
突然 歌声が途切れた

邯鄲や歌のあとさき消えしまま

そうやって
ぼくらは途中で呼ばれる
朔の夜に月のような
面影を残して

星のない夜
暦を見てはならない
曜日も六曜もない
生まれたての世界
死時計虫が深夜に
時を刻んでいる
どこにもいないはずなのに
どこにでもいる不思議
時を支配する者たちは
光の中をやってくる

夜の広がりが昼の深さと
等しく釣り合う頃
アイヌの言葉がよみがえる
イランカラプテ *
イランカラプテ
きみの中の神に
ぼくの中の神に
かつてひとは
雲であり
日であり
風であった

*「イランカラプテ」は、挨拶の言葉。もともと、アイヌには「こんにちは」や「おはよう」や「今晩は」といった軽い形式的な挨拶の言葉はなかった。「イランカラプテ」は形式的な会釈ではなく、じっこんの間柄の長く会わなかった久闊の会見などに「なつかしや」と涙を流しつついう言葉。邦人との交渉により、軽い挨拶の言葉に「イランカラプテ」があてられるようになった。『ユーカラの人びと』金田一京助著(平凡社)二〇〇四年

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