| 【詩の紹介】
女三人のモロー詣で
疲れた女が三人でギュスターブ・モローをたずねた
パリのラ・ロシュフーコー街ならぬシブヤのBunkamuraに
作品や家具調度ごと華麗な美術館になっている彼の家
展覧会場に再現された壁一面のモロー美術館
その妖しい内部屋に吸い込まれていく三人の女
一人目は
山なす詩誌の講評に辣腕をふるって疲れた女
けれど面ざしはサラ・ベルナールに似て物腰優雅
二人目は
溢れる才気を持て余して疲れた女
けれど瑞々しい触角を幾本も具えている
三人目は
田舎暮らしのUVに灼かれて疲れた女
けれどうち庭ふかく秘密の木陰もありそうで
疲れた女は三人三様 細いペンの灯りを掲げ
モローの森の幻想の迷路をたどっていく
最初に襲った熾烈な光は「エウロペの誘拐」
主神ユピテルが美女エウロペを略奪する『変身物語』(*)の一シーン
頭部だけ若々しい神のまま白牛に変身したユピテルが
エウロペの無垢な裸身を背に乗せて
いましもクレタ島に連れ去ろうとしている
『変身物語』なら自家薬籠中の物と
疲れてなんかいられない三人の女
次に展がったのは神秘な美のアルカディア「一角獣」
狩人には決して捕らえられず
処女のみがつかまえられる一角獣
処女母神信仰の純潔の象徴とか
しかし一角獣と戯れる処女の艶めいた裸形は
疲れた女たちの脳波を官能の秘薬で乱した
遂に「出現」!
宝石だけをまとって踊るサロメが指さすところ
めくるめく光に包まれ血を滴らせたヨハネの首
中空に出現した首だけのヨハネは眼光炯々と
疲れた女たちの内腑を抉った
抉られた臓腑はモローの森にばらまかれ たちまち
ケンタウロスやレダやガニュメデスを拐った大鷲や
スフィンクスやグリフォンに食べ尽くされた
女三人すっかり軽くなった魂を揺すって
笑いさんざめきながら
シブヤの雑踏の中へ生還したとき
もう誰も疲れてはいなかった
*アウグストス帝時代のローマの詩人オウィディウスの作『メタモルフォセス』
* 「 」 内はすべてモローの絵の題名
(「COALSACK」53号に掲載)
モーツァルトの庭
それはいつも生れた許りの姿で現れる──小林秀雄
盲目の青年ピアニスト(*)が
モーツァルトのピアノ協奏曲(コンチェルト)第二十一番を弾いている
サントリーホールは大きな柔らかい耳となり
かろやかに翔び交うのは澄明な韻きの羽毛
楽響はひたむきな祈りを天に捧げ
無垢な花びらとなって降ってくる
光を受け入れたことのない彼の眼には
モーツァルトの庭が誰よりもよく見える
モーツァルトはいつも
いたずら好きな天使の面ざしで彼を誘う
そこは噴き上げの水が花々を潤し
きらきらと陽のこぼれる清らかで親密な場所
もういくたびも訪れて隅々までを熟知しているその庭
けれどその庭は決して彼を安住させない
踏み入るたびにモーツァルトは
毎回まったく異なる表情で彼を試す
白杖も介護の手も振り払って自在に遊ぶとき
親しみやすく美しい庭の貌が
悪魔の相貌を重ねているのを彼は知っている
軽々と跳びはねおどけながら
人々をからかいやめない悪魔の楽想が
いま彼の指先から溢れつづけている
清澄な音の花びらを浴びて憩う至福のさなか
天から届き地から湧く畏ろしい声に
聴衆は魂を掴まれておののく
ピアニストは最後の鍵(キー)を叩き放ち
一瞬の空しい静寂を受け入れる
怒涛のような拍手にうながされ
指揮者に支えられて彼が立つと
ブラボーブラボーと賛嘆は引きもきらない
深々とお辞儀をくりかえしながら
彼はもうモーツァルトの庭を歩いている
美しくも恐ろしい悪魔の音楽が
彼を就縛し彼を解き放つ永遠の庭の中を
杖も誰の腕も借りずたった一人で
*梯 剛之
(「COALSACK」54号に掲載)
そのひと
─朝倉宏哉詩集『乳粥』に寄せて
杉木立の急坂をランナーたちが登ってくる
最後の難所が荒い息と汗と地響きで充満する
そのひとも走り登ってくる
中高年ナンバーのゼッケンをつけてはいるが
軽軽と大気を分け
にこやかに手を振り
少年のように頬を染めて
目の前を爽やかに走り過ぎていったもの
杉の町の杉森を縫うコースだから
あれは杉霊(さんれい)だったかもしれない
風と雲と空と太陽をまとって駆け抜けたそのひと
そのひとは馬を引いてやってくる
海を渡った何十万の軍馬のうち
ただ一頭生還した勝山号を
『勝山号物語』を書いたそのひとの亡き兄が
馬の背に揺られて微笑んでいる
中国戦線でいくたびも瀕死の重傷を負いながら
そのつど不死鳥の如く復活し
終戦でやっとふるさと江刺に帰還した勝山号
いくたびも心臓の手術を受けて臨死体験をし
そのつど死との闘いに勝って教育現場に復帰した兄
勝山号に託してわがことを書いた兄を乗せ
いたわりと敬愛をこめて馬上を振り仰ぎながら
二つの人生の輝きに包まれて歩いてくるそのひと
そのひとは手のひらによそわれた乳粥を
おしいただいて見つめている
そこにはまぶしいヒマラヤと
辛酸を舐め尽くしたチベットの難民たちが映っている
そのひとはつぶやく
老人の顔には谷間のような皺
少女の瞳には薄雪草のような憂い(*)
菩提樹の下で瞑想するブッダ・ゴータマと
乳粥をささげる少女スジャーターに思いを馳せ
そのひとが口に入れたそれは
チベットの民のこころそのものだった
乳粥のものがたりを聴き終えたとき
ぽっかりと虚ろだったこの胸の椀を
まぶしく暖かく質素なものがたぷたぷと満たした
そのときからずっと
謐かな深い目をして
少年ラマ僧のように
乳粥をよそいつづけてくれるそのひと
* 詩「乳粥」より
(「COALSACK」56号に掲載) |