【詩の紹介】
アジア詩行 1 高炯烈
木の枝のリボンと油桃花(ゆどふあ) 外二篇
――東京の李美子詩人へ
地上の蒸し風呂の暑さのなか都市を歩いてゆく
毒を浴びた油桃花(*)、赤い花を咲かせ萎れている、火のように
花は熱く 木の枝を揺らす
そしてすぐに手をはなす、長い枝が大きく波打つ、
宮島は手の指ほどの白い布を結んでいた、木の枝に
喪中の人たち! 隠れて外には出ないほんとうの人たち
ここはどこ、彼らはみんなどこへ行ったのだろう
人の顔、人の髪、人の眼
リボンをつけた木の、日本のたそがれ
このふたつがわたしには叙景の悲願になろうとは
悲しいこと、でもどうか出てこないでください、
五色の日本の文字をきざんだ人たちが 閃光と暴風の
油桃花の木の下に引き返してゆきます
※夾竹桃(訳者)
あなたの眼の中に、そして
――広島の長津功三良詩人へ
あなたの眼の中にまだ閃光がある、そして
鼓膜の破れる、ふたつの耳のふさがれ気道のふさがれる
建物の外壁體の煉瓦ががらがらと崩れる
友人たち、
いや、空中を舞って煉瓦とともに向こう側へ飛んでゆく
おまえの眼の中に、そして
黒雲が八月の青い空にむかってぐんぐんと聳え立つ
驚嘆の都市、そして
一度もこの都市から離れては暮らせなかった
おまえの眼の中に、そして
玉蜀黍の皮のような鼓膜、サイレンのような小さな音響が、
眼をつむるとき、
遥かな地上の一都市の、一つの生の、一片の記憶
おまえの眼の中にいまも閃光が、そして、そして
そして、またも そして
世界平和遺産を通り過ぎて
――鈴木比佐雄詩人へ
相生橋の向こう側の原爆ドームをながめて
東京都から訪れたわたしの友人の鈴木比佐雄が言う
原爆ドームは地上でもっとも美しい芸術作品です
李美子はわたしに伝える 鈴木比佐雄のことばを
ソウルから訪れた鈴木比佐雄の友人の高炯烈は言う
あの原爆ドームは日本の茨の冠のようです
鈴木比佐雄に李美子が伝える 高炯烈のことばを
微笑んで伝えたが、すべては言い尽くせなかった
散文
長詩『リトルボーイ』の出版記念会を終えてソウルに帰ってきた。夢のような旅だった。廣島に行くことになるとは考えもしなかった。
廣島はアジアの中で私にはもっとも暑い都市として記憶された。空はうっとうしく恐ろしかった。見上げたとき空には閃光と轟音があるように思った。人々の表情は暗くて。平和公園では反米デモを行う人々ごしに油桃花が見えた。傍らの原爆ドームをながめながらずっとその油桃花に目をうばわれた。
船に乗って宮島へ渡った。世界文化遺産であるその地で夕暮れどき、一本の木の枝に白い布が結ばれているのを見つけた。とても小さな緒(ひも)。ところが村の人たちを見かけなかった。どこかへみんな行ってしまったのか。日本で私はもうひとつ別の深い場所の日本に来たような感じをおぼえた。村に人が住んでいるようには見えなかった。建ものに夜の灯りはなかった。私はふしぎな興奮にとらわれて歩いて通りを抜けた。歩道に楓の葉がきざまれていた。
詩人にとってそれは現実の幻想かもしれない。いずれにせよ原爆が落とされた廣島からそれほど遠くない島で私は「ほんとうの日本人」を見たいと思った。彼らは存在しないのかもしれない。その島の夜と水はイメージとなりのこった。ふたたび廣島に帰ってきたとき、渇いた心に油桃花が浮かんだ。
油桃花は韓国の済州島に多く育つ。この木の下で眠ると死ぬ、牛は食べないといわれる。
毒のあるこの花が詩になった。私はふたたび廣島には行けないかもしれない。油桃花、永遠にその地に咲きつづけ八月の炎天の日に揺れてほしい。
原爆ドームのすぐ近くの小学校の生徒だったという詩人の顔は韓国人の顔とあまりにもよく似ていた。廣島の方言で話すという彼の顔の内側にある傷痕が見えた。私は二〇〇六年八月、廣島で出会った東京の李美子詩人ときつい訛りをつかうという廣島人、長津功三良詩人を記憶する。三日間、彼らに案内され私は日本国と韓国を忘れようとした。私の傍らに傷を受けたひとが同行していた。
江原道のソッチョ束草にある雪岳山は世界遺産の暫定目録であり、宮島は世界文化遺産であるように、原爆ドームは「世界平和遺産」であると私はうちながめ思った。まことに恐ろしく残酷であった。
(上記の詩三篇と散文は「COAL SACK」55号より再録)
アジア詩行 2
鰊のような女
日本人の女の口は鰊の口のようだ
髪の分け目が見える女は不自由な片足を引きずる
女のウロコがはがれ落ちそうだ
彼女の黒い頭は眼の下でじっと動かない
その短い脚が引きあがるのが感じられた
韓国ではたいへんでしょう?―いいえ
韓国は山がとてもきれいでしょう?―いいえ
女もわたしも話さない
気配が来ては去る 女は少年の叔母のようだ
そのとき 東京の霧が村を通り過ぎて行く
どこへ行く霧なのだろう
わたしの故郷は北ですーそうですか?
父はむかし慶州にいましたーそうですか?
母は平壌でしたが すべては幻想です
明日の朝陽だけがひりひりと熱いでしょう それだけが
現実にすぎませんーそうですか?
女は若い日に学生運動をしたという
ほんとうは何も話さなかった
むこうで通訳がわたしたちを見て笑っている
わたしたちは二人で話しつづける
わたしは日本語も韓国語も話さない
東京の屋上の女
流れていた霧が屋上に上がって来る
東京の霧は東京とおなじ
わたしは漢江の畔のイルサンからしばらく訪れた男
屋上からは路地ばかり見下ろせるのだが
日本がすべて見えた
焼き網の上で泥に固まった貝が口を開ける
名前を訊ねられなかった
東京はずっと歴史の古い都市なのだ
二階建ての家の屋上で出会った日本
東京の北のほうから来たという胡瓜に似た姿の女
一人、きょうはわたしの心臓のほうへ来ては去る
右のほうの胸が何となくうつろでしんとした
* 一九九九年。狛江市に行ったときのことだ。東京で夜を迎えた・・どこからか芳しい匂いがただよって来た。日帝時代、わが国の詩人たちがかいだ匂いだろうか。まさしく韓国の干し草の匂いに似て頭がすっきりした。東京の外れではあったが、空気は爽やかであった。横丁の通りだけ記憶にのこる一軒の二階家で小さなパーテイーが開かれた。炭火をおこし大きな貝を焼いた。忘れられない屋上である。そこで、一人の女性が踊ろうと言った。彼女は何かしきりにわたしの心の奥に囁いては踊ってくれたのだった。呪術のような低く美しい囁きは女の心臓から溢れ出す音楽のようであった。なぜ、彼女から異国的な感情をおぼえるのだろう。
菊とさくら
――石川逸子詩人に
万のさくらの花びらが舞って一ふさの菊の花びらが開く?
十万のさくらの花びらが舞ったあとに十ふさの菊の花びらが目覚める?
一ふさの菊が完成するために
一気に数百万のさくらの花びらが咲かなくてはならない?
一つの庭園の数万の菊がいっせいに咲くために
道ばたのすべてのさくらがいっぺんに落花せねばならない?
その黄菊一つの存在の完成のため
数え切れないほど多くの日本列島の商店や路地の
すべての女や少年のさくらの花びらが散らねばならない?
そうして一つの花が完成できるのなら
全列島にさくらが満開する日、わたしは外出を禁じる?
花びらが頭上にきっと雪のように降ってくるだろうから
ところが正直に言って 一ふさの菊は
列島のさくらがすべて散っても不足ではないだろうか?
*日本の本質をさぐることは韓国人にとって一つの話の糸口でもある。日本が韓国・北朝鮮の人々の心から疎外されなければと思う。怨念となってそのうるわしいすがたが消えてしまうのは惜しくもどかしい。日本はわたしには切なく美しい一笑のようだ。その笑みはしばらくやって来ては消える午後の狐の嫁入りや降りしきる雪のようにはかない。一衣帯水の古くからの関係を思い浮かべる。古くさい問いであり無益な追憶にすぎないのだろうか。
コルサコフの丘に立って
――サハリンの ”エリック” に
自叙伝もなくすべて消えて、渇きしぼんだはらわただけがのこった、農夫の足爪のような
赤ん坊の臍のような 笛の角のような懐かしさばかり
竹槍の先に引っかかった空、粘りづよい生命
ユジノーサハリンスクの心臓につきたてられた黒鉛の鉛筆一本
浮標のように立っている。
旗を降ろしたくに、きみと風の逆巻くコルサコフの十二月
最後のきみの見送りを受けている正午
二世の子ばかり、ながくこのサハリンに脳傷の渇いた後頭葉の遺伝をつたえること
腕ほどもあるサハリン蟹を買う市場でなぐさめとするるソウルの友
心臓にふり散るターリアの花
オホーツク海を抜けて疾走する北太平洋の水泡のように生命はおそろしい
* ニ00四年 の冬、サハリンでサハリン.・キングクラブを見た。この蟹の大きさときたら人間の腕の長さほどもあった。かつての樺太カニではないだろうか。サハリンの北緯五0度以南は、日露戦争後、第二次世界大戦の終結まで日本領土であった。現在は、サハリンはロシアのハブアロスクの一州。西部は石炭地帯。そのブイコフで平壌と湖南(全羅南北道――訳者註)の人たちに出会い、ユジノーサハリンスクに出て、サハリンで生まれた僑胞ニ世の”エリック”とともに、真っ赤なトゲが全身に怒ったように生えている巨きな蟹を買った。蟹は爆弾のようにいまにも破裂しそうであった。
高炯烈アジア詩行 3 高炯烈
李美子訳
圖們のネズミ
あの圖們で見た、世界で一番大きな便所を
大便所の中は黒い土でやたらと塗りたくり壁は丸みをおびてい た
向かい側は 漆のような暗い闇が潜んでいる
さらに向こうは 黒い履きものが荒々しく行き来するところ
文明が追い出した乞食がここに来て最期に息つくところ
子どもらの糞と隠れ目が暗くなった者の糞が足元に積まれた
倉庫、すべての人間の不安が排泄されたところ
やっと屈んで黒いタバコの吸殻を燃やし出て来たところ
独り坐りうんうん呻き億丈をうち崩したところ
ぞっとする空気の重さがうちひしぐ闇の中で私は
小便ができなかった、膀胱にたまった小便の最後を
残したまま飛び出たのだが その不吉な真昼の
霧のかかった漆黒の大便所をふり返って看破し得なかったのだ
便所の鬼神が、思想の深い倉庫の中にいて
それがわれわれの尻の二つの骨盤のあいだの一方へ
ずれ出た肛門に連結する通路だという
事実を、遠いむかしの歴史のように私は忘れあの臓器とは関係 ない
霧中に暮らす、順命を捨て暮らす
かのように、灰壁を糞まみれにして、うす暗い圖們の大便所、
大便所のネズミの前足が綿棒のごとくに用心深く
罠を逃れた上皮組織の傷跡のような糞の表面を踏んで
千丈の地下さらに深く抜け出て、遠くの三層回廊を越えて行き
また戻る、私はうっかり信じた、圖們のネズミが
ひそかに夜や昼にあらわれ 痛む腹をかき抱いて
高い欄干の床で身をよじりしゃがんで用を足している
人類の糞をながめ生きてきたことを、私は華燈蓋のように眼を
見開いて、帰れないでいる一人の女を見た
豆満江畔の船渠を越えて、圖們の泥土鬼神の内臓で塗りこめた
九重宮殿にも似た大便所の濃霧にそのまま盲いて
* 中国の吉林省東部にある、延辺朝鮮族自治州の延辺作家協会の招請で延吉市に出かけ、朝中の国境にある圖們を見た印象を書いたものを十余年過ぎて発表する。この詩は、その当時に書いたのだが、「COALSACK」誌に発表する作品を探していて、放ったままの旧稿の中に見つけた。暗澹とした風景の中で見た母親のような、姉か妹のような、どこかに帰れないでいるように見えた一人の女が脳裏から拭えなかった。圖們ではぞっとするような便所を見た。その巨大な便所で、私自身そこに昔から暮らすとても古い人でもあるような気がした。が、そこを急いで飛び出しながら、なぜか他者と「我」を知らない自分が気にかかった。しばらくは地獄にいる気分であった。そしてその便所のことがずっと拭えずにいて、間もなくこの詩を書いたようである。見慣れぬ旅人の貴重な一つの認識の資料だと思う。
エベレスト山
海のしずかな日、Nguyen Quang Thieu
ぼくの庭からエベレスト山が見えるよ
ぼくだけの自慢であり証票なのさ
この頃はよく見えなくとも 山の心理はわかるつもり
ぼくはその山がいないと考えたことはないよ
山の名だけを思い暮らしてもよかったからね
どうしてもその山に行かねばということでもなかった
G・Ayurzana、ぼくらの次の世代も見られるだろうか
寒い、行ってみたい、遥かなエベレスト山を
あなたにエベレスト山を見せてあげたくて
妖術のようにあなたの手のひらの上にのせたくて
小池昌代、両手を合わせ オンマニバンメホウム
いまは エベレスト山を見られるときになったよ
地球の摩天楼、沈黙をかみしめるエベレスト山
おまえが生まれるときまでは無視するつもりさ、
エベレスト山を仰ぎ見ると、白靈
そうさ すべての苦痛が消え去り喜びに溢れたもの
おまえはいま、いったいどこを一人で歩きまわるのか
* Nguen Quang Thieuはベトナムの、G・Ayurzanaはモンゴルの、小池昌代は日本の、白靈(Bailing)は台湾の、それぞれ現在活躍中の詩人たちである。オムマニバンメホウムは「蓮の花の中の宝石のこと、永遠であれ」という意味。各地で地球温暖化現象が益々頻繁に起こって、にわかに北極のようにエベレスト山が心配になった。その山の屋根から万年雪が崩れる日は地球の終わりではないかと、とんでもない考えが浮かんだ。エベレスト山に行けなかったが、その山に登るより、その山の前に行きその山を仰ぎ見ることが生前の夢でもある。エベレスト山は人類の霊山ではないか!
女人壮観の詩
−モンゴル、二〇〇五年
BAYAMGOBIでモンゴルの首都に戻る夜の道
神さまが驚くべき風景を演出された かの遠い国であくびのように
よく笑うわれわれにご苦労さま パンクも起こさせ
雨も与え 陽射しも賜った
どこまで行っても気持ちは軽い雀舌のよう足を組み澄んだ空の下
のどの渇く道 愉快な道
小丘の傍らのエーデルヴァイスに目指して古物バス一台がこっそり
すっかり壊れたその頭をよろめかせ停った
風のように絶えず揺れていたバスが静かになった
ゆっくり扉を開くと 韓国の女たちが ああ 舌をぺろり肩をすくめ
子どものように飛び出してきた
同時に 母さんと女の子たちが左側の小さな土手の向こうに飛び越えてきた
神さまはながめておられた、モンゴルと韓国の神さまは同じ
旅行服の銀色ベルトをはずし ズボンを下ろして
エーデルヴァイスの咲き乱れる地面にしゃがみこむ
クリトリスを触れると草の先がくすぐったい
排泄器官の先は細い竹筒のごとカラカラしゃべる 何なの?何だって?
彼女たちは言葉と身体をブルンふるわせると 黒い韓国女たちの髪が忽然と
消えてしまった、道の上で
すっかり壊れた古物バスに似てあんぐり口を開いて前に突っ立っていると
彼女たちはいまにも飛び立とうとして
前をにらみ嘴を突き出した子どもほどのモンゴル鷹のようであったろう
さんざん悪態をついていままさに立ちあがり
地を離れ飛翔する刹那、大きな鷹の煩わしさのようでもあったろう
群がってどっかり座り込み顔いっぱい力をこめて
五万相のしかめっ面をする女たち
いつも堪えられない瞬間にはそんな険悪な表情をしたのだろう
娘っ子たちと並んで座っている
母さんたちも気がつけば子どもに似て可愛いいたずらっ子たち
いたずらっ子のように暮らしていたその頃が若くて美しい時節
女たちの人生のひととき
歯のない貝の下で肉が開いて小便がザーッ、勢いよく
迸り出た 土が掘り返された 嘆声を放ち立ちあがる女たちの唇は
氷のようにつめたかった
歯が割れそうなくらい、五台山の高さの草原の一本道で空は海のようであった
幼子と夫をかき抱くモンゴルの母さんの懐のようであった
韓国の女たちは草地にしゃがんで空をながめ
何やらかんやら、ぶつぶつと言っていた 少女のように
草原の野草の花のように
膀胱から腎臓へ通じるあいだに浮き出ている真っ青な
韓国女の静脈がはっきり浮き出すとき
その青毛のおかげで白い二の腕が冷んやりしたであろう
とはいえ背後から見ている神さまは丸い尻にはさぞかし驚かれたことだろう
たくましい骨盤のまぶしさよりも
きれいな白い頑丈で大きなのはこの世にはないはず
私は見なかったけれど
堪えていたものが急に無くなって韓国女たちはバスに乗ってどこか遠くへブルン
韓国のバスは幻のように出発し
断言するが彼女たちは生涯二度とこの地に戻れない、が 小さな土手を
一人の女だけがふり返って、さよなら さよならをしていた
モンゴルの遅い夏、青い空白い雲の綿の下で 鷹のように草原にしゃがんで
思いっきり用を足した女たち
韓国から遊びに来た二十数名の若くきれいな虹たち
聞いたかい見たかい、忘られようかあの殿さまバッタ ピョンピョン、青バッタも
ピョンピョン、追憶の中に大切にしまっておく
* その年、モンゴルの古都・カラコルムのラマ教エルデンジョ寺院を見物し、ウランバートルに戻る途であった。古都を中国が破壊しつくしたと話すモンゴルの人々は、韓国を「虹の出るところ」すなわち、「SOLONGOS」と呼んだ。韓国から持ち込まれた古物バスの車台は落ち込んで一行にとって苦しい旅であった。ソピ(所避)は小便のこと、「赤んぼう土手」は小さな土手、女たちはそちらに行き用を足したのだが、道からは見えなかった。白雲が青空に浮かぶとても明るいモンゴルの草原の真ん中で、二十数名の女たちが堪えていた小便をするのをながめるのはそれこそ壮観であり詩になった。モンゴルのその一日はまさにおだやかで楽しく、おそらく彼女たちは再びそこには行けないだろう。そして歳月は過ぎてしまうであろう、みんなどこかに散らばって暮らしやがて地上から消えてしまうだろう。モンゴルの人々にとって大陸の極東半島である韓国がなぜ「虹の出るところ」なのだろうか。
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