私は若いときに「ヒロシマ・一九五八年」というドキュメンタルな詩劇を書いた。写真家の土門拳さんの写真集を見てからの発想である。ラジオの芸術祭参加作品であった。
(原子爆弾)が爆裂しひびいて、しばらくしてから市内の雑踏の音になり、太田川の川の流れに変化した。冒頭に一人の恋する女を登場せしめた。須美子と名のる原爆症に罹っている女の第一声は、「原子爆弾でも負けんもの、川の水」。
この最初のコトバを生み出すのに三日間は要したとおもう。難しかった。
そのときから数年経って、「原爆ドーム・日本のスフィンクス」という詩劇を書いた。やはりラジオである。
(ギターをかきならすラテン曲があり)(女の発声基礎練習があり)(再びギターをかきならす音があり)、広島駅構内の雑踏から、構内のどこかで、次の発車のアナウンスが報らされている。冒頭に一人の行商人を登場せしめた。若い行商人の第一声は、「日本の広島にスフィンクスがあるんだ。きみは、見たことがあるかい。そのドーム、そのスフィンクスを中心にして、半径一・五キロ、だだぴろく、まるい街の中に、たくさん、幽霊たちがひしめいている。原爆さん、たのむまっせ」。このドラマの内容は、したたかに生きぬく広島の群衆をいろいろな角度から採りあげた。最後に、幽霊の男に「日本のスフィンクスよ、きみは、もう、なくなろうとしてもなくならない。消えようとしても消えない。爆心地のドームよ、そこでいつまでも、うつろになって傾いていてください。はい、もう少し首をかしげて、哀れにみえてもだめなんだ。いかめしくみえてもだめなんだ。はい、もう少うし首をかしげて」。
この最後のコトバは、世の中の流れに対する現実的な疑問の暗喩である。
私には原爆の体験はない。一九四五年八月六日の翌朝、十七歳。すでに三月には大阪市内の働いていた材木商の長屋からは、空襲に遭って焼け出され、半郊外地にある次姉のあばら屋に転りこんでいた。何故かしら、朝はやく、あばら屋から抜け出した。よごれたシャツ一枚である。あるいていく方向に、一人の中年の女性が佇立していた。誰だか判らない。その女性が口火を切った。それが忘れられない。「あんさん、えらいこっちゃ、ヒロシマに、ネッセンバクダン!」私は反射的に、漢字を頭の中にうかべた。「熱線爆弾!」。
敗戦の年の十月の末旬、私は山口県吉敷郡仁保牟田の長姉の家にいく用件があり、大阪梅田駅から、無蓋貨車に乗ってまず広島まで往った。防寒の準備をしていったが、文句なく寒かった。山陽本線を一昼夜走って広島にはあけがたに着いた。見わたすかぎり広島の街には何も無かった。私が初めて見る街、広島は灰色で、行く手をさえぎるものはなく、みごとに何も無かった。私は貨車から下りて、ただコンクリートの停車場だけが残りさらされているところに、しばし呆然としていた。
広島にはなにも無い、足場のわるいコンクリートだけがある。私は一介の文学少年だったので、そのとき、峠三吉、原民喜、栗原貞子、大原三八雄の存在など、知る由もなかった。
そのときから、苦々しい現実生活は続いている。私の尊敬している知人は、労農党の大山郁夫と、詩人の小野十三郎の二人だけであった。二〇〇七年六月十九日は、私の七十九回目の誕生日である。奇しくも一八一人の原爆詩作品のゲラ刷りを机上に置いて、わが胸の底のここには、迫るリアリティ、熱く烈しいもの、冷静に見透しの利くもの、熱い絶唱のもの、ゆるやかに、また豊かに幅のひろい視野を拡げるもの、多種多様で、寸時の悲しみなど、いっきょに吹っとんでしまい、長い時間の昂奮をおさえるのに、けんめいになっている自分自身を発見する。すばらしい詩集の圧巻が眼前に出現した。よろこびと言うか、たのしみと言うか、成功と言うか、私自身がよくぞ生きながらえたと言うか、感慨無量の想いに迫っている。はからずも、二〇〇七年の春に、私の一人娘が四十四歳の高齢出産で、男の子を生んだ。流浪、流転をかさねてきた私にとっては予想外の初孫である。その初孫にとって、すばらしいおみやげもの、行く手のわからない日本、政治、社会、経済、思想、何もかも悪い流れの方向に、じわじわと身をれさせているこの日本の現実に、素晴らしい遺産が出来あがったことを、つよく]みしめ、はげしく意識している。よくぞ、やってくれた。実行してくれたと、長津功三良、鈴木比佐雄、山本十四尾の三氏に、そしてコールサック社に感謝の気持ちでいっぱいである。そして、この企画に賛同した一八一人の詩人たちにも拍手をおくる。
戦争を知らない世代が増えているのは、当たりまえのことであるが、戦争の悲惨さを正確に伝えていくのは、昭和一ケタ代の限りない望みである。戦争も、昔とちがって、核戦争になる。小さな紛争も、ウラン爆弾を使用しての核戦争の前ぶれになってきた。二〇〇七年の現在、アメリカとイランが明らかに対立している。裏がわには、底深い第二の冷戦情況がひかえている。イスラエルとパレスチナ。民族紛争、宗教と経済の紛争。中近東、中南米、アフリカ、もめにもめているが、この日本では、海外情報は少ない。余りにも知らされていない。原爆被災者の日本にとって、日本人にとって深く知らされる必要があるし、知る必要がある。
真綿で首を絞められるようにじりじりと悪い世の中が襲ってくる直感が私には存在している。
この一巻の詩集が、後続の勢いを得て、続々と出版されるのを希みたい。海外の詩人たちにも大いに希みたい。
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