1
酒井力さんとは十年程前に、「東京詩話会」で大井暢康さんから紹介された。その後二〇〇三年に刊行した私の詩集『日の跡』を詩誌「岩礁」で丁寧な書評を酒井さんはしてくれたこともあった。酒井力さんはたった一度の出逢いの中で私を強く意識していてくれたのだった。その意味で私にとって詩誌「コールサック」を送り続けている気になる詩人だった。二〇〇六年秋に開かれた長野県詩人協会の集まりに山本十四尾さんが講師として招かれたが、その企画・人選は副会長だった酒井さんが中心的な役割を果たしたと聞いている。私は山本さんから誘われたこともあるが、出かけたのは心密かに抱いていた三つの願いがあった。一つは酒井力さんと再会したいこと、もう一つは戦前に弾圧された前衛詩誌「リアン」の高橋玄一郎の関係者に会いたいこと、そして最後に一度東京の出版記念会で話したことがある、亡くなった中原忍冬さんのことを知りたいなどの思いで同行したのだった。酒井さんとは再会しゆっくり話ができた。所属している詩誌をやめて、もう一度、原点に還って自分の詩を見つめ直したいとのことだった。私は時期が来たらぜひ「コールサック」に寄稿して下さいとお願いをした。そして年が明けた二〇〇七年の五七号から詩「灰降りそそぐ」、五八号に詩「白い記憶」を寄稿してくれた。その詩「白い記憶」は私と山本さんが編者をした『原爆詩一八一人集』にも初出されたのだった。酒井さんの詩人としての転換期であり、新たな出発地点に私は巡り会った気がした。中原忍冬さんとも親しかったのでいつか詩や詩論を読ませてもらえる目途がついた。また高橋玄一郎との親しい関係者である柳沢さつきさん、秋山泰則さんとも会え、柳沢さんからは貴重な資料も多数戴いた。また秋山さんからは「リアン」の研究者である腰原哲朗さんを紹介され、貴重な資料も贈られた。秋山さんや腰原さんは『原爆詩一八一人集』にも参加してくれたし、秋山さんとは、詩集『民衆の記憶』の出版を任されることにもなった。私の中で志を同じくする長野の詩人たちとの出会いのきっかけを作ってくれたのは、酒井力さんの尽力だったのだ。
そのような関係の中から新詩集の依頼があり、『白い記憶』が少しずつ形が見え、誕生していったのだ。新詩集に触れる前に、酒井さんのこれまでの六冊の詩集について振り返ってみたい。第一詩集『霧笛』は一九七八年三十三歳の時に発行された。二〇篇の詩集だ。その中から「埴輪」を引用してみる。
埴輪
とある夕暮れ
埴輪は
Purple and crimson に染まった
ひっそりと闇を孕んだ
土色の空洞は
山の端から忍び寄る
ヴィーナスの裸光を 微かに抱き
遠い 果てしない宇宙に 開示されよう
としていた
かっては 生ある世界から
冥府の闇底へ 七色の虹をさしかけ
白い花一輪をそえる
---それが 彼の使命だったが
地上の風が いくたびとなく
彼の内壁を吹き抜け ささやきするうちに
偶像の形相は ハラハラ落ち
ただ 闇ばかりが憩っているのだった
---円形に刳り貫かれた まあるい
小窓には 月も 片目で上ってくる
彼は 西の空に ほっかりと
眸を放っていたが
魂は 震えながら
宇宙からの信号を待っていた
詩の主人公の彼は埴輪を作った古代人であろうが、酒井さんの内面の奥底に潜む、人間存在の原型なのかも知れない。聖なる宇宙との交信を願った古代人に酒井さんはシンパシーを抱いている。埴輪を作った弥生人や土偶を作った縄文人たちである古代人たちの魂に肉薄していこうとする。その意味では、酒井さんの詩の出発は、生まれた信州伊那谷の山河・自然からインスピレーションを与えられ生み出された詩篇であった。それも千年二千年を飛び越えてしまう感受性が詩の中で何ら不思議もなく実現されているのが大きな特徴だろう。
さらに酒井さんの詩の特徴は、色彩感覚が強烈な対比をしていて、存在の陰影が濃いのだ。夕暮れに埴輪が「Purple and crimson 」(紫と深紅)に染まったという出だしには、慌ただしかった日常が暮れていく静かな祈りの空間が予感される。夕暮れの空が紫や深紅を見せながら闇夜に近づく時、ヴィーナス(女神)のような裸光が宇宙からやって来るのだという。古代人の彼はその裸光を自分の作った埴輪の中に宿らせたかったのではないかと酒井さんはいう。裸光は七色の虹でもあり、白い一輪の花でもある。闇夜になった後には、月が昇る。月からの光は、古代人の魂を震わせるような「宇宙からの信号」だったのだ。
第一詩集の跋文を中原忍冬が書き、次のように論じている。「振幅激しく何かを求めようとする時、彼の詩が持つナイーブな抒情は、新しき世界に読者を誘うであろう」。酒井さんの詩は一見古風であるが、中原忍冬は酒井さんの詩が「新しき世界」を作り出すことを予感していたのだ。その意味で酒井さんはよき師と出逢っていたのだと思われる。「新しき世界」とは根源的という意味での新しさだと私には考えられる。
酒井さんはあとがきで「詩の道を歩むことは、実存への証であると信ずるに至った。(略)霧の中を、半眼にして、笛を吹いて流れていくことが、現代に生きる所作なのかも知れない」と記している。真摯で志が高く、また的確な例えが効いている。中原忍冬に出会う前、酒井さんは千葉大学の学生時代に、最初のNHK人形劇であった「チロリン村とクルミの木」の原作者恒松恭助と知り合い、影響を受け詩を志すようになったという。酒井さんは優れた放送作家と詩論のある詩人から見守られながら出発をしたのだった。
2
第二詩集『望郷』は二九篇の詩が収録されている。その中で「峠道」は心が惹きつけられる作品だ。
峠道
霧が立ちこめている
木立ちが
年輪を筋のように
こわばらせて佇立する
蔭影としか映らぬ造形の奥を
ゆったりと
背の丸い精霊たちが通り過ぎる
人間のかたちをして
白衣の巡礼の一団が
霧の中を
影武者となって落ちていった
鈴が揺れ
杖が響き
鍛えられた一つ一つの呼吸が
森閑とした峠の山道から
一羽の小蝶になって飛翔していった
霧深い森の中から精霊のような「白衣の巡礼の一団」が通り過ぎていく。このような幻視体験が酒井さんにとって詩の大きなテーマであることが明らかになってきた。それはたった「一羽の小蝶」であったのかも知れない。峠道の場所から感じられるものは、「鈴が揺れ/杖が響き/鍛えられた一つ一つの呼吸」という潜在意識から覗かれる自己を超えたリズムなのだ。峠の映像と同時にリズムが甦り、既視体験のような詩が誕生したのだろう。その意味で酒井さんの詩は現実の裂け目から深層を垣間見てしまい、そこからまた現実に舞い戻ってくる思いをさせてくれる。第一詩集の「埴輪」は古代の記憶だが、この「峠道」は中世の記憶かも知れない。長野の森の中で酒井さんは、自己を超えた記憶と交流する、神秘体験を詩の中に記していたように思われる。
3
第三詩集『白い陰影』は恒松恭助の序があり、「この作品群に見られる詩感の素朴さや感動の深さとやさしさは、酒井力の詩が漸く彼の魂そのものに純化され磨き澄まされようとしているからではあるまいか。」と記している。その「魂そのもの」のような詩「道」と「河」(二)を引用してみたい。
道
雪 降り積もる
山嶺の奥まった辺りに佇むと
男は 自分の影が
うっすらと
冬の真中を貫通しているのを見た
遠い空の一点から
紺碧に身を染めて
追憶が満ちあふれるとき
汚れ 傷ついた心は
彼の背後で
死者の瞳になって凍てつき
やがて ゆっくりと
ひび割れながら
白い世界へと折り込まれていった
河 (二)
涸れる河のほとり
水はすでにそこを流れてはいない
微かに残される岸辺から
想念は 真夏の星の輝きになって
空を渡っている
あたかも それが
天体の最後の煌めきのように
生と死とを明滅させて
言葉は 今
この天球の一隅を
蒼いかげろうになって
炎えつきていく
河床を奥深く失われていった
水のかたちを追い求めながら
私は第二詩集の詩「峠道」を酒井さんがより内在化し魂に近づけていくと詩「道」になるのかも知れないと感じた。白い雪に自己の内面を映し出し、様々な追憶を呼び戻し、最後にまた白い世界へと帰っていくといった人間の存在の極限を一四行詩で語ろうと試みたのだろう。恒松恭助が酒井さんに観てきたものはそのようなことだったのだろう。人はもう一人の影のような存在をもっているのであり、その影は白い雪で倒れていった死者たちの思いを抱いて、一人で歩んで行くしかないのである。人はその影から呼ばれて、いつか雪の中に消えていく行く存在であるといった人生観を抱いているように感じられる。この詩集を出したのは一九八七年で、四十歳前後の酒井さんは、深い断念を抱えながら自己の詩作のテーマを深めながら、詩を模索していたことが分かる。
「河」(二)も想像力を掻き立てられる秀作だ。涸れた河の水の行方を透視していくことこそが、自らの詩の言葉の発見であるという詩は、ある意味で酒井さんの詩論でもあり得る詩篇だろう。私はこの詩を読み酒井さんが詩的言語を内面から突き詰めている詩人であり、またリアリズムの観点からも同時に見詰めている詩人だと思った。
4
第四詩集『虚無の空域』は一九九〇年に発行され、三七篇が収められている。この重たいタイトルに挑んでいく酒井さんは、河の水が涸れていくように、命が涸れていくと「虚無」が精神を蝕んでいく内面の在り方を見詰めようとしていたのではないか。「虚無」と対峙し、人間にとって「虚無」の果たす役割を辿ろうとしたのだろう。
涸れた河
今 ひとつの風景の一点を
東に向かって溯る河がある
白く乾いた河床の蛇行にそって
風は黙したまま
虚無の深淵から吹き上がっている
夢か幻か
涸れた水底に映るのは
冷たい風に濡れ
凍えそうにしながら
旅立っていく花の生命
やがて訪れる春の
その温もりの胎動を破り
おまえは新たなる装いで
季節の裏道を渡っていかねばならない
虚無とはそこにあって
ないものである
果てしない沈黙の岸辺に佇み
さらさらと降りそそぐ
この天体の水の様相を
ひそやかに詩う
おまえ
前詩集の詩「河」(二)で追求した「涸れた河」をさらに深めることによって、酒井さんは「虚無」を人間の存在にとって重要な働きであると考えるようになった。「花の生命」も「虚無」が隠れて在ったからこそ生まれたのである。そして「虚無とはそこにあって/ないものである」と位置づける。「虚無」の虚しさや沈黙を抱えこむことによって、命あるものは輝きを増すことを詩作しているように考えられる。「涸れた河」への想像力が「虚無」を経た後に、命を育む水の迸りを予感させる詩を生み出したのだ。人は虚しさを感ずる存在であることを酒井さんは真摯に直視しようとした。その試みは詩作に思索を重ねていく根源を求めていく詩を目差しているからなのだろう。その志は高く、自己を超えて行こうとする果てしない挑戦が在るばかりなのだ。
5
一九九七年に刊行された第五詩集『水の天体』には、二七篇の詩が収録されているが、タイトルの詩「水の天体」には、命の源泉が零れ落ちてくるようなみずみずしさがある。
水の天体
落葉松の林にはいると
朽ちた木々の暗がりに
水が湧き出ている
秋は水音に耳をすませているのだろうか
しんと林にうずくまっていた
(略)
世界はなおも枯れていく
みずみずしい天体の
一隅にただようぼくのなかに
それは冷たい影を沈ませてくるのだ
午後の林のなかで聴いた水音を
いつまでも耳に残していると
ぼくの生活は
いつしかコオロギの羽音に溶け
限りなく広がる宇宙の神秘へと流れていく
その鼓動のなか
水はわたしの耳から溢れ
目から溢れ
さながら天体の叫びになって
ぼくを覆ってしまう
空にはぽっかりと
月色の大きな穴があいている
この詩「水の天体」には、湧き水の水音が耳に残ることが端緒となり、いつしかその水音からコオロギの羽音にも敏感になり、宇宙にその音色が流れていくように感ずる。また自分の身体からも水が溢れそうに感じてくる。湧き水と身体と宇宙が全てつながっているかのようなシンフォニーが湧き起こってくるのだ。私はこのような残された自然への鋭敏な感覚が、今の自然から離れすぎた暮らしへの根本的な批判になっていると思う。岡に雑木林が残されていれば、麓には小さな湧き水があるだろう。そこには野草が咲き、小鳥などが集まってくるだろう。酒井さんはあらゆる存在が涸れていく宿命であるからこそ、命を甦らせる水の存在が痛切に感じられたのかも知れない。水を自らの身体に意識的に駆け巡らせようとしたのだ。前詩集の詩「涸れた河」をさらに突き詰めて、涸れていく存在から水の想像力を駆使して、水に命を注ぎこもうとするのだ。
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第六詩集『藻の詩想』を刊行した二〇〇一年には、師として交流し続けた恒松恭助が亡くなった。酒井さんを文学に引き入れた恒松恭助との出逢いを忘れずにあとがきで回想している。自己の原点を振り返ることがどんなに豊かなものをもたらすかを示している。詩集タイトルの詩「藻の詩想」もまた、その原点を反復する静かでありながらも狂おしい詩だ。
藻の詩想
だれもいない蓮池の
水面が揺れる
夕暮れを
寂寥は沈んでいく
古代から受けつぐ
花の命
蜘蛛はひとすじの糸を
底に落としている
あめんぼの描く刻の間に
静止する想い
残照のくぐもる影から
縄文人が顔をのぞかせる
不確かな形相のまま
指から洩れる苔色の数珠のぬめり
手の平にさらりと乾く
狂おしい祈り
小さなこの場所にも
風は汚れつづけ 吹きよどむ
黄昏る
叫ぶことのない螺旋のいとなみ
酒井さんは水草や藻類など水の中から生まれる生命を見詰めることが、自分の詩の原点であり、詩想なのだと自覚している。それは借り物でない、酒井さんの生き方、暮らしの中から獲得した詩的精神なのだ。誰もいない蓮池の水草やあめんぼを眺め、蓮の「花の命」を感じることから湧き上がるものは何か。それは「縄文人の顔」であったり、数珠玉をとって糸を通し、祭祀に使ったかも知れない縄文人の「狂おしい祈り」が甦ってきたりするのかもしれない。その「小さな場所」を酒井さんは愛し、そこに佇んでいる。その黄昏ていく場所は、きっと虚しさの極限の場所でありながら、同時に「花の命」が誕生する命の根源の場所であることを告げているのだ。さりげない日常の風景の奥から、「叫ぶことのない螺旋のいとなみ」を感受している。それは「虚無」と「花の命」の絡まり合う「螺旋のいとなみ」ではないのかと告げているように私には感じられた。その意味では第一詩集の詩「埴輪」のテーマを酒井さんは一貫して深めて展開しているのだ。詩「藻の詩想」は、六冊の詩集の中の最も達成された詩であったと私には感じられた。
7
酒井さんにとっての記憶は、古代や中世などの記憶にタイムスリップすることが多く詩作品の中に見受けられた。しかし新詩集『白い記憶』の第一章「白い記憶」は父母、兄弟のなど家族の記憶である。
昭和九年
父は予備役として台湾に渡る
中国での激戦から救出され
一度は帰国しての応召だ
衛生兵から医師になった父の元へ
母は単身嫁いで行った
それから十年
広島と長崎への原爆投下
そして惨めな敗戦を迎える
しばらくは中国人を相手に
医療に携わっていた父だが
いよいよ帰国というとき
財産は没収され
米一升とわずかな所持金に
まだ幼い兄姉四人を連れ
引き揚げ者満載の貨物船に
父母はようやく乗船した
海は荒れ
苦しむ船酔いも
昭和二十一年四月二十八日
広島湾沖に一晩停泊しておさまる
DDT散布後
大竹港から上陸する
原爆投下から八ヶ月後の広島
広大な焼跡の一隅で
母は米を炊いた
「白いご飯の味は忘れない」
と語る老いた父の顔
国のために
一命を捧げんとした
一人の医師は
戦争の悲惨さと
生命への畏敬とが
気持ちの中で交錯し
思わず複雑な笑顔を浮かべる
敗戦の味を噛みしめた家族
その時私は
母の胎内に宿され
臍の緒を通し
広島を感じていた
見えない目
聞こえない耳
動かない体のまま
わずかに心音だけを響かせ
生前父が低い口調で
(戦争だけは・・・)
と呟いた言葉は
かつて若いころに訪れた
原爆ドームの記憶と重なって
六十歳を過ぎた私に
いま 鮮明に甦るのだ
(「白い記憶」より)
酒井さんは家族史を淡々と語ることによって一五年戦争に翻弄された一家族の悲惨さを浮き彫りにしようとする。敗戦後台湾から帰国する時の白い波しぶきの記憶、広島の灰白色の焼き尽くされた廃墟の記憶、白いDDTの記憶、そして白いご飯の記憶など、父の記憶を酒井さんは書き留めていく。それをただ提示しているだけだが、そこに忘れてはならない自分の生の原点があることを明らかにした。広島の白い廃墟の中から自分の命が誕生したことは、父母や戦争で傷つき亡くなった膨大な人々の平和を願った気持ちを引き継ぐ宿命であることを強く感じたに違いない。この詩を冒頭に掲げ、父の不戦の思いを詩に刻んでいる。戦争の記憶を父と母の遺言である「白い記憶」として決して忘れてはならないものだ誓う。原爆ドームの酒井さんの「白い記憶」とは、「臍の緒を通し」て肉体に刻印されている記憶なのだ。この詩が『原爆詩一八一人集』に収録されたことは、意義深いことだった。T章では父の記憶以外に母や兄への感謝の思いを綴った詩篇や自分の青春を回想した詩篇を連らねている。また酒井さんには、激しく時間を問う意識があり、「時間」という詩の最終の二連は「わたしの生は終わり/静寂そして無//あとには/新たな時間が/命への芽吹きが生まれる」と記されている。固有の時間を生き抜くことの潔さが感じられて、だからこそ新たなる時間の誕生を讃美できるのだと酒井さんの時間論の深みを考えさせられた。次にU章「離愁の朝」に触れたみたい。
離愁の朝
中原忍冬墓前に献ぐ
明け初める空の一隅から
あなたは微笑みの薔薇を投げる
それはただひっそりと宙を舞い
朝の裳裾に降りそそぐ
花々は色をうしない
ようやく遺影を包みこむようにして
山間の街にも降りてくる
街中をひとすじ
川が流れている
あなたは
独り
水のない川底を
静かに遡航し
青ざめたまま 消えていく
アルプスの山脈に抱かれる
無言の瞳は
あなた自身の骸を連れ
永遠の向こうへ
うつっていったにちがいない
離愁の朝
消えた瞳の奥ふかく
なお沈みこんでいくものがある
中原忍冬への追悼詩であるが、ただならぬ悲しみが広がっていく。酒井さんにとって離愁としか言えない、掛け替えのない存在者への喪失感があったのだろう。「あなたは/独り/水のない川底を/静かに遡航し/青ざめたまま 消えていく」といった、中原忍冬の死を言い聞かせるような美しい詩句を刻んでいる。私は酒井さんから中原忍冬の詩論集『原点を探る』や詩集類を借りて拝読した。甲陽書房から出された本だが、内容は本格的な詩論集である。戦後詩を切り拓いた詩人たち、例えば「荒地」を論ずる場合でも、鮎川信夫や中桐雅夫たちは自らの提起した「現在を危機の時代と捉える」世界観を風化させ、生涯持続することはできなかったと検証し、しかし黒田三郎は世界を根底で担っている民衆の喜びや悲しみや愚かさを見詰めて、独りの人間の良心に基づいて最後まで詩作したと高く評価している。そのほか大岡信、唐木順三などの詩論を論ずる場合でも、その中に分け入って鋭く公平な視線で論じている。詩作する者たちの現場からの視線だからこそ説得力のある論になっているのだ。酒井さんは、きっと中原忍冬から生涯をかけて詩作する姿勢や詩論の重要性、そして抒情詩とは何かを身をもって伝えられたのではないか。そして「抒情の内的必然性」、「詩を考えることは世界を問うこと」、「詩の予言的風格」など多くの実践的な課題を問い掛けられていたのだろう。十年ほど前にお茶の水の会館で敬愛する浜田知章さんが出した詩論集『リアリズム詩論のための覚書』の出版記念会が開かれた。そこに参加されていた中原忍冬と私は初めて言葉を交わした。それから詩誌や詩書のやり取りを亡くなるまで数年続けた。一期一会であったが、その誠実なたたずまいや語り口は印象深く胸に刻まれている。長野に詩魂の深い詩人がいることを知ったのだ。その中原忍冬を師として接し、しかも師と共に生きて、新しい抒情詩を試みていた詩人が酒井さんだったのだ。きっと私がいつか中原忍冬に再会しもっと語り合いたいという思いが、どこかで酒井さんとの交流を促したのだろう。
V章の「茂兵衛と蛙」の連作九篇は、酒井さんの今までの詩作と経験をいかしながらも、新しい試みをしている実験作だ。蛙が何百年も生きている農民の茂兵衛を見詰めて記すことは、人間の生きる様をユーモラスに温かく包みこんでいる。さらに世界や宇宙との命のような会話が自然にてらいなく語られているのだ。
遠くマゼラン星雲の彼方へ
蛙の鳴き声はすぐ近くの
茂兵衛の目の前の岩場らしかったが
あるいは 茂兵衛との距離は何万光年も隔たって
遠くマゼラン星雲の彼方だったかも知れない
茂兵衛はそのまま
蛙にたぐり寄せられ
目に見えない世界を
ずんずんと進んでいった
闇を両手でかき分けるようにすると
茂兵衛の手の先で
闇は光に変わり
外の光は闇になって
意識の中に入ってくる
闇はどこまでも冷たく
光はあたたかく
それらが混ざり合うことはなかった
茂兵衛の中では
闇は闇を失い
光は光でないまま
ただ混沌としている
混然とする空間と時間の中を
茂兵衛は
何者かの力に運ばれ
次第に加速をし
やがて光速をはるか超えて
一気に宇宙の端までやってきた
夕暮れ時
陽は中天に没しようとしていたが
海はまだ蒼く澄み切って
底の様子を揺らしている
茂兵衛以外には誰もいない
音のしない星
それでいて
何かの存在をうかがわせる
不思議な星
銀河系外星雲で地球に最も近いマゼラン星雲の彼方に、茂兵衛は「何者かの力」でやってきたという。その力は蛙の鳴き声である。その鳴き声に耳を澄ますことによって「宇宙の端」にまで行くことができるという。酒井さんにとって茂兵衛は孤独を楽しむ人間存在であり、また童心から大人社会を風刺した恒松恭助であり、詩人の魂を伝えた中原忍冬であるかも知れない。酒井さんは自己の内面を探りながら、二人の師を想起して、いつも対話をしていることがこの連作につながっているのだろう。人の心には広大な宇宙が必要であり、その中で人は自由に飛び回り、静かに山河の命あるものたちを想起しながら、瞑想にふける存在であることを示している。酒井さんは世界をもっと豊かにするために、「不思議な星」を探そうとしている。臍の緒を通した「白い記憶」や「虚無」を辿り、同時に涸れることのない「命の水」や思索する「不思議な星」を発見し続けるのが酒井さんの詩作なのだ。一冊から多様な読みを促される魅力ある詩集だ。新しい抒情詩を求めている人たちにぜひ読んでほしいと願っている。
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