司会(芳賀章内) それではこれから『鳴海英吉全詩集』刊行を祝う会を始めさせていただきます。今日はほんとうに、雨の中をこんなにたくさんお集まりいただきまして、誠にありがとうございます。きっと泉下の鳴海さんも少し面はゆい目で、少し照れて、ニコニコ笑っているのではないかと僕は推察しました。とにかく鳴海さんの作品と心意気といいますか、そういうものが今いちばん必要な時期ではないかと私は思っております。そして、この全詩集を作りました四者、「炎樹」の佐藤文夫さんとその周辺の方々、斉藤正敏さんの主宰する「光芒」の大掛史子さんとその周辺の方々、そしていちばん事務局として、また生前の鳴海さんから死後の整理を託されていたといわれる「COAL SACK」の鈴木比佐雄さんという中心の方がおられて、そして私は「鮫」の芳賀章内と申しますが、私は埼玉におりますので気持ちの上でご協力をいたしましたが、しかし外から眺めていたためにかえって皆さんの熱い志というものが非常に伝わってまいりまして、僕はそういう意味で呼び出し太郎を務めさせていただいて、自分たちの会を主催しながら少しは変だとは思いますが、この三誌の方々の熱い想いというものを、僕はほんとうに皆さんにお伝えしたいと思ったわけです。それが、気持ちだけご協力をいたしておりました私のささやかなお礼の気持ちということもあります。
とにかく本を作ることから今日に至るまで鈴木比佐雄さんは、お亡くなりになりました鳴海さんの意を体して、幾度も鳴海さんの書斎を訪れ資料を漁りました。そして資料を整理し、そして私共が長い間お付き合いしても分からなかったいろいろな資料を発掘されました。ほんとうに今までになかった鳴海さんの横顔が出てくるような形で資料を整理されました。これは素晴らしいことでした。そしてまた「炎樹」の佐藤さんは、詩人会議のお付き合いもあり、また近くであるということもあってその志相通じ、非常に深い愛情と眼をもってこの作品の整理やその構成に豊かなご意見をくださっておりました。それから大掛さんは、細かいところまで非常に気を遣い、奥様のお慰めから女性にしか分からない部分をきわめて的確に把握し、そして皆一致団結してここまで運んできました。僕は遠い所からそれを見ておりまして、こんなに素晴らしい一致団結して作り上げた詩集というのは極めて珍しいと思いまして、主催者ですがその話をしておきたかったから私がこれを買って出ました。そしてこの本は、一生懸命になった皆さんと同じように奥様も、一生懸命これを支えてくださいまして、何度かの会合でも、何度行っても、資料を本当に気持ちよく出してくださいました。それは逆に言えば、そのことによって、生前の鳴海英吉さんよりももっと深くこの社会に資料を残すことができたのだと私は思っております。
今日は御礼を兼ねまして皆さまと共にその喜びを分かち合い、なおかつ新しい鳴海英吉像を作っていただく機会だろうと思いまして、このようにお集まりいただいた皆さまに心から感謝いたしております。主催者であります人とこの本を編集の段階から装丁、その全体の構成に対するご意見まで、心からのご意見を出してご協力くださいました本多企画の本多寿さんも見えております。詩人ですから当然だと言えば当然ですが、この素晴らしい品格のあふれた装丁をもった詩集は、こうしてできたわけであります。ほんとうに皆さまの、そしてこんなにまたその結果がこんなに多くの人に読んでいただき、そしてこんなに多くの人が参加してくださったということ。これで僕はまだ日本の詩誌は充分にやって行けるものだ確信しております。
これからたくさんのプログラムがございまして、宗先生の素晴らしいお話、また新たに構成から何から一生懸命やりました皆さまを中心にシンポジウムもあり、多方面から鳴海英吉の詩を見ることができます。そして何か新しいものをここから汲んで持っていただければ、本日の会を行ったということの意義は充分にあると思います。ほんとうにありがとうございます。最後に、この私が涙が出るほど感激したというスタッフをご紹介し、私のご挨拶は終わらせていただきます。
それでは「炎樹」の佐藤文夫さん。(拍手)それから「光芒」の大掛史子さん。(拍手)そして、これこそほんとうに編集をやってしまった「COAL SACK」の鈴木比佐雄さん。(拍手)それからこの素晴らしい詩集を具体的に作り上げた功労者であります本多企画の本多寿さん。(拍手)
以上であります。これから三時間充分に、現代詩とは何か、そして今どのように鳴海英吉は皆さんの心の中で活躍するか、順にやっていただきます。これを進行するのが佐野千穂子さんです。よろしくお願いいたします。(拍手)これで私の役目は終わりまして、このマイクを佐野さんにお渡しいたします。(拍手)
【プロフィール紹介】
司会(佐野千穂子) ただ今ご紹介いただきました、司会の進行を務めさせていただきます佐野と申します。それでは早速ではございますが、最初に玉川侑香さんに鳴海さんのプロフィールを語っていただきたいと思います。玉川侑香さんは詩人会議に属し、「文芸・日女道」に属していらっしゃいます。詩誌は『プラタナス』を主宰していらっしゃいます。また阪神大震災の語り部として、自作詩の朗読をいつもあちらでやっていらっしゃるようでございます。では玉川さん、よろしくお願いいたします。
玉川侑香 皆さんこんにちは。神戸から来ました玉川侑香と申します。鳴海英吉さんの紹介といいましても、非常に私的な視点からのご紹介ということでお許しいただきたいと思います。
鳴海さんとは、詩人会議の二十周年記念のパーティーで最初にお会いしました。もう今から二十数年前になるのかと思います。鳴海さんの晩年、私にとってどういう方だったかなと思うと、正直言いまして「かなわン方」だったのですね。関西で「かなわん!」と言いますと、もう絶対の拒否。もう困る、困るという「かなわん」ですね。「あぁ、かなわンなぁー」と言うと、もう八割九割方の譲歩なのです。あるいは百パーセント受け入れて「あぁ、かなわンなぁー」という…。私にとって鳴海英吉さんというのは、晩年そういう存在でした。と言いますのは、まず「かなわン」の第一番目は電話です…長いのです。それも、私は店をしていますから食事の用意がいつも遅い。鳴海さんはもうちゃんとごはんを食べて一杯飲んでいるのだと思うのですが、その頃かかって来るのです。私がちょうどごはんの支度にとても忙しく思う、茶瓶は吹くは、お鍋は焦げるは、という頃に電話がかかって来るのです。
「誰だか分かる?」「分かりますよ、鳴海さんでしょう?」「違うよ」…というところから始まって、およそ一時間なのです。だから「すみません、今ちょっとお鍋が焦げるんです」「ああ、じゃあガスの火を止めてきたら」「はい、ちょっと一度切ります」
そしたら、またほんとに五分後くらいにかかってくるのです「お鍋切った?」って…。だからもうほんとうにその時には、娘に「コレをあっちへやって。コレをあっちへやってね」というふうに手で指図をしながら鳴海さんと電話でしゃべる。それともう一つは、やはりお酒ですね。神戸、姫路に来られた時にお酒が入ります。いろいろ仲間と口論になります。鳴海節でさんざんぶち上げて、会の皆が帰ってしまうという「ほんとにあぁ、かなわンなぁー」という場面が幾つかありました。
でも、ほんとうはこういう無礼を申し上げてはいけないのです。私はもし鳴海英吉さんに出会わなかったら、今自分が自分の表現として詩を書くということをきっとして来なかったと思うのです。鳴海さんに出会い、そのあと鳴海さんから電話をいただいたのが最初です。「詩を書いているんだって? じゃあ送って来いよ」と言われたので、書いているものを送りました。すぐに折り返し電話があって「うん、アレ全部ダメ」「ああ、そうですか」。それと一緒に『ナホトカ集結地にて』という詩集が送ってこられました。それを読んで、私はものすごく感動しました。人の生き死にをこれほどまでリアルに、そしてほんとうに失い続けている喪失感を持ち続けてなおかつ書くという、
それに私の魂を揺すられてしまいまして、その返事を書きましたら、また折り返しお電話をくださいました。「アンタ本気で詩を書く気ある?」「はい、あります」と思わず言ってしまったのが運の尽きなのですね。それから「じゃあ書けたもの送ってこい。でも、俺がダメというものは絶対ダメなんだぞ。だから人前に出すな」と言われました。だからせっせと送ったのですが、皆だめでした。ある日、これは大丈夫かなと思った詩に赤の朱で「ここを直せ」「あそこを直せ」というような言葉を入れて返ってきました。何かそれがすごく腹が立ちましてね、それで手紙を書いたのです。《酔っぱらって人の作品に朱を入れないでください》って…すごいことを言いました。そしたら、もうすぐに電話がかかってきました。「馬鹿野郎! 俺はな、酔っぱらっても詩を書く時は正座してンだ!」「そんなモン見えません!」と言って電話で大喧嘩をしました。そういう大喧嘩が幾度かあって、それから私は最後に、鳴海英吉の吉を取りまして「吉やンさいなら」という詩を書いたのです。それを鳴海さんに送りました。「ウン、これでいい」…最後はそれだけでした。そのあとは、何か気楽なお付き合いをさせていただいたように思います。ただ、最後だけはそんなふうな電話のやり取りが長かったので、本当にご病気だということをもうギリギリまで知ることができなくて、最後はお別れに立ち会うこともできなく、それがずいぶん心残りでした。
何かいろいろこういううわさ話をしますと、また長い電話がかかってきそうです。ほんまに、かなわンなぁ…終わります。(拍手)
司会 どうもありがとうございました。鳴海さんの横顔というのでしょうか、たいへん生き生きと伝わってまいりました。もれ賜るところによりますと、侑香さんはたいへん「侑香」「侑香」と言って鳴海さんに可愛がられたそうでございまして、何よりだったと思いました。しかし、詩のやり取りということがそれほどに真剣だったということもお話の中で伺うことができまして、「やっぱり鳴海さんだな」と、今お聴きして思ったところでございます。たいへんありがとうございました。 |