詩 の 原 故 郷 を 求 め て
株式会社コールサック社のグラデーション
第一回 鳴海英吉研究会
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◎第四部 シンポジウム「鳴海英吉を俎上に
      ──その多彩な魅力に迫る井戸端会議」
      コーディネーター…大掛史子
      パネラー…水崎野里子、鈴木文子、山本聖子、
株式会社コールサック社の役立つスペーサー玉川侑香、岸本マチ子、田上悦子

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大掛史子 追加料金を払うようにと今エミールの方から言われてしまいましたけれども、まぁ追い出されるまでちょっと(笑)、少しの時間を「井戸端会議」ということでやらせていただきます。わたくし、司会の大掛史子でございます。
  ここにお並びの方々、ほんとに皆さんもう有名人ばっかりで、「おかみさん詩人勢揃い」という感じでございます。ちょっと簡単に鳴海さんとの接点だけ紹介させていただきます。
  先ず、いちばん遠くからいらした、沖縄からいらっしゃいました岸本マチ子さん。鳴海さんが岸本さんの『ヒミコ』という詩集をもう大好きで、「おれもいつか『ヒミコ』みたいなのを書くからな」っておっしゃっていたくらいで、そういう方です。ほんとにひと言ずつですけれども。
  それからその次に、神戸からいらっしゃいました玉川侑香さん。玉川さんはもう、鳴海さんが娘のように可愛がっていらして、「神戸の侑香のところに行けば俺の資料は全部揃っているから、そこに行ってくれ」という遺言を遺されて、それでその資料のお陰で『全詩集』もできたという、もう大変なそういう方でございます。
  それから、調布からいらっしゃいました田上悦子さん。先ほどの鳴海さんの貴重な映像を見つけ出して、あれは先ほどのは、田上さんのお宅でございました。磯村英樹さんなどもちょっと写っていましたけれども、奄美の島唄の会をしたときの映像で、本当に貴重な映像をお持ちくださいました。田上さんの弟さんと鳴海さんの演劇青年時代がちょっと接点がありまして、そういう方でございます。
  それから、川崎からいらっしゃいました山本聖子さん。こちらは鳴海さんとは直接お知り合いではなかったのですけれども、鳴海全詩集を非常に熱意と誠意をもって読んでくださいまして、これから大鳴海論を展開するという意欲に燃えていらっしゃいます。
  それから、野田からいらっしゃいました鈴木文子さん。鈴木さんも大変お親しかった方で、鈴木さんのお母様のことを鳴海さんが大好きで「おっかさん」というふうに呼んでらして、「おっかさんの煮しめほど旨いものはありゃしません」というふうに、お母様のことを気に入ってらした方でございます。
  それから水崎野里子さん。最後になって申し訳ありません、船橋からいらっしゃいました。最近もう精力的に鳴海さんの詩論をどんどん書いてらして、鳴海さんの詩の翻訳もなさっていらっしゃいます。これからどんどん鳴海さんに取り組んでくださるという、非常に熱意のある方でいらっしゃいます。

 そういう方々でこれから井戸端会議ですので、ほんとにざっくばらんに何でも、面白いこと、可笑しいことをしゃべってしまおうという感じで進めさせていただきます。先ほど武力也さんもちょっとおっしゃってましたが、ほんとに鳴海さんという方は女性に人気のある方で、死後四年も経ちますのに、こうして多くの女性達、まぁ男性もですけれども、集まれるっていう大変不思議な存在だと思うんですけれども。鳴海さんってどうしてそんなに魅力があるんだろうか、その衰えない魅力っていうのはいったいどういうところにあるんだろうかと、まぁあまり堅苦しくならないで、思う存分に、もう論理的じゃなくてよろしいですので、どんどんおしゃべりしていただきたいと思います。
  岸本さんなどはいかがでしょうか? 沖縄と千葉でちょっと離れていらっしゃいましたけれども、非常に密着した鳴海さんとの関わりというのをお持ちだったと思うのですけれども。鳴海さんの魅力というのは、まずどういうところでしょうか?

岸本マチ子 はい。「密着した」っておっしゃられると(笑)ちょっと困ってしまうのですが。わたくしは鳴海さんという方が、ひと言で申し上げると、やはり「優しくて、やっぱり男だな」という感じがしました。非常に男の魅力を持っていた方じゃないかなという感じがします。そしてその「優しい」ということがただ普通に言う優しさではなくて、実はわたくしはいろいろと事件に巻き込まれていろいろありまして、そして自分の身から出た錆なんですがいろいろなバッシングに遭いまして、その時に真っ先に、いちばん最初に声を掛けてくださったのが……鳴海さん……だったんです。だから、やっぱり彼の優しさっていうのはただ単なる優しさではなくて、先ほどおっしゃっていらっしゃいましたが、何ていうんですかね、筋金入りっていうか、「階級憎悪」ということを(笑)先生がおっしゃってましたけれども、その階級憎悪というものが底辺にあって、それに対してこうバッシングを受けたり、それからいろんなそういう……要するに、人間社会というのは自分達が生き残るために誰かを弾き出さなければいけない、そういう社会なんですね、ですから士農工商なんてものがあったり、インドなんかのカーストなんていうのがあったり、そして資本主義があったり、共産主義があったり、そういう組織に属さない、そういうものに入りきれないいわゆるアウトサイダーみたいなもの、そういうものはどんどん弾き出されて、どんどん切り捨てられていくっていう、そういう社会的なものがあるわけですよね、そういうものに対して敢然と鳴海さんは、そういうふうに切り捨てられた者に対していち早く目を向ける、言葉を掛けてくださる。その優しさ、そういうものに非常に感激しました。
  それで、彼こそはやっぱり男だなということで、わたしはこういう会があったらできるだけ来たいなという気持でおります。そして今日まいりまして、驚きました。二千円では安い! 何か申し訳ないなっていう感じがして(笑)、あとで寄付したいと思います。とっても素晴らしい鳴海さんの朗読、もちろん今の津軽三味線とか武力也さんの朗読、みんなもう。それから先生のお話、非常に良かった。もう全部、全部良かった。その中で特に鳴海さんの朗読を写真で再現して拝聴できたということ、これはわたくしにとって今日はるばる沖縄から来たとっても収穫でした。ほんとうにありがたかったと思います。ありがとうございました。
 
大掛史子 はい、ありがとうございました。
  やはり遠くからいらした方を優先させていただいて。玉川さんはけっこうお酒も強くて、鳴海さんと飲む機会というのはずいぶんおありだったと思うのですが、そのあたりのことから、鳴海さんと飲んでいて困ったとか、いろいろ何かエピソード的なこと、ちょっと教えてください。
 
玉川侑香 もう鳴海さんと飲んでずいぶん困りました。初めて出会ったのは、『詩人会議』のパーティーなんです。わたしはフラッと出掛けて行ったものだから、その時に鳴海さんが初めて声を掛けてくださって、「どっから来たの? 送っていこうか?」って言って。「ああ親切なおじさんやなぁ」と思ってね。あ、じゃあ送ってもらうんだって。「駅を教えてください」って言ったら、鈴木文子さんじゃなかった? 「鳴海さんになんか送ってもらったら駄目、駄目!」とか言ってね(一同笑)、出て来てつよく間に入ってくださるのね。何でかなあと思って。それからあと、意味がわかりました。(笑)
  神田で一度飲んだ時には、ほんとに二人で一升瓶を空けるくらい飲んだんです。もちろん七、三か四分六ぐらいなんですけど。何かもう頭が朦朧としてきたなかで非常に鳴海さんに『列島』の話を聞いて。またその頃わたしは詩を書き始めたばかりで、『列島』がいったい何なのか、『荒地』が何なのか全くわからなくて。でもそのすごい熱弁をね、わたしはその鳴海さんのお酒の中で聞いた。あの熱っぽい詩に対する情熱であるとか、彼の生き様であるとか、何かそういうことがすごくね。それはいいお酒でした。
  それから、関西へ来られてね、時々お酒の席を付き合った時はもうほんとに大変でね。一度姫路で、『姫路文学人会議』というところで鳴海さんを招待して、それで飲んだんですが、その後ホテルまで送って行くのに、わずかこの歩道橋を渡るこれだけが一時間かかったんです。一段上がってはもう何かいろいろいっぱいね、彼の文句を聞いて。なんかわけわからないけど、つかみかかられて。「ああ鳴海さん、ホテルはあっち、あっち!」ってまた二段上がらすと、三段降りて帰ってくるっていうね。そういうことでほんとにね、鳴海さんのお酒にはずいぶん後は困りました。けど、今思うと何かすごく懐かしいですね。
 
大掛史子 はい、ありがとうございました。
  何か鈴木さんはお寺で鳴海さんと一緒にお泊まりになったという体験をお持ちなのだそうですけれど、そのあたりをちょっと披露してください。
 
鈴木文子 わたくしがですね、鳴海さんとの最初の出会いといいますのは、千葉に『千葉詩人会議』というのが一九七四年にできまして、今日もお見えになっていますけれども遠山信男さんが『千葉詩人会議』の代表でいらっしゃって、それで市川で発足式をやったのですけれども、その時に初めて鳴海さんにお会いしました。その後鳴海さんと遠山さんがけっこうわたしのことをちやほやしてしてくださいまして、「陸に上がった蛸の話」という詩をよく遠山さんと鳴海さんとお二人で「あの詩は良かった」とかなんとか、いろいろ話してくださっていました。それからですね、一九八一年に鳴海さんから『詩人会議』の常任運営委員をバトンタッチいたしました。「文子、おまえがやれ」ということで鳴海さんからバトンタッチしまして、それからずっと詩人会議に居るわけですけれども。
  今大掛さんから話がありましたお寺のお話というのは、皆さんご存知のように、不受不施派の研究家でもいらっしゃったわけで。わたくしは、あれは……そうですね、国立歴博ができましたのが一九八三年の春の頃だったと思います。それで、まだできたばかりで、そこを見に行きながら、千葉県に多古町という不受不施派のその町一つ全部が不受不施派の信徒の方でいらっしゃる所があるのですけれども、そこに今はもうお亡くなりになりました上林猷夫先生なんかとご一緒して、正覚寺というお寺に泊めていただいて、それで朝の御勤めから何からずっとそこで過ごしたことがございます。その時に、その多古町というのは忍者の町のようにできておりまして、どこに行っても突き当たる。それで、二階には隠し部屋みたいなのがありまして、それで普段は梯子は隠してあるのですが、手入れがある時は梯子を登って隠し部屋に隠れていたというような、そういうような町でした。ですから、今から二十年くらい前だったと思います。
  それでその時に、不受不施派は「隠し墓」というのがありまして、普通の一般の人のお墓の後ろにいわば隠れキリシタンみたいな感じで小さなお墓があったんですね。それで「これが不受不施派なんだ」ということを教えていただきました。それと、全部墓石を埋めてしまって、その埋められた残りというかそういうものが見えているそこの所で、鳴海さんと上林先生が朗読をなさいました。その時に、二人共もう目に涙を浮かべながら……あの時の朗読というのは、忘れられません。何か先ほどビデオを見せていただいて、「ほんとうに鳴海さん、まだ死んでないなぁ」なんて、そんなことを思いながら見せていただいておりました。

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