【開会の挨拶】
芳賀章内 今日はほんとうに錚々たる講師や皆様お集まりいただき、主催者側は大変感激しております。私は鳴海さんと同人として一緒だった「鮫」の芳賀章内です。よろしくお願いいたします。
きのう、あまり僕の部屋が汚いものですから整理をしていましたら、鳴海さんのお亡くなりになる年の年賀状が出てきました。そこには鳴海さんの「二〇〇〇年の辰年、新世紀献上」という印刷文のご挨拶がありまして、そのあとに次のような添え書きがありました。例の四角張った字です。《お荷物にならないつもりが 新世紀まで生きちゃって、なんと 喜寿と重なるとは笑わせます》
──こういう文面でした。これを読みました時に僕は、鳴海さんの人柄を彷彿としてよみがえってきました。しばらくこれをじっと見ておりました。ほんとうに鳴海さんの人柄と作品というのは、非常に対応しているというようにその時に思ったものです。
この第二回の鳴海英吉の研究会の前の、いわゆる第一回の鳴海英吉研究会は、鳴海さんの詩的出発ということになりましょうか、戦後の「列島」の時代の若き鳴海像について長谷川龍生さんにお話をいただきました。そして今度は第二回目です。皆さんもお読みになったと思いますが、この八月号の『現代詩手帖』の特集というのが「戦後六十年〈現代詩〉再考」と題したもので、戦後を支えた九十五人くらいの作品を紹介し、そしてご出席の皆さんが解説の座談会をしておりました。その中に先の長谷川さんも出ておりました。長谷川さんはその中に鳴海英吉の「へんろ道」というのを戦後の代表作の一つとして載せました。それを読みまして、僕はやっぱり鳴海さんの詩は朗読に非常に向いている作品じゃないかということを改めて考えさせられました。つまり「朗読」というこの言葉、これが今回のテーマであることの妥当性を再度確認させられたわけです。そして有り難いことに、このテーマに非常に強い講師や皆様にたくさんお集まりいただきました。これできっと非常に新しい、いわば今までの朗読というものの盲点を見出したり、あるいは理解の幅を拡げることが今日はできるのではないかと思った次第です。ほんとうにその意味では講師や皆さんは朗読研究心に熱心しかも、朗読に長けていますので、繰り返しますが、おそらくこれらのお話を上手に整理しますと日本の今日の新しい一つの朗読方法を見出すことになるのではないかという感じもいたします。
朗読というのは、必ずしもみんな喜んでいるかどうかということは分かりません。例えば、その「現代詩手帖」八月号で吉増剛造さんは「括弧付き朗読否定論である」ということを言っています。「括弧付き朗読否定」というのはなかなか面白い言い方です。しかし「括弧付き朗読否定だから朗読をしておる」と──こういう言い方です。つまりかれは、朗読はしているんですね、実際。それから、大分むかし、荒川洋治さんは「まだその朗読をする前に私にとってはやることがある」というようなことを言っております。しかしこの両者ともいわば「軋み」というか、音声と文字の軋み、あるいは言葉と思想の軋み、あるいは言葉と表現の軋みというのを考えているからで、最終的の根本的なものとしては人間の声というのをやっぱり否定できないところで苦労しているというようなことじゃないかと僕は思っております。つまりり言語を──内言語、内言あるいは内語と言いますか──表に出ない言葉、声や文字になる以前の言語というのが人間の内側にあるとすれば、それがすぐに声に結びついたのが口承文芸というふうな形で現れているのではないかと思います。そしてその内言語がまずは記述化される文字言語になり、その文字言語が声に結びついた時に「朗読」という一つの構造ができておるんじゃないかというように考えるわけです。そしてその文字言語と音声言語、文字言語と内言語、その間の軋みがですね、やっぱり一つの、彼らが朗読を否定したり「括弧付き」と言わなければならないところではないかと、僕は推察したんです。それで今日僕はそういう意味では、今日の講師や朗読者たちはそれをどのように超えてていくか、きっとその軋みを上手に埋めていくだろうということを非常に期待しているんです。僕は、三、四年前に「詩人会議」で朗読の特集をしたことがありましたが、あれを読みました時にやっぱり「軋み」というのをどのように乗り越えるかということが非常にいろいろな形で問題になっていると感じたのです。ここにご出席下さっている、玉川侑香さんとか遠山信男さんなどがエッセイを書かれているのですか、やっぱり「声」とポエジーというのを結び付ける非常に大きな問題がたくさんそこで拡がっているということを見たわけです。そういうことですから僕は今日は非常に楽しみにして、今後の展開を見ていきたいと思います。またシンポジウムや朗読の前に、鳴海詩の今日的意義についても斬新的視角から柴田三吉、水崎野里子の講演もあります。鳴海詩の内容と形式の両面から、その本質に迫りますので、恐らくご出席の皆さまは失望することはないだろうと思います。ほんとうにそういう意味で、今日はお家に帰ります時に素晴らしいお土産をたくさん持って帰れるのではないかと思っております。最後ですが、今回の会を組みましてそしていろいろなことをができますのは、ここにおられる鈴木比佐雄さんをはじめ佐藤文夫さんや大掛史子さんの千葉県勢の活躍の賜であります。僕は埼玉で付録の方ですから、最初の窓を開ける役目を仰せつかりましてご挨拶をさせていただいたのです。よろしくお願いいたします。(一同拍手)
鈴木比佐雄 初めての方もおられると思うので、かいつまんでこの会の成り立ち及び方向性を少しお話しさせていただきたいと思います。
二〇〇〇年の八月末に鳴海さんが亡くなられた時に鳴海さんを後世に残そうという声が挙がりまして、「COAL SACK」に鳴海さんがずっと寄稿して下さったということとあと「炎樹」「鮫」「光芒」の主宰者及び代表者が集まって「鳴海英吉全詩集刊行会」というのを作りまして、その後二年をかけて二〇〇二年の八月の命日にこの『全詩集』を刊行しました。翌年の二〇〇三年の春に、ここ(ヤマザキパン企業年金基金会館)で宗左近先生に講演をしてもらって出版記念会をやりました。その後昨年「第一回鳴海英吉研究会」を九月にやりまして、今回は二回目になります。今回に関しては、今年は終戦六十周年・日韓条約四十周年ということもありまして、そういう記念すべき年だったにもかかわらず、歴史認識の違いによって反日の嵐になってしまった。そして日本の中からはいわゆる脱亜論的な、百年前を彷彿させるような非常にアジアとの距離をとっていく論調もたくさん出てきたということもあって、日本、中国、韓国、北朝鮮など国家がナショナリズムを煽るような情況になってきました。鳴海さんが亡くなる直前まで「戦後詩の根本というのは民主主義だ」ということをよく言ってたんですね。あと「アメリカのシステムは日本を滅ぼすんじゃないか」とか、そういうようなことも言っていましたが、鳴海さんは民主主義をとても大切に考えていました。詩を書ける環境は自由で民主主義でなければ不可能だと痛感していたからでしょう。アメリカに関しては「アメリカ型の民主主義が全てではないんだ」というような考えををもっていましたね。それは仏教思想の中に民主主義が根底にあることを洞察していたからなんですね。それで今回の講師を選定する上においていろいろ四人の実行委員たちが考えて、やはりアジアの眼差しをもった詩人であり詩論をもっている方にお願いしようということで、それで先ず柴田さんにお願いしたいなと。柴田さんは昨年『遅刻する時間』という素晴らしい詩集を出されて、その中で非常に感心したのがポルポトの墓を見に行き、「蝉」という詩を書かれているんですがね、ここで書かれていることは、ポルポトがタイヤと一緒に燃やされた墓があるところに行って、蝉を聞くんですね。そこでアジアの民衆っていうんですか革命の名の下に殺されたたくさんの民衆たちの無言の声を聞こうとするわけですよね。──そういうアジアの民衆の視点ですよね。そういう視点がやはり今こそ必要だと。そういう視点から鳴海さんを語ってもらいたいというような思いがあります。あともう一人水崎さんは、この中でも鳴海さんと接したことがない、詩もあまり読んだことのない人もいたかも知れませんが、生前の鳴海さんを知らずに『鳴海英吉全詩集』を読んで本当に評価してですね、鳴海さんの持っている精神が今の世界の詩と繋がっているということをいち早く言ってくれて、いろんな海外の詩人にも紹介してくれています。今の世界の主流になっている詩がやはりマイノリティーだとか、フリンジという周辺とかそういうものであって、今のそういう日本の現代詩はちょっとおかしいんじゃないかと盛んに言われている。それで鳴海さんの持っている革新的な叙情性が世界に続いて通じているんだということを論じています。今日はその二人に語っていただきたいと思っています。では、柴田さんからよろしくお願いします。 |