大掛史子 それでは、第二部のスピーチ・朗読に入らせていただきます。今日ははるばると遠方からお見えの方が、沖縄からの岸本さんとか神戸からの玉川さん、宮崎からの本多寿さんとか、もうはるか彼方から駆けつけて下さった方がたくさんいらっしゃいまして、ほんとうにありがたいことでございます。
第二部のトップバッターは岸本マチ子さんにお願いいたします。岸本さんは「鮫」のご同人でいらっしゃいまして、詩集に『ヒミコ』『花でいご』などがあります。それで鳴海さんは、岸本さんの人間性と作品を非常に愛されて、もう「マッちゃん、マッちゃん」というふうに可愛がっていらっしゃいました。岸本さん、お願いいたします。
1 岸本マチ子
皆さまこんにちは。沖縄から参りました。では、鳴海さんの詩を朗読させていただきます。
ただいま柴田さんと水崎さんのお話をお伺いしておりましたら、わたくしがよく存じ上げている鳴海さんじゃないような(笑)非常に立派すぎて、「えー!?」と思うような、非常に立派な鳴海さんになってしまっていて、瞬間、「お人違いじゃないかな?」というような(笑)感じがしたんですが。
わたくしは実は鳴海さんとはわりと仲良くしていただきまして、「俺はそんな善人じゃねぇんだよなぁ」なんていうようなことをざっくばらんにいつもおっしゃっているようなお人柄でした。それで鳴海さんの何というか「立派な詩」というのではなくて、もっと砕けた、非常に……多分これは皆さんはあまり読んでいらっしゃらないかなぁーと思うような詩を読ませていただきます。「結婚について」という詩なんです。
結婚について
この御時世で豪勢な結婚式をする奴は
ロクな奴はいねえ と俺は云う
だから 俺たちの結婚には
一級酒三本位でも足りそうだ
ツマミはいらない
三尺×四尺の食卓を作ってくれた木工屋
塗装の仲間が 脚を赤く表面は黒で塗装する
板金屋は 自動車の古い車体のニューム板で
叩き出して 丸められて鍋と釜になる
つまり不恰好でも堅実サで一代モノだ
腹にまかれて 背中にぶら下げられて
工場から持ち出された
結婚について
俺の持論ではこうだ
第一にこの給料では食える訳がないと
昔 おれが今のバァさんと一緒になったとき たった五円しかなかった
いくら物価が安いときでも
たったの五円ぢゃあー米の一升も買えない
それでも おれらは一緒になったものサ
以来 この年になるまでアレと一緒だ
一人グチは食えねえが
二人だと食える 所帯テのは不思議サ
仲間の持ちこんできた火箸だの釜だの鍋だの
ヘヘッ!すべて盗品なのである
厳密に云うと そうなのである
けれど この不恰好な盗品は素晴しい
そんな勇気をおれは これから持とう
俺は 胸のなかが一杯になっている
気持のいい水のように美味しい
ガラクタなこの部屋は貧しくて
なんにもないけれど
箸一本から揃えようナと 嫁さんに云う
そのとき 百三十五円ふところにある……
──という彼の「結婚について」という詩なんですが、ほんとうにこれには生活的実感が充満していて、ああそうなんだろうなぁーというふうに思えます。ある意味ではたいへん稚拙な、という感じがしますが、これこそ本物の詩なんだろうなという気も……皆さん、しませんか?(笑)そういうようなことで、わたくしはきょう山之口貘の詩も一つ、貘さんの詩に同じ「結婚」というのがあるんですが、それもちょっと読ませていただきます。それで、貘さんと鳴海さんがどういうふうに似ていたか、ちょっとその比較をさせていただこうと思っています。これは山之口貘の「結婚」という詩です。
結婚
詩は僕を見ると
結婚々々と鳴きつづけた
おもふにその頃の僕ときたら
はなはだしく結婚したくなつてゐた
言はば
雨に濡れた場合
風に吹かれた場合
死にたくなつた場合などとこの世にいろいろの場合があつたにしても
そこに自分がゐる場合には
結婚のことを忘れることが出来なかつた
詩はいつもはつらつと
僕のゐる所至る所につきまとつて来て
結婚々々と鳴いてゐた
僕はとうとう結婚してしまつたが
詩はとんと泣かなくなつた
いまでは詩とはちがつた物がゐて
時々僕の胸をかきむしつては
箪笥の陰にしやがんだりして
おかねが
おかねがと泣き出すんだ。
──という、同じ「結婚」を取り扱ったこれは貘さんの詩です。このお二方の詩を見ていると、生活派詩人という言葉がなんか浮かんでくるような気がするんです。そういうふうにまとめてしまうっていうのはあまり良いことではないと思うんですが、つまり生活的時間が充満しているという意味です。それで、貘さんもそして鳴海さんもお金にはあまり縁がなかったんじゃないかなぁと思うんですが、特に貘さんの場合、沖縄出身ということで青雲の志を抱いて日本へやって来たのに、あの当時昭和十年前後日本は不況で、ものすごく不況で、「朝鮮、沖縄お断り」という張り板が出されるくらいに差別されていたわけです。ですから、彼はどこにも就職ができなかった。そして汚穢屋さんになったりいろんな仕事に就いて、ようやく彼はこの結婚をして奥さんを貰ったとたんに、温灸器という訪問販売の会社にいたのにその会社が潰れてしまって、それで無一文になって、また夫婦して──鳴海さんは「一人グチは食えないが二人グチは食える」というようなことをここに書いていましたけれども、貘さんは一人グチも二人グチもとっても食べられなかった。そして毎年大晦日になると、貘さんはラジオに出演して「貧乏物語」を(笑)やって糊口をしのいだというような、そういう方だったわけです。それで、そういう貘さんも戦争の詩を一篇も書いてない。ですから鳴海さんも、鳴海さんと同じに、例えば一般的に「反戦論者」なんていうことを言いますけれども、そういうふうにイデオロギーなどというちゃちなもので反戦だったのではなく、ほんとうに生きる、人間として生きる最低の線から出た反戦だった──ということだと思うんです。「人間の本心」という意味での反戦。ですから、貘さんが書いた反戦詩の中でこれは素晴らしいと思ったのに「ねずみ」という詩があった。こういう詩や、それからラーゲリの詩を書いた鳴海さんの詩にしても、非常に強いわけです。吹けば飛ぶようなイデオロギーで書いた反戦詩とは違うわけです。そういう人間の本質から出た言葉というものはとっても強いと思って、それで、鳴海さんと貘さんは何てよく似ているんだろう……。
もう一つよく似ている意味で、貘さんはとってもお金に困って、もう片っ端から──親から親を食べ、兄弟を食べ、いろんな人を食べ尽くしたって。「俺は食人種だ」なんていうような詩もあるんですが、もう片っ端から借金して歩くような人だったわけです。つまり、周りにそういう温かい人がたくさんいたということだと思うんですが。それと、鳴海さんは自分の腕一本で、彼は非常に優秀な板金工だったと思うんです。もう彼の爪を見ると、みんな割れているんですよね。「オレの手見てみろ、こんなだよー」なんて見せたんですが、「握手しましょう」と言うと「いや、オレの手はアレだから…」なんて恥ずかしがって握手しないというような方でしたけれども、そのくらいに手を酷使した方でした。つまり、裸一本で両方とも恥を忍んで借金したり、裸一本でその腕一本で生活をしたりという人たちだったのにもかかわらず、貘さんはあるとき「コーヒーおごるよ」──おっしゃったんです。沖縄に来た時に。「講演会でドルがいっぱい入ったから。初めて僕はこんなに札束を持ったんだよ! 震えるんだよ!」なんていうのに、講演会でいっぱいお金が集まってもう嬉しくて嬉しくて「コーヒーおごるよ!」──貘さんにたった一度コーヒーをおごってもらったことがありました。その時の貘さん、「ケーキもいいんだよ、ケーキ食べな!」(笑)。もうほんとに嬉しそうでした。やっぱり男の人は優しいですね。そして鳴海さんからも、驚いたことに、あるときわたしは「何が好きだい?」「私はおうどんが好きなんです」「そうか、じゃぁ きつねうどんをおごってやるよ」──たった一度きつねうどんをおごってもらいました。困っていてお金が無いのにもかかわらず、「女におごりたい」という男の切ない気持、これはねぇ、すごいなぁー! ……なんか、泣けてきますよ。(一同笑い)そういう男の人はわたくし、大好きです。だからあのコーヒーの味も、きつねうどんの味も、わたしは忘れません、一生。とっても美味しかったです。それがあの二人の男の味だと思っています。どうもありがとうございました。(一同拍手) |