詩 の 原 故 郷 を 求 め て
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第二回 鳴海英吉研究会
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◎第三部 シンポジウム/鳴海英吉の詩と朗読

  コーディネーター…佐藤文夫
  パネリスト…上手宰、本多寿、辻元佳史、原田道子

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佐藤文夫 時間が三十分ほど押していますので、「シンポジウム」という形式がちょっと無理じゃないかと思います。今ちょっと四人のパネラーの方にご相談したのですけれども、あと一時間しかないんですね。そうすると、一人十五分でしょう? それを分けてやるとシンポジウムにとてもならないので、まず最初にそれぞれ十分ほど鳴海さんについて語っていただき、それから最後にまとめてまたお話ししていただくという形に変えたいと思います。
  ご紹介します。辻元佳史さん。(拍手)「分裂機械」というたいへん恐るべき雑誌の同人の方であります。それから本多寿さん。(拍手)本多寿さんは『鳴海英吉全詩集』を出版してくださった版元で、宮崎からわざわざ来てくださいました。本多企画の代表であります。それから上手宰さんですね。(拍手)上手さんは「冊」、「詩人会議」で活躍していらっしゃる方です。それから原田道子さん。(拍手)「鮫」のもっとも若い同人の方(笑)です。
  初めに、さっき尾内さんからも靖国の話がちょっと出て、柴田さんからも靖国の話が出たのですが、鳴海さんのこの『全詩集』の中にも……ちょっと一箇所だけ関連がありますのでこの百八十五頁に「おれの戦争予報」という詩があります。その終わりの方に《で どうなんだ 戦争があると思うか/おれ言う 戦争はボッパツするであろう/今度は あんたらの死ぬ番/日本のためではなくアメリカのために/だから あんたら 靖国神社に 入れない》―というふうにね、それで《戦争は ある/用意はいいか 若いもん》で終わっているんですね。これはほんとに鳴海さんが、さっき遠山さんもおっしゃいましたが、戦争予報は当たらなければいいんですけれども、何か非常な当たりそうな気配がしてきました。靖国なんかも今年は例大祭、これは小泉・ネオコン総理大臣が行くんじゃないかと思うのですが、これなどもやはりさっき水崎さんのお話もありましたけど、アジアそれから中国、韓国、朝鮮に対した責任を放ったらかして、非常に危機を強めていると言わざるを得ないと思います。
  それでは最初に十分ほど、原田さんの方からお願いします。原田さんについて資料をちょっとお手許にお配りしてありますので。
原田道子 柴田さんの語りの伝達のジレンマについてお話がございました。戦争に二度招集された大正生まれの父も、実は、短歌では表現しておりましたが、直接にその話を語ることは一度もありませんでした。
  それで、今回「朗読」ということのニュアンスが最初ありましたものですから、鳴海さんの声を聴く、傾けたらどうなるかということで、まず鳴海さんの朗読を試みたのですが、そのことでお話ししたいと思っております。ここに座っているわたくしという存在は、その身体機能について究極的には外界についての認識装置である―という考えがあり、わたくしはそのように頑固に認識している一人でありまして、その確認を鳴海さんの作品を通してなら可能なのではないかというののチャレンジです。
  『全詩集』の栞でコーディネーターの佐藤さんが鳴海さんの詩的魅力について書いてありますが《でき上がった作品は声にだして読んでみること》というくだりがありました。それで、実はわたくし自身も自分の作品を長年、必ず「朗読」よりも「読んでいる」という一人なのですが、朗読ではなくて声をゆっくりと確かめるようにまず「声を出す」「耳で聴く」「確認する」という作業で、表現された自分の世界と身体のズレがないかどうかを「声」と「耳」と「脳」という身体で確かめようとする。その一瞬一瞬に自分が本来表現したかった世界と微妙にズレがあると感じる時には、助詞一つ、例えば「が」なのか「は」なのか、それだけでもとにかく拘って、その修正にかなりの、時にはそれだけで何カ月もかかるということもありました。そこで、このシンポジウムの依頼がありました時に、「鳴海さんの声、心を聴きたい。とにかく声に出してみよう」──と思い、というよりはそういうように自分でも書いてきましたから、ぜひ鳴海さんの声を聴きたいという願いに近かったでしょうか。それでこの『全詩集』の〈序詩「ふさ子」に寄せる五篇〉に耳を傾けようと、精神統一をして試みたわけです。お渡しした資料の「接岸」のフレーズ、《うおぅー叫びにならない うめきが ゆふぐれの朱が 寝そべっているような 祖国の山と浜に 叩きつづける》。──これは散文詩ですから、歩行のような感覚で自分がゆっくりと歩きながらこの鳴海さんが語ろうとした世界を感じるわけですが、これがもうたまらなくわたくしの中では読めませんでした。以前鳴海さんのこの詩を黙視で読んでいましたが、黙視の時にはこのようにならなかったわけですので、それはわたしにとってはかなり意外な出来事でした。この鳴海さんが書いた声、もっと言えばこの場合の最初の五篇ですが、これは「ふさ子さん」の声ですよね? その声は確かにその場に居合わせたように、わたくしがそうであるかのような臨場感に心が震えたのは、多分わたくしが抱えた人生と重なる部分が多かったからだと、ここからが、本日の展開のスタートといえます。声を出したことから、何が生じたかという視点において、スイスの思想家のマックス・ピカートという方が次のように書いているそうです。
  《人間は日常言語において人間や物について自分が語ることを聞いている。詩においては、物が物自身について語ることを聞くのである》
  まさに冒頭に申し上げた、究極的には外界についての認識装置であるわたくしの心に届いた声は「鳴海さんが聞いたふさ子さんの声」であるという、この世界はまさに詩そのものであり、そこに鳴海さんの詩の世界、自分が語るのではないという独自性を、改めて実感した思いです。
  この鳴海さんの詩の独自性ですが、これは仏教的ニュアンスが非常に漂うその独自性について、石村柳三さんが次のように細かく書いております。《内面的リアリズム精神と語り部の詩をマッチさせた独自な詩法だ》と。鳴海さんの詩に散見される庶民仏教徒としての詩人の質、それは先ほど何度か「南無阿弥陀仏」という朗読もありましたし、南無金剛遍照という空海のそれもかなり書かれてあるのですが、そのことについて近づいてみたいと思います。
  その前に、わたくしと鳴海さんとの初対面は多分、わたくしが高松から東京に戻って来たのが一九八五年、多分翌年の一月だったと思いますが、一九八六年、「詩と思想」新年会の受け付けをしていた時です。鳴海さんがいらしていてわざわざ「こういう者です」という紹介があり、その時から近からず遠からずの関係がずうっと続いておりました。多分……鳴海さんの朴訥な人柄もそうですが、わたくしの中に同質な匂いを感じ、好意を抱いたからだと思っております。それはシベリヤの不条理の世界にあって「生きている」という観念ではなく、「生かされているのだ」という境地、そこにわたくしは多分同じようなものを嗅いだのだと思います。
  なぜ同質かということなのですが、二つあります。先ほど「南無阿弥陀仏」というのをどう読むのかというくだりがありまして、実は義兄の「南無阿弥陀仏」の声明が格調高いと申しますか、それがわたくしの中にかなり残っておりまして、──そういうことがわたくしの中にかなり影響を及ぼしたかなあということ。二つ目は、夫の転勤に伴い香川県高松市に七年間在住しまして、鳴海さんの世界にある遍路の世界、空海の世界を暮らしの中で間近に理屈抜きに接したということが多いかと思います。そんな中での宇宙とフラクタルな関係にある「生かされている」という実感、強烈な体感をしたことがあります。今でも忘れもしない一九七八年一月四日、真冬のことです。その時に蟻などはいるはずがないのですが、その高松の防波堤に一匹の蟻が蠢いていたわけです。そこで眼下に動き回る一匹の蟻を身動ぎもしないで見つめているわたくしの存在と宇宙との関係に生じた鳴海さんの境地──生かされている──という、そんな衝撃がずっとわたくしの中に残っています。
  それでこの「南無阿弥陀仏」との関係なのですが、近頃ある本の中からこのような一文に出合いました。《「南無阿弥陀仏」とは、仏自身が自分を言っている言葉であり、その仏の名乗りが私に反響しているのだ》と。つまり《「南無阿弥陀仏」を唱えるとは、仏の方から私を呼んでいる言葉が私という存在に当たってこだましていることをいう》と。これはまたいずれ鳴海さんとつながっていることなのですが、先ほどこの(資料を)渡したのはわたくしにも「南無阿弥陀仏」にかかわる表現があり、それは鳴海さんとかなり酷似している。ただ、わたくし自身としては鳴海さんと出会ったのが八六年ですから、その前の詩集のことは存じ上げておりませんから、今回初めてこの『全詩集』を拝読して知ったことが多うございまして、お手許にあるこの『ナホトカ集結地にて』のパート2の「雪」、そのあと先ほど朗読なさった方もいらっしゃいますが、この「南無阿弥陀仏」です、それとわたくしの『あけび物語』の(コピーの)2枚目。最後の方に《(なむなむ。なぁ。む)》とここに切ってあるやり方。これは鳴海さんが「言葉を解体する」と後ほど書いておりますけれども、いずれまたそれは触れますが、多分これは眼で見るよりは読んでいただくことの方がつながるかと思いますので、後ほど時間がありました時に是非皆さまが「朗読」ではなくて確かめるように読んでいただければ幸いだと思います。
  また、この話がありました時にちょうど詩集などを整理することがあり、鳴海さんとわたくしの関係を新たにみつけました。詩歴に鳴海さんが「月刊近文」に執筆をしていることがあったということが載っておりますが、実はわたくしも、赤石信久さんの紹介で大阪の伴勇さんに(鳴海さんと似たような感覚)乞われるままに「月刊近文」に執筆、鳴海さんもほとんど同時期に書いていらっしゃいました。もちろんその頃は当然のことですが、あまりこの「月刊近文」のことについて鳴海さんとお話しすることはなかったものですから、「月刊近文」にわたくしと鳴海さんの名前が掲載されていることを、改めて手に確認しますと、詩的方法論においてやはりリンクするところが多かったのだと、今つくづく思っております。それはわたくしと鳴海さんがあまり深い話をしなくても、「よう!」……わたくしのことは多分「おみっちゃん」とか(笑)おしゃっていたと思うのですが、そのような関係の中で、多分鳴海さんもそのようなのを感じて下さってお話し下さったのだと思います。
  それからもう一つ「リアリズム」のことですが、「創作覚え書」に鳴海さんがやっぱり書いているんですね。四九二頁から四九五頁ですが、日常的素朴リアリズムではなく、真のリアリズムについて次のように言及しています。《戦争詩自体は重要なテーマだが、いつも同じテーマ手法では発展しない》という指摘の中で、一遍上人の《(仏も神もなかりけり、なむあみだぶつ、……》として仏も否定していることに注目。すなわち「捨離」(捨ててこそ)ということに注目したわけです。鳴海さんは、それを「解体」と名付けたとあります。言葉自体のもつ機能そのものの解体ではなく、生き生きと生き返らせるために言葉のそのものを解体、例えば「リンゴがリンゴだけでしかない」表現、(日常を素朴に詩の中に持ち込む)ではなく、リンゴの本質に迫るということで。それを言い換えますと、「(おれ)という詩人の中で検討」「再吟味」をし、日常性を解体、詩人のリアリズムとして「再び詩として再生産」する。一方で解体し、一方で再生産するのだと。この「解体」といわれる真のリアリズムがこの『全詩集』の冒頭にある「接岸」、そこに充ち満ちていたから、わたくしのあの涙はそうなのだといま改めて実感しています。
  もう一つ付け足しますと、この鳴海さんが名付けた「解体」(捨ててこそ)、という解体の意味をわたくしはこう捉えました。「人間の認識の仕方は第一次、第二次、第三次まである」言語の論述機能である二次過程ではなく、自我意識を超えて自己と非自己のない一元的に目覚める」ところ。三次過程の超越、それを鳴海さんは「解体」という表現をしたのではないかなと思います。

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