長津功三良 これから第二部を始めますが、その前に第一部の挨拶予定者であった中国新聞社特別論説委員であり、「広島花幻忌の会」会長の安藤欣賢さんが見えていますので、広島の代表としてご挨拶をいただきます。
安藤欣賢 実はここへ来る前に、あるアメリカの三十一歳の青年の広島に調査研究で来たその奨学金を贈る式がありまして、そこへ出なければならなかったものですから遅れました。その研究というのは何かと言いますと、アリゾナ博物館と靖国神社と広島原爆資料館の三箇所において、日本人とアメリカ人の戦争の記憶がどういうふうに形成されたかを比較研究するという研究なんです。つまり、われわれが受けとめている戦争というものとアメリカ人の戦争という考え方とどう違うのか、そのへんを明らかにしたいと。それを三十一歳の青年が考えて、靖国をまわって今、広島に来たというところです。先日は花幻忌の会でイタリアの青年が原爆作家の大田洋子を話してくれましたし、どうもこのところ海外から何か力を頂いているなというふうに感じております。今日はまた韓国からわざわざおいでいただきまして、ありがとうございました。実は詩集を頂きながら報道する人間の方にすぐ渡したものですから、まだ読む暇がなくて。ただパラパラッと見たところでは、先ほどもちょっとおっしゃっていました距離を超えて広島を見つめておられ、しかも日本人、朝鮮人の両方を見ながら詩を作っておられるという、その集中力といいますか、あるいは持続力といいますか、それは非常に感銘を受けるものがあると思いまして、これからじっくり読ませていただきます。どうもありがとうございました。(一同拍手)
長津功三良 それでは、東京から柴田三吉さんが見えておりますので、簡単なスピーチを五分程度よろしくどうぞお願いします。自己紹介をよろしくお願いいたします。
柴田三吉 初めまして。柴田と申します。
まず、私がこの詩集の訳者である韓成禮さんと初めて会ったのは、狛江の韓国語同好会が主催した会で、十年くらい前だったように思います。その後、高さんが、同じ狛江の韓国語同好会の招きで日本に来られたときに、初めてお会いしたわけです。それが七年くらい前でしたか。まさか、その時の出会いがここまで続くとは思いもよりませんでした。それはたぶん、韓成禮さん、日本の本多寿さん、鈴木比佐雄さんたちの努力の中で、うまく関係が保たれて発展させられてきたからではないかと思います。やはり国を越えた友情とは、人の関係の中で育ってくるものだなと実感しました。私一人だったら、まったくそういうところには関わっていけなかったことだったので、ほんとうに感謝しております。
今回『長詩 リトルボーイ』の日本語版が出るということで、鈴木さんから書評を書いて欲しいと言われ、ゲラを読んで書き始めました。これだけの内容のあるものですから、簡単には書けないと思ってはいましたが、けれど書くうちにだんだん長くなってきて、最終的に二十七、八枚になってしまいました(笑)。半分くらいは作品の引用なのですが、やはり語ることの多い、語らなければいけないことの多い詩集だなと思いました。
書評の中で私は、この『リトルボーイ』の主題は三つあると書きました。一つは原子爆弾――核兵器の問題ですね。核兵器の文明論的な問題というのが、まず大きな問題としてあげられます。もう一つは、いわゆる在日朝鮮人の問題ですね。原爆投下に至るまでの道のりを、彼らの暮らしの内側から描いているということです。三つ目が原爆そのものの破壊力、恐怖を描く部分。そうした三つの柱があるかと思います。
日本の文学の中でも核兵器の文明論的なもの、その破壊力、あるいはそこにいた人間たちの精神的な問題ということは多く書かれてきたわけで、私もこれまで、そういうものは沢山読んできました。けれども、この本でやはり特筆されなければいけないのは、広島にいた朝鮮人の人たちがどのようにして被爆の場に至ったか、という問題だと思います。それは日本人にとってもとても大切な問題です。また、そのことを、韓国あるいは北朝鮮の人たちの中にも、大切な問題として伝えていかなければというふうに思いました。ですから私はこの詩集の中で、被爆した朝鮮人の問題ということにいちばん感銘を覚えました。
それから、今度の詩集は一部のみで、これに続く二部はまだ書かれていないということです。高さんの構想では韓国に帰った被爆者のことを書きたいとのことです。ですから、高さんにさらに期待したいのはやはり、被爆者が故郷に帰ってどのように生きたのかということを書いていただきたいということです。それもまた韓国の人たちにとって大事な問題であり、同時に、日本人にとっても大事な問題であると思うからです。(拍手)
長津功三良 では草野信子さん、東京からわざわざ駆けつけていただきましてありがとうございます。
草野信子 初めまして。今、司会の方から「東京から」ということでしたが、愛知県名古屋から参りました草野と申します。初めての方が多いのですけど、よろしくお願いします。
私は二年前まで中学校の教員をしていました。その時にですね、これはちょっと一度書いたことがあるのですけれども、十五歳の女子生徒から「先生は戦争の時に何歳だったの?」と訊かれたことがあるんですね。私は一九四九年の生まれなので、「え! まだ私は生まれてなかったけれど、どうしてそんなこと訊くの?」って訊ね返しました。その時にその女の子が「原爆の話とか空襲の話とか本当に体験したことみたいに話をしてくれるので、すごく恐かっただろうな、可哀相だったなと思って、そのとき先生は何歳だったのかな? って思ったから訊いたの」と答えたんですね。私はその彼女の答えを聞いて、何かちょっと不意打ちをくらったような気がしたのです。私は国語の教員だったので、教科書で戦争をテーマにした詩とか小説を読んだ時に少しでも何か自分で伝えることができたらいいという思いがあったので、本で読んだものとか、石川逸子さんの「広島・長崎を考える」などで読んだ被爆者の体験とかを授業の中で子供たちに話していたんですね。それで彼女はそのことを指して私にそういう質問をしたと思うのです。
さっき不意打ちをくらったようだと言いましたが、その時の私の気持ちはすごく恥ずかしかったんですね。何か「体験をしたことのように話してくれるから」と言われた時に、なぜでしょうね、本当だったら「やったぁ!」と思うのかも知れないのですけど、何かほんとうに恥ずかしい気持ちが強かったんですね。もう教員を辞めて二年経ちますが、以来私は、なぜ恥ずかしかったんだろうということを、ずっと考え続けてきました。詩を書くときも、やはりなぜ恥ずかしかったんだろうと考えてきました。
今回、高さんの詩集『リトルボーイ』を読ませていただいて、ほんの少しだけというか一つだけ分かったことがあります。それはやはり自分の内面の問題といいますか、他者のごく大きな体験を今度は自分の言葉で私が語る時に、その他者の体験の引き受け方のようなもの、自分の中での何か引き受け方の問題なのだということを、『リトルボーイ』を読むことで分かりました。
今までに四回広島に来ているのですが、この八月の五日と六日に来ることができたのは初めてなんです。高さんの『リトルボーイ』という詩集に導かれて、それから「COAL SACK」の鈴木さんのおかげで今日明日とこの土地に居ることができたということが大変幸せで、深い感謝を抱いています。(一同拍手)
長津功三良 ありがとうございました。
それでは、まず乾杯しましょう。乾杯の音頭は遠来の客を代表して宮崎の本多寿さんにお願いしましょう。
本多寿 それでは、乾杯(一同乾杯、拍手)
長津功三良 それでは、これから井野口慧子さんの朗読を始めます。(拍手)
井野口慧子 私は、生まれたのは広島の三次という県北で原爆は免れたんですけど、もう赤ん坊の時から原爆の落ちた所から一・三キロくらいの観音小学校の近辺で育っていました。あの辺りには在日の方が沢山いらして、クラスにも小学校六年間何人かずうっと一緒でした。その周りは全部焼け野原の跡にバラック建てが建っていたわけですけど、在日の彼女たちの家は川のほとり、ほんとうに「小屋」の中に住んでいました。それが子供ですから、どうしてだかよく分からなかったですね。でも、記憶の中に何回か訪れた彼女たちの家っていうのが印象に残って、もうその時はどうしてこういう所で過ごしているのかというのが分からなかった。それで中学から市内の公立じゃない所に行って、そのまま会うことができませんでした。でも、あとで色んなこと思い出すと、彼女たちのことがとても記憶の中であって……。
それで今回持ってきたのは『いのちの音』という絵本です。私は、二十五年間自宅で「明日香文庫」という文庫を開いて子供たちに絵本を読みにあちこちの保育所だとか小学校とかに行っているのですけど、この絵本の前にですね――皆さんも記憶の中にあると思うのですけど、二〇〇一年一月二十六日、新大久保の駅でイ・スヒョン(李秀賢)さんという二十六歳の韓国の男性が、関根さんという日本人のカメラマンと一緒に酔っ払いを助けようとして電車が来た時に飛び込んで三人とも亡くなった事件がありました。それは皆さん覚えていらっしゃると思うのですけど。それを聞いた時にもうすごく私は、何というのでしょうか、先ほど高先生が言われた「ただ」、「クニャン」と言われましたか、ただもう感動して、たぶん国とか、日本であるとか韓国であるとかもう一切関係なくて、人間の愛をいくら言葉で説いても行動が、いざという急な時にたぶんその人の持っている愛が表現されるんだなと思って、とても感動しました。その後その味戸ケイコという親友がちょうど「こんな絵本を出しました」と送ってくれました。そしたら、鈴木比佐雄さんが「COAL SACK」を送って下さって、その中にイ・スヒョンさんのことが書いてあって、ああこれは味戸さんに伝えなきゃと思ったのです。鈴木さんは四周忌の時に韓国の釜山まで招待され、追悼詩を朗読されたんですよね。これからまたこれが映画になるそうですが、そういう繋がりがあって、今日はこの絵本をとにかく読ませてもらおうと思って味戸さんにも伝えたところ、「今日ここに来たかった」と言うくらい彼女の思いはあるわけです。韓国語に訳されていますので、一緒にちょっと読んでいただこうと思います。だいたいこれがさっと読んで五分くらいなので十分くらいはかかると思いますけれども、ちょっと読ませていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。
|