天、地、人、あたかも星畑のようにあらゆる存在が輝いていた。満天の星空のもと、かつて外敵を見はる狼煙台のあった山頂から、私の眼下には三百七十万都市釜山の灯りが煌めいていた。「追悼追慕公演」の翌日の夜、私は私をこの場所にいざなった韓国人青年とその関係者達の深い愛を感じていた。
二十一世紀の韓日関係で最も心に残る人物は誰だろうか。そのようなことを日本人である私が問うてみた時、一人の韓国青年の名が浮かび上がってくる。新大久保駅で関根史郎さんと一緒に日本人を助けるために死亡した李秀賢(イ・スヒョン)さんだ。私は二〇〇一年一月二十六日のその事故があった後に、一篇の詩「春の天空」を習いたての韓国語と日本語の両方で書いた。いや、書いたというよりも、李秀賢さんの精神に引き寄せられて書かされたといった方が正確だった。私には、宮沢賢治の童話『銀河鉄道の夜』の主人公で、友人を助けるために水死したカンパネルラと李秀賢さんが「春の天空」で、地球の春の野草の美しさを語りあっているという幻想が湧き上がってきて心から離れなくなってしまった。宇宙から戻り銀河鉄道から降りてくるカンパネルラと、これから銀河鉄道に乗り込もうとする李秀賢さんとが、出会い別れる際に高貴な魂の会話をするのを書きとめようとした。そしていつか李秀賢さんが必ず地球に戻ってくるはずだという想いでその詩を終えたのだ。
詩を愛する国である韓国でその詩「春の天空」が批評文で紹介されたことは想像を超えた驚きだった。紹介してくれたのはソウル在住の保坂祐二さん(世宗大学政治学博士)だった。保坂さんは宮沢賢治だけではなく、三浦綾子の『塩狩峠』の主人公で身を投げ出して列車を止め事故を防いだ長野政雄に触れながら、この詩を深く受けとめてくれたのだ。その後、保坂さんはこの批評文を自分のエッセイ集に入れてくれ、その本は三版を重ねていると聞いている。
「釜山へ行かれて、彼の追悼詩を読んで下さいませんか。」今年の正月明けその保坂さんからメールがあった。二月四日に、李秀賢の故郷である釜山市と彼の在籍していた高麗大学の主催する李秀賢4周年追悼式典が釜山市で開催されるという。李秀賢の高貴な魂や、詩的精神が招き寄せていると感じ、私は出席することにした。彼の命日が近づくにつれ私の中で新しい詩の構想が湧き上がってきて、自己を超えた不思議な力で詩を促されるような精神状態になった。それは彼の祖父は日本の炭坑で働かせられ、曾祖父は日本で亡くなっていること。祖父は炭坑で働いた時の病気で帰国後も苦しみ続けたこと。実は私は彼が暮らしていた日暮里近くの南千住で生まれ、家業は石炭屋であった。彼の祖父や曾祖父が強制労働させられ掘り上げた石炭を、私の父や祖父は商いながら家族を養っていた。私と彼の家系が韓日の不幸な歴史を象徴しているようにも感じた。その不幸な関係を直視し、両国の尊敬しあう視座を獲得しようと李秀賢さんが実践していたことに心惹かれた。それらの事実が私の新しい詩「黒ダイヤを燃やす原故郷の人―東日暮里に暮らした李秀賢さんへ」の大きなモチーフになった。その詩の前半部分を引用してみる。
「夕暮れの一番星がきらめくころ/私は紙と薪で火をおこし/石炭風呂を沸かすのだった/石炭屋の息子だった私は/石炭を黒ダイヤと教えられた/黒々とした化石のような石炭を眺めていると/太古の森の世界に入っていくのだった/略」
「ここに銀色のサイクリング自転車がある/持ち主の青年が腰を浮かして漕ぎ出し/韓国の海辺の町 釜山からソウルへ/一陣の風が起こった/彼は韓半島をサイクリング自転車で駆けめぐった/そして日本の富士山をもマウンテンバイクで登った/強靱な足腰は韓日の大地を誰よりも踏みしめていた/彼の祖父は日本の炭坑で働き、曾祖父は日本で死んだ/私の祖父や父は東日暮里の隣の町で石炭を商っていた/彼の祖父たちが掘り出した石炭を/私の父たちは黒ダイヤといって生きる糧にしていた/彼は曾祖父の死んだ国をみたいと思った/祖父たちが働いた炭坑を探したいと願ったろう/そんな日本の地の底に降りていき/韓日の底に流れる未知の鉱脈を探ろうとした」
彼の生い立ち、生きる姿勢、その存在の在り方を想起することは、韓日の国境を越えて、韓日の根源的な「原故郷」を探ることにつながるのではないか。当日の朝、私は友人のIさんと一緒に釜山へ飛び立った。Iさんは私の詩を毛筆で書き額も製作してくれた。将来、財団の記念館が出来たらその額を納めたいとのことだった。会場に着く間に街で写真の入った横断幕を幾つか見かけた。「韓日架橋 李秀賢4周年追悼追慕公演」と韓国語で書かれてあった。公演は韓国の盧武鉉大統領や村山元総理のメッセージの代読から始まり、韓国の著名な民族舞踏家達や地元の合唱団など踊りや歌が繰りひろげられた。ついに私の番が回ってきた。壇上にあがると李秀賢さんのご両親も笑顔でのぼられてきた。私は簡単な韓国語で挨拶をし詩の額を両親に渡した。悲しみをこらえたご両親の笑顔に私は深く感動した。そして韓国の横笛を伴奏にして私は日本語で詩を読みはじめた。区切りのいいところで保坂さんが韓国語訳を朗読してくれ、無事に終えることが出来た。母親の辛潤賛(シン・ユンチャン)さんは隣に座った関係者に私の詩を聞いて「聖性を感じる」と仰ってくれたそうだ。その言葉を知らされて、韓日には政治や経済以外に詩的精神を共通の基盤とする「原故郷」があると確信したのだった。李秀賢さんの精神は二十一世紀の韓日の新しい扉を開き、橋を架けたのだ。そのことをこれからも忘れてはならないと韓国の友人達とともに心に刻んだ。
*この文章は西日本新聞三月十一日掲載されたものの原文で、
新聞発表されたものより多少詳しく書かれている。
春の天空 鈴木比佐雄
お元気ですか?
私は宇宙の塵です
昔の名前はカンパネルラといいます
いらっしゃい、お会いできてうれしいです
私は電車にひかれた学生です
名前は李秀賢といいます
ちょっとお尋ねします
地球の春に行こうと思うのですが
ここで降りればいいですか?
ええ、ここで降りればいいですよ
わかりました
私が水に溺れてから 長い歳月が流れました
久しぶりに 春の野原で花を見たいのです
昔、翁草やレンギョウを見たことがあります
春の野原へ一緒に行きませんか?
いいえ 行けません
私は宇宙へ行かねばなりません
銀河鉄道の駅はもう少し上です
次回は一緒に野遊びをしましょう
お行きください
さようなら
必ず戻ってくるでしょう
さようなら |