詩 の 原 故 郷 を 求 め て
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浜田知章《山人舎文庫》
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『浜田知章全詩集』の書評(「COAL SACK」四十号より)
◎特集 『浜田知章全詩集』を読んで

浜田知章という畏兄   三谷晃一

 全詩集(選詩集でもいいが)を手にして、いちばん先に開くのが年譜である。これはほとんど、文句なしに面白い。木で鼻をくくったような年譜もないことはないが、それがひとかどの詩人であればおのずから行間に匂い出るものがあって飽きさせることがない。「女の一生」があれば当然「男の一生」もある。浜田さんの年譜には小説以上の興味を覚えた。生まれが内灘だ。こんなことをいっては失礼だが、もうなんとなく劇的である。内灘は忘れん坊の私でもしっかり覚えている。
  実は浜田さんを語る人としては、私は不適任である。お会いしたのは一度しかない。初対面のご挨拶を交わした程度である。それがいつの日からかたいへん気になる名前になった。ある時、どんな知り合いか、と鈴木比佐雄さんに訊かれたが、ちょっと答えようがなかった。こんどどういうわけか「全詩集」の刊行委員になり、光栄には思ったが、もちろんたいして役に立つはずもなく、申し訳なく思っている。
  ところで郷里に大谷五花村という有名な川柳人がいて、その句に「片隅に一癖も二癖もある徳利」というのがあるが、どこか似た風情が浜田さんにはある。背後から、あるいは少し離れた距離から炯々と射竦めるような視線を感じる、そういう視線の持ち主。だがこれは私の見当違いかもしれない。なにしろ殆どお会いしていないのだから。しかしこんど全詩集を拝見した感じでは、やっぱり当たらずとも遠からず、浜田さんの視線は鋭く見るものを見ていることに疑いはない。ひところは大酒もされたようである。そうであればますますこの川柳が生きるというものだ。
  このごろ日本の詩に、違和感を覚えることが多くなった。藤村や啄木に始まって、朔太郎、光太郎が若い心を騒がせた。戦後は「荒地」の人たち、小野十三郎も熱心に読んだ。一々挙げればたくさんの数になるが、そういう形で読者の心を捉える詩は影を潜めた。こちらがトシを取ったせいだろうか。先端技術の発達と歩調を合わせるように詩は巧緻になり複雑になり、近づきにくいものになった。浜田さんの初期の作品に小野十三郎の影響を感じたが、その判断はさておくとして十三郎の詩を読んでいると、いつの間にか同じ視座で工場地帯や葦の原っぱを遠望する自分に気が付く。いい詩は読者を同じ視座に誘い込まなければいい詩とはいえないのではないか。浜田さんを読んでいると、同じことが起こる。熱ぽい視線が内灘のほうに、広島のほうに向かう。詩の解説、あるいは解釈は私の苦手とするところなので、深入りはしないが、もう少し若ければおのれの血の騒ぐのを抑えるのに苦労をしたのでないか。
  戦中浜田さんは東部二十二部隊(仙台)へ、私は二十四部隊(会津)、浜田さんは北へ、私は南にやられた。私の所属する師団には仙台八十四連隊も含まれている。なにやら似かよった経路を辿り、お互い生きて帰った。戦後の道程はまるで違ったが、詩集には私の敬愛する関西の詩人たちの名が続々出て来る。一度お会いした足立巻一さんや、ある因縁で接触のあった清水正一さん、そのほかお目にかからなくとも、名前だけで十分共感出来る人たちなのである。ああ、おなじ空気を呼吸したのだなあ、と胸に応えるものがあった。
浜田さんは、関根弘や長谷川龍生の蔭にかくれてその詩に注目する評者の数が少ないそうだ(小海永二氏=全詩集・栞)が、時代には好尚があって、たまたまそれに、微妙に合致しなかったに過ぎないと考えてよい。詩人の値打ちにかかわりはなく、それはこの全詩集が証しするだろう。すぐれた詩人は、そこにいることが「存在」であり、いたことが「足跡」となる。全詩集は、余すところなくその光芒を四辺に照射している。

 

 

ふたつの詩集から
   ―『全詩集』をめぐって   たかとう匡子

  『浜田知章全詩集』刊行のお陰で、わたしたちは彼の五十年に亘る詩の全貌を戦後にひるがえってたどることができ、またみつめなおすきっかけを得た。それにしても二十世紀後半とはなんとめくるめく時代だったのだろう。とてもとおいところに遡って歩いてきた気がする。
  そこで思い出されてくるのは「山河」解散の前年か前々年だった。大阪のどこかの会場で演説をぶっている浜田知章のおぼろげな記憶である。トレードマークの太い黒縁のめがね、エネルギッシュな風貌とその独特の語り口、何を喋っていたか中味は忘れた。時期だけが妙に鮮明なのは「山河」解散の前年に六〇年反安保闘争があり、それは私の最後の大学生活を迎えた年だったからでもある。
   『浜田知章第一詩集』の冒頭の詩「クルク・ダリア」は当時から多くの人に共感とともに膾炙されていた。今ではこの詩が一九五二年の「列島」創刊号初出ということも広く知られているが、長谷川龍生の「パウロウの鶴」や鮎川信夫の「死んだ男」同様、戦後詩における浜田知章の代表作と言ってしまっていいだろう。
  長田弘はその著『抒情の変革・戦後の詩と行為』のはじめに置いた「詩と行為と場所」のくくりにこの「クルク・ダリア」を引用して│「もっともよき戦後の影像をうかがわせるに足る、抑制とパンチのきいた鮮やかな作品」と評した。長田のこのエッセイは六〇年代はじめ、六〇年反安保闘争後の挫折と屈折としか言いようのない精神状況をかかえて、その精神の空隙を埋めようとするかのように書かれたもの。ここで私が長田に共感を持つのは長田も六〇年安保闘争の年に最後の大学生活を迎えた一九三九年生まれ、偶然にも私と同い年だからである。わたしたちの青春はいやおうなく反安保闘争という政治の時代を内部にかかえこんで(その程度はともかく)生きていくことを引き受けさせられた。浜田知章たちはこのわたしたちに二世代先行して戦争体験、軍隊体験を青春にかかえこみ、まさに「クルク・ダリア」にあるように、「振子の止った時計の下で/凶暴な精神の優位性を説くやつが、うようよしていた」時代に生きた。そこへの反駁と拒絶を浜田知章は自分の戦後意識の核として一貫して引き受けてきている。。

 「浜田知章の作品構成の方法ではプロレタリア・リアリスムの方法がしばしば混同した作品の世界と現実の世界のけじめがはっきりと区別され、すくなくともリアリスムとは、詩で現実に密着することではなく、現実を再構成するものであるとする方法的な意識がつらぬかれている。」

 こちらは戦後三十年を経て書かれた吉本隆明の『戦後詩史論』の一節である。
  これはレンガのように現実の断片をあつめて配列してみせることによって流動する現実のひとつの断面を、永続的なものであるかのように表現した、との説明を加えて新しいリアリスムの方法、レンガ積みの方法という「山河」的手法が浜田詩などをモデルとして説かれた。
  こういった吉本の論考など見たあとで、二十一世紀に入った現在(いま)、二十一世紀の現在(いま)から『全詩集』の最後の第七詩集『梁楷』を見ると面白いことに気づく。これは『梁楷』の中の「無窮花(ムグンファ)」の冒頭。

 「障害ハ己ニアリ」
あの作文の課題をいまも憶えているか。
ぐしょぐしょ霙が降っていた
暗い冬の仙台の、
午後のことだったね
配ったワラ半紙に
東部第二十二部隊第七中隊第二班何某と
姓名の頭に書けといったことも、
李よ崔よ そして申よ
一人だけ創氏改名した金勝元こと金石勝よ。
茫々五十年、たった六カ月の初年兵教育は
忘却の塵でもあったろう、
おれといえば中学校の
軍事教練をサボったため
徴兵検査で狐目(キツネメ)の衛生伍長から
半殺しの暴力をふるわれた男だ
そいつがきみたち
朝鮮学徒特別幹部候補生の
教育係になったのだから矛盾しとるわナ
 
  恣意的に選んだ一篇だが、ここでは吉本が言ったレンガ積みの方法というよりは、むしろ饒舌に近い散文調の語りの手法がふんだんに駆使されていることだ。と同時に、かつて浜田を最もよく知る長谷川龍生はその詩を評して「対象はすべて外部である。人間にしろ、物質にしろ、外部に位置しているものであり、浜田知章の内部を通過したものはすくない。通過したとすれば、外部に投げ出された彼自身であり、屈折はほとんどない」と書き、さらに「主題を外部に、荒々しく挑戦的であり、とどまるところを知らない」と述べたが、『梁楷』に至って浜田の原体験を土台にしたこの詩などはけっしてスローガン的でもなければ外部ばかりでもない。原体験の日々の生活を包みこむようにできるだけシンプルに、ことばも平易にむしろたんたんと苦渋が語られている。なるほど『梁楷』には収録されたその作品の数だけ他者が顔を出している。顔を出してはいるが、他者を借り、他者を語ることによってそれと同じくらい自己も顔を出し、自己が語られ、その体験が透視されている。かつて平和のためにたたかい、政治と文学に身体を預け、主題そのもの、外部をストレートに荒々しく書いた詩人は、現在(いま)に至ってその語りはたんたんと充分に抑制的であり、同時に内省的でもある。私には第一詩集と第七詩集、あるいは青春の浜田知章の詩と晩年の浜田知章の詩のこの差異が面白く興味ぶかく思われた。
  さらに言えば『梁楷』は自らの戦争体験、少年時代の体験に徹底して立ち戻っている。そこに材を得て、そこに揺曵する出来事や人物、言葉を変えれば浜田詩の原点となるべき個体の戦後に立ち戻って、そのころ言わなかったことをまるで整理するかのように告白している。先に述べた方法論を駆使して書いているのも面白くまた同じように現在時も興味ぶかいと思う。
いずれにしてもこの『全詩集』からはますます元気で老いを知らない浜田知章がほうふつとしていて、これからも長いあいだわたしたちに刺激を与えてくれるだろう。

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