詩 の 原 故 郷 を 求 め て
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浜田知章《山人舎文庫》
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ぬるい詩は書かない浜田知章   辻元佳史

 「浜田知章全詩集」を今、手にしている。鈴木比佐雄さんがまとめた労作だが、帯に「リアリズムの詩人の気迫に満ちた全貌」とあって、一巻を一言で評すれば、この良く出来たコピーですべて言い表されているように思う。その特性が際立っているのは七〇年代ではないか。詩人にとって中期の、脂が乗りまくっている時期の作品。とにかく具体的な事物を表す言葉がものすごいスピードで積み上げられて、そのひとつひとつは該博な知識から連想法で引き出されたような言葉やシーンである。それが奔流となってあるモンタージュを示し、トータルで「何か」をつかみ出す。その結果をどうだ、とばかりに叩きつける。
  そういう得意技が鮮やかに決まり続ける円熟期の作風では、だからスピードが必要であり、まとわりつくものを高速で拭い去ろうという意志すら感じる。
  案外だから、私などは孫の世代の若僧だが(そう書いてから改めて年譜を調べると、浜田さんは四十七歳で長女の文さんを授かっている。それは一九六七年一月とあり、私が生まれる一ヶ月前である)、とりわけその七〇年代の浜田知章の諸作に、どこか詩風として親近感を抱くものがある。
  何作かを取り上げるとすれば、まずは五五年の「太陽を射たもの」が初期の中でも目立つ。これは原爆への怒りをテーマとする反核もので、ロス・アラモス核実験場とオッペンハイマーに言及し、恐らく当時の日本人として(徐々に原爆開発の過程や使用にいたるまでの経緯が日本人にも分かって来るにつれて)誰しもに共通のアメリカに対する怒りを率直に吐き出している。ここでは「お前たちは太陽を射た。射た矢は返ってくるだろう やがて白日の下に自滅していくのだ その日が必ず来る。」というように、あからさまな呪詛と激情にそのまま筆を委ねている印象が強い。
  七〇年の「冥府のオウム」になると、そのストレートだった内容が変わってくるのがわかる。このような全詩集の魅力はこういうところにある。ここでは都市、文明、そして時代の犯罪が、冒頭に指摘した重層的な言葉のモンタージュとなって描き出される。電車は、汗を滴らせて走り、未踏のアトランティスからテルミドールの反動、キューバ、コンゴの農民兵へと思いは駆け巡る。そして帝王の住む都市の重工業地帯。そこで詩人は車庫からはみ出した無人電車の屋根に乗る四羽のオウムを見た、と言う。「地球は破滅しても人類は生き残りまァス」とそいつらは繰り返すそうなのだ。
  一個の自分が何に囲繞されているかを、ある日の「渋谷駅7時 分」に見つめきった、その総体がこの一篇であり、今読んでも、その日、その時の詩人の「重ッ苦しい。」という感覚がそのまま追体験できる。キューバやコンゴの代わりにほかの地名や人名を入れれば、二〇〇一年に書かれた新作としても問題ないだろう。そういう普遍性がある、力ある詩でなければ、社会派の詩は扱っている事物の風化とともに褪色しがちである。だが、この時期の浜田知章にその心配は絶無である。突破力に満ちているのだ。こういう詩は無気力な現代に生まれ難い。
  七八年の「城」。戦艦陸奥の謎の爆沈をテーマにしているこの作品は、吉村昭の「陸奥爆沈」を参考に書いた、と注があって、内容もその通りだが、実際に「陸奥爆沈」を読んだ人は、精鋭たるべき旧海軍の、それも戦艦三笠を含む主力艦多数が、貧しい水兵たちの精神状態や経済状態から来るさまざまな「人材の質」の問題で、人為により爆沈、つまり放火や失火で失われていることを知って愕然とする。そのあたりをどうとらえるか、というところで詩人は、「男根そっくりの」陸奥の碑を「婦」に撫でさせ、その引上げ作業の光景を「にょきっと二つの砲門がせり上って」と描いた。男根と戦艦主砲をなぞらえるのは、恐らく精神分析批評的に自然である。そしてクライマックスで、陸奥を爆沈させたと比定される二等兵曹Kに想像上で「はげしく射精しながら、わななく手でマッチを」擦らせている。このエロスと犯罪との連想がこの一作を急激に文学的な高みに昇華させてしまう。
  同年の「消えた男」も興味深い。航空機会社で米軍機やライセンス生産の自衛隊機の改造や修理に追われた技術者が「零戦幻想」にとりつかれて自殺した、という内容で、これは堀越二郎を生んだ名古屋三菱重工をテーマにしているに違いないが、何か実際の事件に取材しているのだろうか。これはむしろ松本零士の劇画に出てきそうな一種のファンタジーテイストすらある。といっても苦い大人の幻想だけれども。
  七八年の「パリスの林檎」は、「冥府のオウム」の路線に連なる作品で、言葉の切迫感は「オウム」より幾分、落ち着いているかのようだが、言葉の切れ味が著しく洗練をましている。
  「磔刑の街、ヒロシマ」、「いまも黒い血がたれて」いるその朝、逃げるように電車に乗ったという、この作品の話者は(というのは、オウムの時よりも抽象度が高まった印象のこの詩では、詩人本人というよりも作中の話者と感じる)ポスターが「めくり上り」「無告のオナニー」を連想させる中、「ハイテーンの男女ふたり」が無音で抱き合い、腰を締め付けあっている。やがて、ナチスの暴虐とヒロシマを襲った暴虐の連想が話者を襲い、その戦争を知らない世代の二人に彼はいらだち、自らも暴力衝動に走ってその「げらげら笑うふたりの髪をつかみ ガラス窓にぶっつけた」という。
  彼のそのいらだち。今度は「まったくわかってくれない他者」がそこに装置されている。それで「おれのコトバは消去され」何も伝わらない。「他者への思いやりがいっぱいなのに」。そうなのだ。八〇年代が近づいたこの時期、ストレートな怒りや苛立ちを受け止めてもらえない、同じ日本人の若い世代の台頭に、恐らく気付き始めたのが、オウムとパリスの差異であろうと思う。浜田知章個人の世代と、日本社会の変化と。その表出の仕方が鮮やかだ。
  二〇〇〇年の新作は、これまでに挙げた中期のものと比べると、戦中体験を引きながらもはや「聞いてもらえようともらえまいと、俺は一人で叫び続けるぞ」という覚悟をどこかで感じる。今や「ハイテーンのカップル」は、もはや日米で戦争があったことすらほとんど認識していない。彼が取り上げる「陸軍大尉」と「准尉」ではどちらが偉いのか、いやそもそもどう読むのかすら分かるまい。近ごろでは新聞社や出版社の社員でも「戦艦と軍艦」「戦闘機と軍用機」の違いが分からない。戦争を否定するあまり、戦争そのものを忘却してしまったのが今のニホンである。浜田知章は、このニホンをもはや電車に乗って都市のはらわたから論評するのではなく、「自分が知っていることを全部書いてやる、残してやる」という方向に心を決めているのではないか。これは私の勝手な感じ方だが。
  巻末の「私記・詩人の戦争責任についての覚書」にもそれを感じる。「いまさら詩人の戦争責任なんて半世紀も経っているゼ、の陰の声」を意識しながら、詩に対する畏敬の念から「胸の固まりになっている」「私の好みでもある恬然たる思考がない」ということが追求の原点であり、詩人はかつて予知能力のある予言者であったはず、それが戦争協力詩を書いた、ということは決して時流のため、などということではすまず、それを等閑視することは、詩人のアイデンティティまで抹消することにつながるから反対だ、という。
  実は、私は率直に言って「詩人の戦争責任」ということの追及は、何を言っても分かってくれないハイテーンのカップル同様に、ややついていけないものを感じている。私は世代的に、詩人というものを畏敬もせず、特別のアイデンティティが必要のものとも思えない、砂のようにドライな世代の一人だから。どうも、詩人の戦争責任を言う前に、日本人全体の戦争責任という方がよほど気になる。まったく同様に昭和天皇の戦争責任、というものも、だからだれかが特別に悪くてほかの人は悪くなかった、という意味の追及論なら賛成できない。そして、詩人にそういう意味での「戦争責任」なんてあるのか、という思いがかなりあるのだが、それにもかかわらず、この覚書を読んでよく分かった。
  浜田知章は、日本人離れした原理原則の人なのである。その知性も意志も、どれほど時間がたとうが、水に流したりしない、いい加減に流せない因果な人であって、それがあのような圧倒的な詩を噴出させるのだろう。
  浜田知章は、確かに今時の言葉でいうと、「ぬるい」詩など書けない人だろう。日本人はぬるい叙情を好む。ぬるくて、考えなくてもいい内容でなければ、書籍もテレビ番組も売れない時代である。その中にあって、ある意味において、浜田詩はその激しさと厳しさのゆえに読みづらい。読み手は言葉の一斉射撃に打ち負かされてしまいそうになる。五〇年代にも七〇年代にもそうだったが、二〇〇〇年代に入ってもますます孤高なまでにそういうスタイルである。
その攻撃をぐっと耐えて、はったと詩に対峙する。浜田知章はそういうことを読み手に求める詩人だと思う。

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