この作品で拒絶されているのは「愛」である。この「愛」は「ひそかな漂流を待っているだけの一生」から生じる「愛」であり、「チンマリ二人で抱き合った虚像」である。こうした「愛」としてしか愛が現象できない状況総体を浜田の作品は拒絶していると考えられる。このような愛を巡る状況は五十年後の今日でも基本的には変わっていないのではないか。いや、むしろひどくなっているとさえ言えるのかもしれない。社会システムが一層複雑になり、Stockadeの存在さえ不可視になってきた現在、「硬質の/冷たく光る/霜の、結晶作用は/小さな島のStockadeのなかからは生まれない。/絶対に。」という詩句の問いかけは重要性を増してきていると思われる。なぜなら、状況に対抗する愛の形はベースにこうした結晶作用をもっていなければならないし、二十一世紀になってもそうした作用は一向に生じる気配がないからだ。
ガラスの破片が
突き刺さつた
小さな島の居酒屋での邂逅は
実にいい。
もう何年になりますかナ。
振子(ペンヂュラム)の止つた大時計の下で
兇暴な精神の優位性を説くやつが、うようよしていたが、
あれから。
目は澄んでいるが
空気は稀薄で息苦しい。
劣等性についても論じられていますが、
内部に速度をもつているのは
ねつから見られない。
生きるための
脱落が、
どうやら色素の構造変化を起しているのが目立つてきたようです。
風がきつくなってきたが
まだ少し時間があります
まア落着いて、
乾いた河(クルク・ダリア)までお送りしますから
あちらでは
焼酎(こいつ)はのめますか
透明で、強烈なのが。
(浜田知章詩集 1955年から「クルク・ダリア」全篇)
この不思議な詩の世界では、「平和」が拒絶されている。小さな島の居酒屋にはガラスの破片が突き刺さり、大時計の振子は静止したままである。そしてここで語られているのが「凶暴な精神の優位性」なのである。この作品は、具体的な1事象を超えた射程を確実に備えている。戦前・戦中のファシズムの席巻を見ることもできるし、戦後の弱肉強食の資本主義精神を見ることもできる。ここに共通するのは「平和」ではなく「戦いの日常」である。第2連では、そこからの時間的な経過が語られる。経過によって変化したもの/しないものが混在しながら、生きるための戦いは劣勢に推移してきている。こうした日常の終着点に位置するのが、「乾いた河」(クルク・ダリア)である。この河の名前の由来は分からないが、生/死、内/外、現実/夢、戦い/平和など、現行世界と別世界との境界をなしているものに思える。この作品は、「平和」を拒絶することで、幾重もの意味の負荷を可能にし、現在を生きるわれわれの姿を鮮烈に照射する力を持っている。
浜田知章は、小野十三郎の「短歌的抒情の否定」の本質を「世界と自己との無反省な和解の拒絶」と捉えることで、リアリズムの展開の方向性を獲得したものと思われる。和解の拒絶を重ねることで見えてくるものがある。それが「リアル」である。な
ぜ、「リアル」を獲得できるのか。それは、われわれがまだ一人として本質的に和解していないからである。言い換えると、拒絶を重ねることでリアルな世界のあり方が見えてくる。この意味で、浜田知章の作品はリアリズムに立脚していると考えることができるのだ。
2 誰が/誰に/誰を歌っているのか
浜田知章のテーマは何かと問われたら、多くの人が「戦争責任の追及」と答えるのではないだろうか。この場合、はっきりさせなければならないのは、一体誰の戦争責任なのか、そしてどのように追及しようとしているのか、という2点である。この点について、浜田知章は明快に答えている。「詩人の戦争責任」(*3) 。この場合、自らもその詩人に含めた上での責任追及を考えていることは明白であり、その追求は、単なる倫理的な裁断を後世の視点から行うものではなく、「その詩人が抒情派であれ社会派であれ、戦争協力詩を書いた精神構造の解明、且つ検証こそが重要」 (*4)であるとしている。
「戦争責任の追及」に関する基本的な考え方を踏まえて、浜田知章の戦争詩を読んでみると、いくつかの特徴をあげることができる。歌われているのは、名もない前線の兵士たちである。彼らは天皇制を中心とするファシズム体制の犠牲者であると同時に加担者であり、戦争の被害者/加害者という二重の性格を帯びた者たちである。浜田知章はこのことを熟知している。そのため、歌い方は次のようになるのである。
(前略)
遠く遠く
はるか北溟の一つの孤島が
ある時、目睫に迫ってくる
そのツンドラの孤島には
世界一、寂しい男が眠っているのだ
その寂しい男を
おれは知っている
そこばくの想いをもって
雪除けの雁木下を通り
霏々と降るプラット・ホームの
将校下士官の整列する後方で
北方警備隊長ヲ命ズ
肥ッちょの小男は
甲府生まれの朴訥農民の渋茶色の顔に
深く彫り込まれた悲色といったら…..
大きな寂寥を背負って 小さい影が
デッキに消えていったよ
(後略)
(「かくも長き実存」1995年から「北溟の小さな島嶼に朽ちたり」部分)
この詩は、朴訥農民の警備隊長に寄り添うように書かれている。そのようなスタンスを取ることで、戦争の悲惨さが詩的な作品として昇華されることになった。
また、戦争を歌う詩において、その「声」がわれわれではなく、戦死者に向けられている場面に立ち会うことがある。
(前略)
昨日 おれたちは
錯綜する電波から 晩夏のセミのつぶやきのような
天皇の声をキャッチした
友よ おれたちは
隠し砦の山賊になった
(中略)
昨日 おれたちは
山を降り町に入った
人影のない白い道を
山砲や臼砲をごろごろ曳いた
三八式歩兵銃を天秤に
黙々と歩いた
キラキラ光る水平線には
一瞥くれず
キリストのように水の上も渡れず
サハリンから攻めてくるであろう
ソビエト赤軍にも
宗谷海峡を通過するであろう
アメリカ太平洋艦隊にも
一発の弾丸すら射たなかったのである
かくて おれたちは
生き残ったのである
この作品は、戦死者に対する生き残った者の鎮魂歌と考えることができないだろうか。
さらに言えば、浜田知章という個人的な人格を超えた向こうから、われわれに届けられる「声」がある。その「声」は一体誰の声なのだろうか。
(前略)
外界(シャバ)の波動を
一束の郵便につないで、毎日一回
麓の町から登ってくる可憐な中学生の男の子に
ほのかな愛憐を持ったが、
家族のこともきかないで別れがきた。
かねてから、俺のイメージにあった
太古から流れくねっている石狩川
その大きな河口の上を歩くだろう
玖瑰(ハマナス)の赤い実が、点々と
青い日本海を背に
光っていることだろう。
積年の辛苦を
肺臓にたまっている屈従を、俺は
吐き出すだろう
大きく。
(梁楷 2000年から「瀧川崩れ」部分) |