「コールサック」日本・韓国・アジア・世界の詩人

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根本 昌幸(ねもと まさゆき)


<経歴>

1946年 福島県浪江町生まれ。

中学時代より詩作を始める。

1965年 詩集『道』を出版後、詩誌「ぺん」、「北国」、「蒼海」などを創刊。

その後「日本海詩人」、「卓」、「あいなめ」を中心に詩作を展開する。

「風さん」が第十二回東京都児童作曲コンクールの課題詩となる。

「雨」で第十三回白鳥省吾賞優秀賞を受賞。

「母」が詩碑となって福島県南相馬市鹿島区山下のグループホーム田園内に建立される。

<著書> 

 詩集『海へ行く道』『昆虫詩篇』『しろいかなしみのうた』『トーテムポールの下で』『昆虫物語』『別離の日』『荒野に立ちて―わが浪江町』など。

<所属>

 詩誌「卓」「日本海詩人」「ゆすりか」「PO」「コールサック」、「日本詩人クラブ」「関西詩人協会」「秋田県現代詩人協会」「福島県現代詩人会」各会員。



<詩作品>


わが浪江町



いつから福島がフクシマになったのか

うつくしまふくしまが

カタカナ文字のフクシマに。

福島県に私は生まれ育った。

それも双葉郡浪江町という所に。

海があり 山があり

二つの美しい川があり

みどりの豊かな町だった。

なぜ そこを追われなければならないのか

答えてくれ

私は浪江町が好きだった。

誰よりも好きだった。

子どもの頃は魚つりをした。

鳥刺しをした。

山や川で遊んだ。

野原に寝ころんで

流れ行く雲を見た。

みんなみんな美しかった。

美しい心をしていた。

おとなになっても

純粋なままだった。

四季折々の花が咲き

人々は優しい気持ちをしていた。

わが浪江町。

この地に いつの日にか

必ずや帰らなければならぬ。

地を這っても

帰らなければならぬ。

杖をついても

帰らなければならぬ。

わが郷里浪江町に。




柱を食う




その人はどうしようもなくて

牛を餓死させてきた

と 言った。

可哀想なことをしたが

仕方がない

とも言った。

そして一枚の写真を取り出して見せた。

それは牛が柱を食った写真だった。

餌がなければなんでも食うだろう。

この写真は自分を戒めるために

離さずに持っているのだ

とも言った。

これはどういうことなのだ。

牛よ

恨め恨め

憎き者を恨め

お前を飼っていた者ではない。

こういうふうにした者たちを。

柱を食って

死んでいった牛たちよ。

どうか迷わずに天国へいってください。


なむあみだぶつ

なむあみだぶつ

なむあみだぶつ

なむあみだぶつ

ああなむあみだぶつ



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「コールサック」(石炭袋)117号 2024年3月1日

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