「コールサック」日本・韓国・アジア・世界の詩人

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崔 龍源 (さい りゅうげん)

経歴
1952年佐世保市に生まれる。
父は韓国人、母は日本人。
1979年無限新人賞受賞
1982年「宇宙開花」(私家版)
1993年「鳥はうたった」(花神社)
2003年「遊行」(書肆青樹社)(第3回詩と創造賞)
2009年「人間の種族」(ポイエーシス賞)

「コールサック」「禾」などに寄稿。「サラン橋」発行
日本現代詩人会会員。
崔龍源-詩サラダ 崔龍源(さいりゅうげん)
  http://blogs.yahoo.co.jp/ryugen0553



【詩の紹介】

痕跡(愛の)
―あのひとへ

人ではなく幼虫だった と風は伝えた
あの日 わたしは土に眠るものであり
あのひとは地上をさまようものであった と


わたしたち とあのひとは言った
わたしがさなぎになった日 たましいは
無 夢からさめたのちも無 と


帰ることなく行け とあのひとは言った
わたしの耳はまだ風景の中の蝶のように
薄幸 そう薄幸のうすばかげろうでしかなかった


わたしは盲いていた あのひとによって
何も見えないまま翔けていた たとえば辿り着こうと
する場所の ふいに母の入江と変わるまで


あゝうすい眉のように 地上にわたしたちの
存在の痕跡はあった かしこ わたしたちが
欲し わたしたちが予め失われている場所に


そして絶え間ない水の回流となり わたしたちは
互いにめぐり会っては 別れようとした
地上がさくらの花季(はなどき)にはいつも


春 わたしたちはやはり無になることから
始めよう とあのひとは言った
風の回廊を 風媒花の種子ともつれ合いながら


やがてたがいに むかし人であった記憶もうすれ
わたしたちの魂は言葉もなく一つの収穫期(みのり)へ入った
辿り着こうとしている場所で(それは奔騰する無!)


ついに生きること愛することしか
希わない声を聞き分けるため

 

きみへ

目をとじて きみは
ふかーく目をとじて
ぼくのいのちを感じて


ぼくの中に流れる
朝鮮の血と日本の血と
あかく赤くたぎっている
ことをのぞけば なにも


変わりはしない 地上で
生きているすべてのものと
ただほんとうの生の由緒を


尋ねていこうとしているだけだ
あるいはただひとつのことば
愛にたどりつこうとしているだけだ 
こころからきみにほほえみたくて
       

(「COAL SACK」47号より再録)

 

人間の種族
(NHK2003年6月22日放映
『アマゾン思索紀行』に寄せて)


アウラとアウレ この世に
たったふたりの男の種族


幼い頃 住んでいた森を出て
文明に毒された土地へ出た


どんな部族にもなじめなかった
アウラとアウレの種族が


隠れるように住んでいた森以外
アマゾンに未開の土地はもうなかった


いったい何があったのだろう
アウラとアウレのことばを


解する手だてはなく
謎だけが残されて アウラと


アウレはふたり 深い絶望と
すべてを失ったかなしみを抱いて


二つの生を一つの生と魂にして
生きていかねばならなくなった


アウラとアウレは矢をつくる
もはやどこにも射込むことのできない矢を


誰が教えたわけでもないのに
たぶんふたりの血に流れている


種族の記憶にうながされて
矢を作る ほんとうに見事な矢を


アウラとアウレ 隔絶されて
狩猟も戦いもできないのに


地上に作られたいつわりの
文明から隔絶されて アウラと


アウレとふたり 生きている そして
死ぬそのときまで 生きていくだろう


たったふたりしかわからない
ことばを話し 種族が殺された


かなしみを分け合って 星降る夜
アウラとアウレは語り合う


はげますように 哭くように
アウラとアウレ この世に


たったふたりの人間の種族
ふたりが死ねば この世に


四十六億年もかけて生まれ
たしかに存在した一つのことば


一つの種族も永久に消え去る アウラとアウレ
たったひとりの地上のはじめの母につながる


人間の最後の種族
アウラとアウレが死ねば この世のすべてが


消え去ってしまうようなかなしみを
いったいどうすればいいのだろう


魂の深部から問うように湧きあがる
このどうしようもないかなしみと不安と 


(「COAL SACK」46号より再録)

 

空き缶と壜

狂暴に ゆえなくかなしみが  
ぼくをひきちぎる 青梅線の
線路ぞいに咲いた背高泡立草を
見ていただけなのに 空に
浮かんだひとはけの雲を
さっきはあこがれのように
見ていたこころが
いまはゆえなく湧いた
かなしみでいっぱいになって
なぜここにいるのだろう
なぜ生きていかなければ
ならないのだろう そんな問で
いっぱいになって この世から
はぐれていくぼくが
まなうらに くっきりと浮かんで
在ることさえ
分からなくなって
こぶしをふりあげて
空を打とうとするが
届かない どこにも
届くことのないぼくだけが
暮れ残ってゆく
空き缶のような空
砕けた壜のようなぼく
世界は悲惨と背信と虚偽に
みちあふれているのに
何もできないでいる
ぼくをいやしてくれるはずの
父の土盛る墓のある黄土にも
ぼくの生まれたふるさとの
九十九島の海にも
届かない
帰れない
理不尽な暴力に対して
狂気のように 叫んでみても
詩(うた)を書いても
届かない
そして どこにも帰れない
遅れたわけではないのに
愛に そむかれたわけでもないのに
もはや前のめりになって倒れようか
それとも閉ざされた世界の内側で
おそれのように鳴く虫にでもなろうか
はじまりへ 在ることのはじまりへ
誰にも知られることのない
終わりのない旅をしるしているだけだとしたら 

(「COAL SACK」50号より再録)  




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