「コールサック」日本・韓国・アジア・世界の詩人

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北村 愛子 (きたむら あいこ)

<経歴>


1936年、東京生まれ、埼玉県川越市在住。

詩集『祖国の砂漠の中に』、『工場の中で』、『送電線』、『証言―横浜大空襲―』、『ペンギンさん頑張ろうね』、『なぜ?繰り返す』、『ありがとう』、『お墓の意思表明』、『今日という日』『見知らぬ少女』

日本詩人クラブ、板橋詩人連盟、「いのちの籠」、各会員。

「柵」同人。



<詩作品>



見知らぬ少女



どうして 油は 水をはじくのだろう
油がのると
どうして つややかに輝くのだろう


水滴を 油がはじいているのか
ひきしまった 小麦色の
その皮膚の 背中いちめん
水滴が 無数の玉になって
ころころと 玉になって
おちもせず キラキラと ひかっている


水着の少女のすんなりした姿態
かたい蕾のような ひきしまった からだ


今 プールから あがったばかりの
濡れた つややかな黒髪
したたりおちる雫
うるしのようにひかっている からだ


抜手をきって 泳ぎぬいたあとの充実
緊張した筋肉の美しさ


油にのって 油がうちがわから
にじみだしている背中


無数の水滴を宝石のようにひからせている
見知らぬ少女




人間のねがい



職場ではじめて
赤ちゃんが生まれても退職なかったから
洗面所で哺乳瓶にお乳をしぼり続けて働いた


子どもが熱を出せば 保育園から電話がかかる
ハシカになり おたふくかぜになり 水疱瘡になる
育児休暇もない職場


そう休んでいちゃ 仕事になんないでしょ
子どもさんだってちっちゃいのに 可哀想じゃない
やっぱり家庭の主婦が働くなんて無理なのよ


力になってくれると思った女の同僚がいう
わたしが休めば
わたしの仕事は彼女の肩におおいかかるのだ


企業は利益の追求が目的
人員なんてふやさない
人間が幸福になるために企業があるなんて
社長の訓示はうそばかり


働いて 子どもを育てて 明るい家庭をつくるのが
わたしのねがいなのに
人間としてあたりまえのことなのに




にこにこしなきゃあ あかんなあ



ゆうべはよく眠れましたか?
とかかりつけ医が聞く
今日は血圧が高いのだった
寝不足だといつも血圧が高くなる


笑いなさい
そうすると病気が逃げていきます
と主治医はおっしゃる


そう言うたかて せんせい
変形性関節症は
あちゃらこちゃらが痛うて よう笑えません


少ない年金から介護保険料が引かれ
住民税も引かれるとか
暗い話ばっかりやし
この先くらしていけるやろうか
と考えると楽しいことなんかおまへん


テレビ見ていると
女子大学生が首切られて殺されたの
覚せい剤犯罪や振り込め詐欺や
自殺者今年も三万人をこえた
なんて連日の報道


こんなんでホッホッホッって笑っていたら
せんせい 気味悪いじゃあありませんか


そうやなあ 笑えんなあ
やっぱり気味悪いなあ


そんでも楽しいこと
作らんじゃあ あかんなあ
人間生きているんじゃから
生きているうちに
生きていてよかった
楽しかったって
にこにこ声だして
笑えるようにしなきゃあ
あかんなあ




現代サラリーマン考



定年退職して四年
ときどき もとの会社から
社内報が送られてくる


このところ
なかなか来ないと思ったら
人事異動を見て驚いた
なんと五十名近くも退職しているではないか
総員二百名たらずの会社で
こんなに多くの退職者が出たのは初めてだ


中村  久 願いにより職を解く
山田 君男 願いにより職を解く
田中 正夫 願いにより職を解く
佐藤  登 願いにより職を解く


競争時代だ
どんどん蹴落とせ 蹴落とせ
蹴落とさなければ会社は潰れる
会社のためだ 頑張れ 頑張れ


いまでは自分がすりきれるばかり
健康食品買い込んで 運動器具を買い込んで
家に帰れば ばたんきゅー
もっと自分を大切に生きたいよぉー





リリーよあなたは今どうしているか



六十五年前戦争に負けた
輸送船が沈没して南の島の海の藻屑と消えた父親
東京大空襲で焼野原になった下町
逃げ遅れて死んだ母親と弟
百合さんは十六歳でひとりぼっちになった


下町の新小岩に住んでいた
わたしは小学生の高学年で
国鉄の操車場のコークスを
もらいにバケツをさげて通っていた頃だ
石炭がらのコークスの粉がついて
まっくろな顔で笑うと
歯だけが白かった頃だ
子どもたちはみんな同じような格好で
石炭がらをバケツに入れて家に運んだ
みんな貧乏で少しでも家計を
助けたいと必死だった頃だ


百合さんは
上野の地下道で靴みがきをしている時
知り合った進駐軍の将校のオンリーさんになった
派手なスカーフをして
お化粧も濃くなり
アメリカ人の腕にぶらさがって
歩いているのを見かけたことがある


子どもたちは
オンリーになったリリーさんが
ひとりで歩いているのをみつけると
パンパン パンパンとはやしたてて
いじめた
私はパンパンじゃないわよ
オンリーよ
とくやしそうに涙を浮かべて
叫んだことがある
パンパンもオンリーも同じだい
と子どもたちはなお面白がって
いじめた
子どもたちが家に帰れば
親たちはアメリカがにくかった
家族を殺されたうらみがあった
家を焼かれたうらみがあった
そのアメリカ兵に体を売っている汚い女だ
と親たちはつばをはきかける程にけなした


けれどリリーさんも父母を殺され弟を
殺されたのは同じだった


アメリカ軍が進駐してくると
良家の女がねらわれると
日本軍が中国やフィリピンで
子女を暴行し 銃剣を突き刺して
殺したように アメリカもするにちがいないと恐れた
アメリカが占領した基地の近くには
水商売の店を作り
パンパンと呼ばれる女たちを集めた


六十五年前「リリー」と呼ばれたオンリーがいた
パンパンと呼ばれ同じ日本人からさえ
蔑まれて生きなければならなかった人よ
その人たちはどのように生き抜いたのだろうか
アメリカ人は朝鮮戦争に出動したろうか
アメリカ人はベトナム戦争に出動したろうか
リリーさんはアメリカ人としあわせにくらすことができただろうか
アメリカ人はひとり帰国して
孤独な一生をすごしているのだろうか
今生きていれば八十歳をこえる高齢者である
リリーよ
百合の花を見ると
なぜかあなたのことを思い出す


*石炭を蒸し焼きにした燃料のこと。




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