全刊行書 年代別
空襲詩自体が非常に少ないのを、残念に思っていた。空襲の空間と時間を超えての詩篇の集大成ともいうべき本書は、まさに待望の一冊である。次世代に、追体験による感動のバトンを手渡せることを、うれしく思っている。
(帯文「大空襲体験を次世代へ手渡すために」早乙女勝元より)
| 解説文:森徳治、黒羽英二、鈴木比佐雄 |
| A5サイズ 520頁 ソフトカバー |
| 定価:2,100円(税込) |
発売:2009年3月10日
【目次】
〈序文〉
大空襲体験を次世代へ手渡すために 早乙女勝元 12
〈一章 海外/戦中〉
雪は中国の大地の上に降っていて 艾 青 16
血の洗礼 阿 瓏 18
最も怯懦な者こそ最も残忍だ
惨目吟―惨状を目にうめく 郭 沫若 20
合いことば 戴 望舒 21
深夜の電話―日本軍の重慶大爆撃の残叫 秋吉久紀夫 22
重慶 村田正夫 23
ネズミの行方 鈴木文子 24
黄泉草子形見祭文(抄) 尾花仙朔 26
実験
夜の進行
山本倫子 32
「蚤の跳梁 Ⅷ・?」より 木島 始 34
空襲警報は解除されていない。 森田 進 37
『長詩 リトルボーイ』より 高 炯烈 40
真珠湾の水 新川和江 42
六十二年前の今日 池田錬二 44
真珠湾奇襲 水崎野里子 46
ゲルニカ 浅井 薫 47
磔刑図考 浜田知章 48
ゲルニカ 南 邦和 50
ヒロシマ・一九四五年八月六日 テレシンカ・ペレイラ 53
爆心地 ウイリアム・スタフォード 54
4人の賢者のキャロル ジェームズ・カーカップ 55
ロンドンの子供の焼死に哀悼を拒める詩
焼夷弾空襲の後の儀式
明け方の空襲で殺された者のなかに百歳の男がいた
ディラン・トマス 56
雨は降り続く イーデス・シットウェル 58
神は涙で答えた ディヴィッド・クリーガー 60
町は嘆く マリア・キスナー 61
少年期の風景 ―第十四章 ハインツ・チェホフスキー 62
ある生き残りの男について―その一 フォルカー・ブラウン 63
最後の雨のあとの ヨーロッパ―その六
せともの。わが故郷の没落の詩―その一 ドゥアス・グリューンバイン 64
日本の抒情 池田久子 66
いまだに出走する
唯一の成果 川内久栄 68
紙風船 武藤ゆかり 70
紙漉きのわらい(一) 大崎二郎 72
声帯 弓田弓子 75
贄の貌 入江昭三 76
北回帰線 久宗睦子 78
台東の海
真辺博章 80
旗をひらひらさせていった飛行機/豊原駅前空襲/人が火の中へ消えた/林の中/あれは地獄だ 宗 美津子 82
〈二章 東 京〉
走っている その夜14 宗 左近 86
東京下町・薤露行 浜田知章 90
太白―昭和十九年十一月二十四日 菊田 守 92
自分の家 菅原克己 93
「風Ⅲ」より 福田律郎 94
東京大空襲(短縮稿) 田中清光 100
明けがたの烽火台 斎藤庸一 102
さっちゃんは戦争を知らない/キシボ(鬼子母)/火の記憶/なげきのさくら/火の歎き(東京大空襲) 宮 静枝 104
火天 鈴木 満 106
良子ちゃん 小森香子 108
病葉( 『暁闇』より) 江波戸敏倫 110
あの夜から 山野井悌二 112
巣友 田中順三 113
人々は炎の海を泳いでいた 堀内利美 114
一九四五 ・三 ・九から三 ・十の朝まで/地獄の火の鳥 森 徳治 116
「空襲何ぞ恐るべき」 ―東京大空襲大虐殺の記憶―/実景/さまよえる 黒羽英二 118
昭和20年3月10日 山本龍生 120
真っ赤な絵本 NHKスペシャル「東京大空襲60年目の被害地図」を観て 西村啓子 122
黒い朝のノート 三方 克 124
春の焔 小倉勢以 125
百キロ爆弾のそばで/火の鳥 秋山泰則 126
六十年目の鎮魂 あの日 あの夜 降ったのは……? 石塚昌男 128
もしも三月十八日の決断があれば 新井一雄 130
息子が帰って来た 新井しず江 132
焼跡 高良留美子 133
行水 武内利栄 134
戦後・2 武内辰郎 136
風景―三月十日― 大井康暢 138
屠殺場遊び ―1945・3・10 東京大空襲に― 原子 修 139
誰も答えてくれない 塚本月江 140
あの夜 岡田優子 142
海 海 海
山本十四尾 143
復員兵 甲田四郎 144
あの日の桜 西尾君子 146
空襲下の『風と共に去りぬ』 大掛史子 147
その橋の黒ずみは 吉田博子 148
いろはにほへとちりぬる 増岡敏和 149
「黄砂がきた」より 増田幸太郎 150
あの夜 丸山勝久 152
夢違之地蔵尊縁起 葵生川 玲 154
一輪車 宮崎 清 157
蝉 佐久間隆史 158
人間九十九 ケロイド① まつだひでお 159
委託 山佐木 進 160
犠牲者 小野恵美子 161
三月十日 三ノ輪の町で/独りぽっちの人生 浅見洋子 162
戦うかぼちゃ 李 美子 167
三月十日のおひなさま 森田和美 168
炎の地層 方喰あい子 169
私の顔 川奈 静 170
上野図書館 中川 波 171
水泡―隅田公園にて/ハナダイコンを添えて 鈴木比佐雄 172
〈三章 関 東〉
焼き殺されたふさ子/五月に死んだ ふさ子のために 鳴海英吉 176
『滞京日記』より 更科源蔵 180
やけあと 山田今次 182
鎮魂歌 木原孝一 186
防空壕で死んだ少年の独白 杉山滿夫 188
秋の暮 筧 槇二 189
硫黄島覚書 鎗田清太郎 190
神風を探しに 細野 豊 193
桃花源を尋ねて 埋田昇二 194
木箱の骨 和田文雄 195
防空壕 山田 直 196
遠い記憶 國井世津子 198
老夫婦夜話 市川つた 199
花火 香野広一 200
八月の広瀬川 北畑光男 201
対岸の炎 田上悦子 202
千葉市《七夕空襲》 石村柳三 204
非常時 布留川洋子 206
抱擁 内藤紀久枝 207
桃の蕾に紅さして 佐藤惠子 208
平塚空襲 内藤喜美子 209
横浜大空襲/亡骸を焼く 北村愛子 210
新幸福論 野島 茂 212
火の記憶 硲 杏子 213
未来へ 青柳晶子 214
爆音 岡野菊子 215
金丸原飛行場周辺の空襲 貝塚津音魚 216
爆弾 成瀬峰子 218
サークル・ゲーム ―幼年期の私が見た戦後に― 中村不二夫 219
空襲 吉原幸子 220
赤いサンダル 森田海径子 221
この土の下に 星 清彦 222
五月二十九日 横浜 大石規子 223
1981年、日本生まれAと戦争/戦時、という路のさき 亜久津 歩 224
〈四章 北海道・東北〉
非常の時 高村光太郎 228
爆弾穴 ―僕らの町に海軍の空軍基地があった― 矢口以文 229
ゴーシュの破れセロ炎上―花巻大空襲―/海受難―釜石が焦土と化した日 森 三紗 230
炭化したパンのイメージ/あるべきでないうつくしさ 若松丈太郎 232
あの時、友だちと 斎藤彰吾 234
燃える町/仮眠/名簿 今入 惇 236
上州の空 小坂太郎 238
釜石伝説 金野清人 240
幾千の光が落とされて燃え 斎藤久夫 241
みどりのふるさと 三浦幹夫 242
神の手 工藤優子 243
昼顔の花 大村孝子 244
硯 山形一至 246
少女は見ていた 未津きみ 247
最後の空の前に 経田佑介 248
ひとつの夏・少女(3) こたきこなみ 249
弾痕 蒼わたる 250
朱/八才の夏 みやのえいこ 252
戦争/防空壕/「御真影」 日高のぼる 254
〈五章 中 部〉
真紅の服で 石川逸子 258
飛燕/運行している 溝口 章 260
階段 津坂治男 262
麦の風 小島禄琅 263
夕闇のさくら谷―輪島・一本松公園― 千葉 龍 264
遠景 永谷悠紀子 266
骨の来歴 黛 元男 267
空襲/やけあと 松本恭輔 269
戦争の果実/余生を生きて 吉永素乃 270
墓の中の祖父よ 稲木信夫 272
富山空襲 打木南瓜 徳沢愛子 274
お堂と共に燃えた人たち 安永圭子 275
合歓の花 比留間一成 276
安倍川 金 水善 277
誕生日は祝えない うおずみ千尋 278
銀色の飛行機 和田 攻 279
だるまさんがころんだ こまつかん 280
東雲の彼方から 酒井 力 282
長岡大空襲の一夜が 館 路子 283
〈六章 関 西〉
ヨシコ たかとう匡子 286
大阪大空襲一九四五 ・三 ・十三 ・夜 日高てる 290
焼け跡―三月十三日の大阪大空襲 志賀英夫 292
レクイエム・ほむら野 ―大阪府立豊中高女動員学徒の死― 島田陽子 294
大阪鎮魂 西岡光秋 295
峠へ 犬塚昭夫 296
黒蝶/炎天/潰れる 丸本明子 298
燃えた樹 いわはしよしお 300
堺大空襲―一枚の写真から― 原 圭治 303
眠られぬ夜に 有馬 敲 304
炎の裸馬と少年―大阪大空襲三月十三日 大原勝人 305
少年期と父兄の死 日高 滋 306
記憶の岸辺 坂東寿子 308
弱い一族 下村和子 309
僕の八月六日 直原弘道 310
サイレン 宮本正清 311
瞳/月夜 西田彩子 312
疎開児童と不発弾 名古きよえ 314
炎の海/ブーメラン 伊藤眞司 315
花火 平原比呂子 316
タンポポ 坂上 清 317
悦びの日へ 浅井千代子 318
お母さんへ 瀬野とし 320
人参の花 吉村伊紅美 322
〈七章 中国・四国〉
光 小野十三郎 324
汝の鶏/ヒロシマ・わが幻 澤村光博 325
碑銘余話 米田栄作 326
堺川 木川陽子 327
今津川のほとりで―ふるさとⅣ 御庄博実 328
手の話 片岡文雄 330
鶴 小松弘愛 332
橙色に包まれた 鳥巣郁美 333
ああ 呉の街 山本あさ子 334
学校の跡の方へ 井奥行彦 336
戦争 1 なんば・みちこ 337
洞穴 松田研之 338
鶴ちゃん 妹尾倫良 339
水島 岡 隆夫 340
また背中がひりひりする 山下静男 343
高知空港周辺で 猪野 睦 344
抱いたまま 中桐美和子 345
火柱の天守閣と赤い太陽 福谷昭二 346
基地の街にて/いわくに、ひかりの空襲は八月十四日 でした 長津功三良 348
「岡山空襲」の記憶から くにさだきみ 350
ほたる 皆木信昭 351
腕時計 白河左江子 352
夢 田中郁子 353
敗戦前後/六十三年目のヒロシマ 佐藤勝太 354
記憶 坂本法子 356
いつもの空 結城 文 357
白いテント 上田由美子 358
空爆の連鎖 相良蒼生夫 359
不詳 赤山 勇 360
八月の満月 今井文世 361
緋色の猫 市川紀久子 362
火の雨降る夜の記憶 杉本知政 364
包丁 木村恭子 365
夏の思い/広島 植木信子 366
終わらない空 一瀉千里 368
八月の校庭 福間明子 369
カーテンを開けると 広瀬 弓 370
蝉 真田かずこ 371
被爆地蔵 大山真善美 372
燃える地図 みもとけいこ 374
静かな空の下で 林 木林 375
〈八章 九州・沖縄〉
操り人形 嵯峨信之 378
童女へ 福田須磨子 379
八月 山田かん 380
灰の記憶―被爆三〇年 風木雲太郎 381
そして八月は 上瀧望観 382
六月の雨 餘戸義雄 383
夏の訣れ 福田万里子 384
愛/戦禍の子供たち 倉岡俊子 386
日本刀 秋吉久紀夫 388
この八月どうしていますか 岡たすく 389
蓑虫の遺伝子の歎語 原 子朗 390
0哩 岩崎則子 392
草むら はんだゆきこ 393
八重桜 松本知沙 394
献体 丸山 創 395
燃える夜 熊本市空襲 丸山真由美 396
束の間の大浜飛行場 丸山由美子 397
火炎忌 門田照子 398
門司市空襲被害 中原澄子 399
〝なぜ〟 野田寿子 402
ある夏 田中詮三 403
正直な話 Ⅰ・Ⅱ 岡山晴彦 404
幻の蝶/コッコーヌ ファ 飽浦 敏 406
思い出の海 河野洋子 408
デイゴの赤い花 山田朝子 409
雛あられ 絹川早苗 410
わたしにあるのは 三尾和子 411
大空襲―戦争をしない勇気 酒木裕次郎 412
水俣空襲 秋田高敏 414
避難 宮城松隆 416
八月の庭 柳生じゅん子 417
防空ずきん 草倉哲夫 418
犬と蝉 宮内洋子 420
ある日/精霊船 大塚欽一 422
哀しみが降り注ぐところ 楊原泰子 424
校門/サイレン 宇宿一成 427
大空襲 夜の光におもう 青柳俊哉 428
沖縄の勲章 角田 博 430
波の伽耶琴 崔 龍源 431
長崎の空に 龍 秀美 432
〈九章 海外/戦後〉
蘖 中 正敏 434
逃げる真実 長谷川龍生 436
空―新聞記者のうた 3― 黒木清次 438
火炎樹の下で くにさだきみ 439
自由の歩み エルネスト・ダキュイスト 440
爆撃弾痕地の空 ラム・ティ・マイ・ダ 441
立葵 大崎二郎 442
グラウンド・ゼロにて―Y・Jに 中川 敏 444
落日 中原道夫 445
あこがれ/非祷 今村冬三 446
いまを…… 長津功三良 448
メモリアルディ 伊藤眞理子 449
鬼灯 岸本マチ子 450
イチローと―プレーオフのころ空爆開始/鍋/思い出 麦 朝夫 452
爆弾穴 遠藤一夫 454
NYのこと 津田てるお 455
ファルージャ二〇〇五 御庄博実 456
二〇〇一年秋、公園 栗原澪子 457
砲撃の下を 久保田 穣 460
幻日/英霊 高田太郎 461
爆弾を落としているのは私だ 三田 洋 462
二枚の絵 山本 衞 463
静かな朝に目覚めて 中村 純 464
ガザ2009 尾内達也 466
春―イラクの少女シャミラに 柴田三吉 467
「―おおオメガ、 あの人の眼の紫の光線!」 有働 薫 468
イラク 真田かずこ 469
スーパーマーケット/頭上の空 山本聖子 470
裏庭 塚越祐佳 472
求む 大人 新井豊吉 473
私の焼け跡 李 承淳 474
九月(一)/九月(二)
杉谷昭人 476
侵略戦争を隠すものたちへ/国家病棟 佐相憲一 478
空母帰還 ゆきなかすみお 480
わたしたち生きのこったものは 大河原巌 481
二〇〇三年十二月六日―アフガン発 上野 都 482
川柳「花嫁に爆弾」 都月次郎 484
酷暑の中の七歳は 若山紀子 485
死者をして語らしめよ 田中俊廣 486
風の祈り 横田英子 487
悔悟 小川聖子 488
君はムンタダール・アルゼイディを知っているか 郡山 直 489
誰もやってこない 伊藤芳博 490
ガ ザ 小坂顕太郎 491
解説・編者あとがき
解説
1 非戦闘員への空襲を糾す 森 徳治 496
2 『大空襲・三一〇人詩集 』発刊に寄せて 黒羽英二 500
3 世界から空襲・空爆の連鎖を断ち切るために 鈴木比佐雄 506
編者あとがき
戦争の記録と抑止について 長津功三良 514
事実の開示こそ明日への道標となる 山本十四尾 515
世界平和に貢献するために 郡山 直 516
世界から空襲・空爆の連鎖を断ち切るために
鈴木 比佐雄
―この『大空襲三一〇人詩集』を世界中の空襲・空爆による死傷者と、水野広徳、石橋湛山、桐生悠々、宗左近、浜田知章、鳴海英吉、木島始たちに捧ぐ
1
アフリカの女性を起源とする遺伝子を持つといわれる人類は、なぜ戦争をし続けて殺し合うのか。それも手を汚さないようにその時代の最高の技術から最悪の兵器を使用して互いを殺しあうのか。二十世紀は科学技術の発達によって桁違いの大量殺戮が可能となった。その大量殺戮が国益の名の下に国家の指導者や軍人に委ねられて、他国の民衆に大きな悲劇をもたらし、今もその危うい選択に晒されている。殺戮は殺戮を呼び、報復の連鎖は二十一世紀まで続いている。空襲・空爆の歴史は、自転車屋だったライト兄弟が一九〇三年に初めての動力飛行機ライトマイヤー号で空中を十二秒間舞ってから、八年後の一九一一年にイタリアがトルコに空爆したことから始まる。イタリアは二隻の飛行船と二十八機の飛行機で爆撃した。それから四十数年で米国のB29エノラ・ゲイは広島に原爆を投下した。弟のオービル・ライトは原爆投下について自分の発明が利用されたと最期まで悔いていたと言われている。そして二〇〇九年の今もアフガンやパレスチナのガザ地区では空爆が続いている。この一〇〇年を超えようとする空襲・空爆の歴史をやめることは出来ないか。人類だけの問題でなく、地球の環境をこれ以上傷める余裕は無くなってきている。この詩選集は、空襲・空爆下の経験者たち・関係者・後世の者たちが空襲をどのような思いで感受し考えてきたか、その破壊の悲惨さを問い続けることを詩作によって明らかにしようとした試みだ。日本の詩人だけでなく、現時点で可能な限り世界の詩人たちの優れた詩篇を集め、二十一世紀にこれ以上空襲・空爆をさせないような世界にするために、その悲劇の意味を後世に残そうと企画編集したものである。 私が座右の書にしている家永三郎の『戦争責任』(一九八五年刊、岩波書店)の中で、特に心に刻まれている箇所は、元海軍大佐であった水野広徳の非戦論を詳しく論述しているところだ。日本が「統帥権の独立」を盾にして好戦的な政治家や軍部のなすがままにさせていたら、最終的に日米戦争が起きて、東京などの都市は空襲によって焼け野原になり、民衆は最悪の情況に陥ることを予見していた。水野広徳は、十五年戦争に入る二年前の一九二九年十一月八日の朝日新聞紙上で池崎忠孝著『米国怖るゝに足らず』の書評で米国を侮る者達を手厳しく批判した。日米が戦争をしたら、日本は必ずフィリッピンやグアムを占領し、米国艦隊はハワイに進出し緊張状態になる。そして先に手を出したほうが失敗するだろうと予測する。戦争が開始されれば東京とサンフランシスコの空爆が第一目標になる。そして持久戦となり最終的には経済力の差となり、「日本が三年五年の持久戦に耐へ得るや否やの問題である」と結論付ける。そして海上でも地上でも「最愛の人の児をふかのゑ食と堀の埋草とになしたに過ぎない」と予言する。実際の歴史は水野広徳の言ったとおり日本海軍の軍艦は海の藻屑と成り果て、東京の隅田川などは同胞の水漬く屍が溢れてしまったのだ。一九三一年の満州事変、一九三二年の上海事変の前に第一次世界大戦の総力戦のデータを踏まえて、このような冷静な論説を語り続けていた水野広徳のような軍事評論家がいたにも拘らず、陸軍・海軍、政治家たち・在野の言論人たちも冷静に耳を傾けなかったことが悲劇を大きくしたのだった。水野広徳の一九三二年に発行した『打開か破滅か 興亡の此一戦』はすぐに発売中止となり、「満州国」関係の部分を伏字にして同年十一月に何とか発売された。そこで米軍の東京大空襲の場面を次のように予告する。「火災は先づ市の東と南とに起つた。やがて北にも、西にも、火の手は三十ヶ所、五十ヶ所に及んだ。避難民雑踏の為めに消防ポンプも走れない。先ほどから吹き起つた南東の風は、火を見て益々猛り狂ふて居る。満天を焦がす猛炎、全都を包む烈火。物の焼ける音、人の叫ぶ声、建物の倒れる響。(中略)火災は二昼夜継続し、焼くべきものを焼き尽したる後、自然に消鎮した。跡は唯灰の町、焦土の町、死骸の町である。」このように水野広徳はシミュレーションしたが、歴史は予告したように現実のものとなったのだが、想像を超えた全国規模での空襲や原爆投下が実行されてしまったのだ。
また家永三郎は、一九二一年に『東洋経済新報』主筆の石橋湛山が記した「一切を棄つるの覚悟」を高く評価する。そこには日本が「大日本主義の幻想」にとらわれてこのまま破滅の道を歩くのではなく、満州・山東・中国から得たものをすべて捨て、また朝鮮・台湾には自由を許し、日本は世界に先駆けて自由主義を採り、道徳的地位を保つことを提唱している。また『信濃毎日新聞』主筆の桐生悠々は社説で東京大空襲を危惧する記事を十五年戦争勃発時に記している。その意味では、冷静な言論人たちは在野に存在していた。
私は高校時代に新聞の切抜きをしていたが、特に関心のあった記事は、家永三郎の歴史教科書裁判だった。一九七〇年七月に二次訴訟の一審判決が出て家永三郎が勝訴した時だった。「侵略、南京大虐殺、七三一部隊」などの記述を削除させようとする文部省に果敢に論争を挑んだ家永三郎は、私にとって真の歴史認識を守る信念の人であり「教育の自由」を守る英雄のように感じられていた。
「空襲で町は焼け野原だったんだよ」。私は生まれた東京下町の荒川区南千住が焼け野原だったことを祖父母から聞かされ育った。兵士だった父が中国大陸から戻った時に見た焼け野原の光景を語る驚きの口調は、子供心に生々しく心に残っている。百万人が焼け出され十万人が二時間半あまりで死亡した一九四五年三月十日、その前からも小さな空襲があり、さらにその後も何度も続いた大空襲の果てに南千住から浅草や上野までが見通せ、東京の大半が焼け野原になってしまった光景を想像することは、この世の終わりを想像させた。そこに暮らしていた人々はどのような運命を辿ったのか。浅草国際通りに並べられたあまたの死体から、生き残った者たちが家族や関係者を探し続けることはどんなに壮絶な修羅場だったろう。私は子供の頃に時々浅草まで隅田川に沿って歩いて遊びに行った。途中にある言問橋の袂の東京大空襲犠牲者の碑を通り過ぎる時に、いつもこの場所が最大の悲劇の場所で墓場のようなところであることを感じた。また死者に対する言い知れぬ後ろめたさのような思いがこの場所から押し寄せてきて、隅田川の川底からも死者たちの叫び声が聞こえるような思いにとらわれ、慰霊碑に一礼をしてそそくさと先を急いだものだった。日本が経済的にいかに繁栄しようが、戦時下に空襲によって亡くなった人々のことを忘れてしまうなら、また日本は大きな過ちを繰り返してしまうのではないかという思いは、いつのまにか私の原点になっていた。このような悲劇の原因はいったいどこにあったのだろうか。そして報復や憎しみの連鎖を二度と引き起こさないためにはどうしたらいいのかを微力ながら探ってきた。
二〇〇七年三月に『原爆詩一八一人集』の編集作業が開始した時に、編者の長津功三良、山本十四尾、私との三人の間では、かりにこの詩選集の評判が良い成果を得られたら、次には『大空襲詩集』を作ろうという合意があった。長津功三良は、終戦間際に米軍は一八〇もの都市に空爆を計画しその多くを実施したが、広島・長崎はそのうちの二つなので、他の空襲の詩篇も多くが存在し、まだ書かれていないがその時の体験を書き残したい詩人がきっとたくさんいるはずなので、それらを結集したいと語り、山本十四尾もまた、学童疎開の世代なので、空襲が弱い民衆をどんなに苦しめたかを記録し後世に残すべきだと語った。英語版翻訳者のリーダーだった郡山直は、米軍のイラク爆撃に反対し英語でその爆撃に反対する詩集を出しており、世界の詩人たちの空爆に反対する詩を集めたいとも語った。私もまた日本の加害者としての側面を明らかにするため、中国への空爆について書いている中国の詩人など海外の戦中の詩人たちを冒頭に収録すべきだと思い、またベトナム・アフガンの空爆や郡山直と同じようにイラクの空爆など戦後の海外の空襲をテーマにした海外の詩人も出来るだけ集めようと考えていたのだった。そのことついて「被爆していない詩人こそが原爆詩を書くべきだ」という「原爆詩運動」の提唱者でもある浜田知章は、よく空爆や戦略爆撃をやめさせなければ戦争は決して無くならないと語っていた。私たちの中で浜田知章の平和思想である「ヒロシマの哲学」を現実化する詩運動を実践すべきだという考えが大きく影響を与えていたのだった。計画通り八月六日の発行日で『原爆詩一八一人集』は七月半ばには書店にも配本されて、朝日新聞の天声人語をはじめ六十もの新聞・雑誌・ラジオ・BSテレビなどマスコミに紹介された。初版は一カ月半足らずでなくなり二版目を増刷することになった。またその年の十二月には四人の翻訳者(郡山直・水崎野里子・結城文・大山真善美)の協力を得て英語版も翻訳・刊行し、核保有国の駐日大使、国連の責任ある指導者たち、核兵器廃絶を実際に現実化しようとしている詩人・文学者の手元に届けたのだった。翌年の二〇〇八年には、宮沢賢治学会イーハトーブセンターから『原爆詩一八一人集』(日本語版・英語版)の三人の編者が「イーハトーブ賞奨励賞」を授与された。
そのような『原爆詩一八一人集』の成果を踏まえて、二〇〇八年八月に刊行された「コールサック」61号で『大空襲三一〇人詩集』は公募された。半年かけて今回の『三一〇人詩集』は集められた。何名かの詩人は複数の地域に参加しているので延べ人数で三一〇人となっている。「三一〇」とは、もちろん東京大空襲の三月十日を意味しているのだが、国内の空襲だけを取り上げて日本の被害者としての側面を強調しているのではない。後から触れるが、中国の重慶に日本軍が大規模な空爆を五年半も定期的に行ったことを日本人は決して忘れてはならない。ただ原爆以外の空襲で東京大空襲が二時間半あまりで最大の被害である十万人を出したこともあり、大空襲の象徴としてこのようなタイトルとしたのだった。
この詩選集は九章に分かれている。「一章 海外/戦中」で中国の都市への日本軍の空爆を記した詩から始まる。二章から八章は国内を七つの地域に分けて、詩に触れられている空襲の地域で分類されている。東京から始まっているのは、一九四二年の初めての「ドゥリットル空襲」があり、その後も一九四四年から始まる米軍の空襲は東京の住民を皆殺しにしようと史上最大の大空襲を実行しているからだ。九章は「海外/戦後」で、朝鮮戦争から現在も戦闘が続いているアフガン・イラク・パレスチナの空襲詩まで収録されている。次に各章の詩篇の概略を記しておきたい。その際に空爆の歴史に関しては前田哲男『戦略爆撃の思想 ゲルニカ、重慶、広島』(凱風社)から多くの史実を信頼できる資料として引用させていただくこととする。この本は一九八七年に『朝日ジャーナル』に連載されたものがベースになって単行本になり、二〇〇六年には最近の空爆の「9・11事件」「イラク戦争」にまで触れた新訂版が出た。私は浜田知章と親しくなった一九九〇年代にこの本の提起している「戦略爆撃の思想」についてよく話題にして、詩作においてもこの「戦略爆撃」を本格的に取り上げるべきだと話し合っていたのだ。
2
「海外/戦中」には、一九一一年にイタリアがトルコに爆撃したことから始まった空襲の歴史の中で、出来るだけ古い空襲詩を探したが、結果として中国の詩人阿 (アー ロン)が一九三七年十月に書いた「血の洗礼」(秋吉久紀夫訳)が最も古い詩だった。次に艾青(アイ チン)の「雪は中国の大地の上に降っていて」(秋吉久紀夫訳)が十二月に書かれているが、この中国民衆の日本や欧米列国から植民地化された苦悩や悲しみや不屈の精神を見事に汲み上げた詩篇は胸深くに届いてくる。日本は石原莞爾中佐が指揮した「満州事変」(九・一八事変)を一九三一年に引き起こし、同年十月八日に錦州爆撃をおこなった。奉天飛行場から発した一一機の日本製偵察機とフランス製の爆撃機で第一次大戦後に初めて都市爆撃が日本軍によって始まったのだ。また翌年の一九三二年一月の「上海事変」で日本軍は、上海沖三〇キロの海上に進出した空母「加賀」「鳳翔」と水上機母艦「能登呂」から六七機によって上海市街地を無差別爆撃した。その五年後の一九三七年には日本本土の長崎県大村基地から発した「新鋭・九六式陸上攻撃機」(略称 中攻)二〇機によって南京の飛行場周辺に爆弾を投下した。この南京「渡洋爆撃」の成功によって日本は中国で制空権を得て「戦略爆撃」の歴史を中国の民衆を踏みにじりながら切り拓いていってしまうのだ。この「戦略爆撃の思想」は一九二一年にイタリアのジュリオ・ドゥーエ陸軍少将が著書『制空権』によって唱えられたと言われている。その中で「鳥を抹殺したければ、飛んでいる鳥を撃ち落とすだけではたりない。卵と巣が残っている」と言い、交戦員と非交戦員を区別する概念は時代遅れで、今日の戦争は軍隊だけでなく国民全員の総力戦だと予告していた。また、真の攻撃対象は「都市、産業、鉄道、橋」なのだとドゥーエは主張し、一九三〇年代に日本、イタリア、ドイツに始まる都市爆撃を始めとして現実化されていった。イタリアは一九三五年五月にムッソリーニがエチオピア侵略を開始する。五十万人の兵力と三五〇機に達した戦闘機や爆撃機を投入し、「槍で武装し裸足のまま行進するエチオピア兵」を殺戮したと言われている。ドイツも一九三七年四月のスペイン内戦において、ゲルニカにおいて大規模な無差別爆撃をした。ゲルニカに関しては、浜田知章「磔刑図考」、南邦和「ゲルニカ」、浅井薫「ゲルニカ」の三篇が収録された。中国の詩人郭沫若は一九三八年の武漢空爆のころ詩「最も怯懦な者こそ残忍だ」を書いた。武漢が陥落した後に蒋介石をはじめ、抗日のために国共合体の高官たちは重慶を臨時の首都にするため移動する。重慶がその後の一九三八年二月から五年半も日本軍の爆撃が開始されるのだ。当初の爆撃は軍事施設や目標物からだったが、一九三九年五月三日と四日の爆撃は、武漢から九六式陸攻四五機が七八〇キロを飛んで、海軍の大西瀧次郎中将が中心になった歴史上初めて本格的な焼夷弾を使用した都市爆撃が実行された。この二日間で死傷者は六千人を超えたといわれ、四千人が亡くなってしまった。郭沫若は詩「惨目吟――惨状を目にうめく」で日本軍の歴史的な無差別爆撃を記録した。五年半の間に日本軍は重慶に二一八回も爆撃し、一万一八八九人を死亡させた。秋吉久紀夫は、詩「深夜の電話」で日中国交回復直前の一九七〇年代初めに重慶に入った時の無言電話から中国人が重慶爆撃を決して許していないことを伝えている。また村田正夫の詩「重慶」も、サッカー・アジアカップの重慶での試合で日本チームがブーイングされたことで空襲の深層を垣間見せている。この重慶爆撃が日本を世界から孤立させる決定的な要因になったし、後に東京大空襲の指揮をしたカーチス・ルメイ大将は、日本軍の重慶への都市爆撃やドイツのドレスデンやハンブルグにおこなった地域爆撃という無差別爆撃から学び、圧倒的な物量で日本の全ての都市を破壊する報復計画を準備していたのだ。
中国大陸での日本人の空爆で決して忘れてはいけない七三一部隊の細菌兵器の空爆を記している四人の詩人の詩篇も重要だ。木島始が戦後間もなく書いた長編詩「蚤の跳梁」は、七三一部隊の部隊長であった「かれ」(石井四郎陸軍中将)の戦争責任を日本人が決して忘れてはいけない重要な問題として初めて記した。鈴木文子の詩「ねずみの行方」は、地元に隣接する埼玉県の多くの農家が七三一部隊の実験で使用するねずみの飼育をしていたことから、ねずみから蚤へとペスト菌が移されて細菌兵器になっていったことで、七三一部隊と自分たちも無縁ではないことを提起している。尾花仙朔は広島・長崎の死者たち、七三一部隊が人体実験をした捕虜三千人の死者たちなどを踏まえて、日本・米国など世界の国々が陥った大量虐殺を肯定してしまう狂気性を、仏陀・キリスト・イスラムなどの宗教や哲学と対峙させながら、人間に果たして真の精神性があるのかを鋭く読む者に問うている。山本倫子は、満州で兵士だった夫が中国で七三一部隊の投下しただろうペスト菌に罹って熱湯を飲むことによって生還したことを、夫の世代の貴重な証言として書き記した。これらの日本軍の戦争責任を少数の詩人たちは誠実に直視しようとしてきたのだ。
森田進の詩「空襲警報は解除されていない」は、東京大空襲を目撃した朝鮮から留学した若者の視線で語られていて、日本人が歴史の真実を直視なければ、「空襲警報」は永遠に解除されないというアジアの他者の眼差しだ。高炯烈の『長詩 リトルボーイ』は、朝鮮人被爆者の視線で日本・米国という二つの国の加害者たちへ、最も被害を被ったのは誰かを問い続けている。
日本の加害者としての面としては、米国への真珠湾攻撃と風船爆弾の詩篇がある。真珠湾の詩篇は新川和江の「真珠湾の水」、池田錬二の「六十二年前の今日」と水崎野里子「真珠湾攻撃」を、また風船爆弾の詩篇は池田久子「日本の抒情」、川内久栄「いまだに出走する」「唯一の成果」、武藤ゆかり「紙風船」と大崎二郎「紙漉きのわらい(一)を収録した。米国を震撼させ、結果として想像を絶する報復を可能とさせた原因であったこれらの行為の意味を深く受け止めねばならないだろう。
また久宗睦子の「北回帰線」と真辺博章の「台東の海」は台湾での空襲の詩であり、弓田弓子の「生態」と入江昭三「贄の貌」は大連・満州での空爆の詩篇だった。また宗美津子の「人が火の中に消えた」五篇は、一九四五年八月二十二日にソ連軍から空爆されたことを記した歴史的にも貴重な詩篇だ。
海外の詩篇では、ロンドン空襲を記した英国人ディラン・トマスとイーデス・シットウェル、ドレスデン空襲を記したハインツ・チェホフスキー、フォルカー・ブラウン、ドゥアス・グリューンバインとシュトゥットガルト空襲を記したマリア・キスナーがいる。英国とドイツ報復の連鎖が詩人たちによって残されている。米国の詩人たちは四名が収録されているが、広島・長崎を自己の内面の問題であり、人類の課せられた原罪のように被爆者たちへの深い同情心が秘められていることが読み取れる。ウイリアム・スタフォード、ジェームズ・カーカップは第二次世界大戦中は良心的兵役拒否者だった。現役のテレシンカ・ペレイラは五篇、ディヴィッド・クリーガーは篇を寄稿してくれるほど、広島・長崎について自己の重要なテーマとして実践している詩人たちだ。原爆詩・空襲詩がグローバルな詩の重要なテーマになっていることを改めて確認させられる。
3
「二章 東京」は、当初は「三章 関東」と一緒にしていたが、両方合わすと八〇篇以上もあり、東京大空襲に関する詩と関東の他の空襲詩などの二つに分けて編集した。戦後詩の代表作と誰もが認める宗左近の長編詩「炎える母」から始まり、五十数名の詩篇が収録された。宗左近の「縄文塾」に通っていた私は、目の前で母を焼き殺されてしまい、生涯そのことを背負って詩作を続けている宗左近の反戦思想の底知れぬエネルギーを感じていた。次に浜田知章の「東京下町・薤露行」では、東京大空襲の最大の悲劇の場所である言問橋で死んだ一人の少女のレクイエムである。菊田守の「太白」は、本格的に東京大空襲が始まる前の一九四四年十一月二十四日に東京郊外の中島飛行機武蔵野工場爆撃に向うB29が気まぐれに落とした爆弾によって死亡した近くの子供の死を悼んだ詩だ。福田律郎の長編詩「風」は、恋人を探しに焼け跡に向かい、そこで見た凄まじい光景を描写し、指をもぎとられ火傷を負った「マキコ」への深い愛情を感じさせる詩だ。田中清光「東京大空襲(短縮版)」、斎藤庸一「明けがたの烽火台」、鈴木満「火天」、小森香子「良子ちゃん」など実際の空襲体験者たちがリアリティと心情を込めて書き残している。また体験していないが、家族から聞いたことなどで戦後生まれの詩人たちも挑戦して参加してくれている。
「三章 関東」は、婚約者を亡くした鳴海英吉の横浜大空襲の詩「焼き殺されたふさ子」「五月に死んだ ふさ子のために」から始まる。平塚空襲、水戸空襲、宇都宮空襲、前橋空襲、千葉空襲、熊谷空襲など三十四名の詩篇が収録された。
「四章 北海道・東北」は、高村光太郎の詩「非常の時」など十九人の詩篇が収録。「五章 中部」は石川逸子の詩「真紅の服で」など十九名の詩篇が収録。「六章 関西」はたかとう匡子の詩「ヨシコ」など二十四名の詩篇が収録。「七章 中国・四国」は小野十三郎の詩「ひかり」など四十一名が収録。「八章 九州・沖縄」は四十名の詩篇を収録。「九章 海外/戦後」は四十四名の詩篇が収録。
三百十名の詩篇を詳細に論じたい思いがあるが、スペースが限られているので触れられないのが残念だ。今進行中の世界の空襲・空爆に対して、日本の詩人たちは果敢に挑戦している。その志の高さに私はこれからの詩作の希望を垣間見る思いがした。戦前・戦中の日本人の不幸な過ちを反省して日本は戦後生まれ変わったと誇るためには、日本が空襲・空爆に対して加害者でありながら最大の空襲・空爆の被害者を抱えていた国であったことを双方から世界に発信すべきだと編者たちは考えている。日本をはじめ世界の空襲・空爆を真剣に無くしたいと考えている人々にこの詩集を読んでもらいたい。そして、アメリカの先制攻撃論などが反面教師として愚かな選択であったと見なされる空襲・空爆のない世界を一日も早く人類が目指し築いていくことを祈念する。最後に、この一〇〇年の間に空爆・空襲で悲惨な死を遂げられた世界中の被災者達のご冥福を心から祈り、この詩選集を捧げたい。
「海外/戦中」「東京」「関東」「北海道・東北」「中部」「関西」「中国・四国」「九州・沖縄」「海外/戦後」9つの章から構成される『大空襲三一〇人詩集』。
中でも最大の頁数を占めるのが「東京」である。「東京大空襲」に関する詩篇の多さが、いかに人々の記憶にあの「3月10日」が深く残っているかを表している。
本書刊行の特集第一弾として「東京」における詩篇をいくつか紹介したい。
もちろん本書には前述の章立てのように、東京以外の空襲詩も数多く掲載している。今後の特集でそれらにも触れていきたいと思う。
走っている その夜14 (『炎える母』より)
宗 左近
走っている
火の海のなかに炎の一本道が
突堤のようにのめりでて
走っている
その一本道の炎のうえを
赤い釘みたいなわたしが
走っている
走っている
一本道の炎が
走っているから走っている
走りやまないから走っている
わたしが
走っているから走りやまないでいる
走っている
とまっていられないから走っている
わたしの走るしたを
わたしの走るさきを
焼きながら
燃やしながら
走っているものが走っている
走っている走っている
走っているものを追いぬいて
走っているものを突きぬけて
走っているものが走っている
走っている
走って
いないものは
いない
走っていないものは
走っていない
走っているものは
走って
走って
走って
いるものが
走っていない
いない
走って
いたものが
走っていない
いない
いるものが
いない
母よ
いない
母がいない
走っている走っていた走っている
母がいない
母よ
走っている
わたし
母よ
走っている
わたしは
走っている
走っていないで
いることができない
ずるずるずるずる
ずるずるずる
すりぬけてずりおちてすべりさって
いったものは
あれは
あれは
すりぬけることからすりぬけて
ずりおちることからずりおちて
すべりさることからすべりさって
いったあの熱いものは
ぬるぬるとぬるぬるとひたすらぬるぬるとしていた
あれは
わたしの掌のなかの母の掌なのか
母の掌のなかのわたしの掌なのか
走っている
あれは
なにものなのか
なにものの掌のなかのなにものなのか
走っている
ふりむいている
走っている
ふりむいている
走っている
たたらをふんでいる
赤い鉄板の上で跳ねている
跳ねながらうしろをふりかえっている
母よ
あなたは
炎の一本道の上
つっぷして倒れている
夏蜜柑のような顔を
もちあげてくる
枯れた夏蜜柑の枝のような右手を
かざしてくる
その右手をわたしへむかって
押しだしてくる
突きだしてくる
わたしよ
わたしは赤い鉄板の上で跳ねている
一本の赤い釘となって跳ねている
跳ねながらすでに
走っている
跳ねている走っている
走っている跳ねている
一本道の炎の上
母よ
あなたは
つっぷして倒れている
夏蜜柑のような顔を
炎えている
枯れた夏蜜柑の枝のような右手を
炎えている
もはや
炎えている
炎の一本道
走っている
とまっていられないから走っている
跳ねている走っている跳ねている
わたしの走るしたを
わたしの走るさきを
燃やしながら
焼きながら
走っているものが走っている
走っている跳ねている
走っているものを突きぬけて
走っているものを追いぬいて
走っているものが走っている
走っている
母よ
走っている
母よ
炎えている一本道
母よ
東京大空襲(短縮稿) ―少年時の親友Kに
田中清光
きみは姿を消した きみといっしょに
見慣れた帽子も 革靴も 姿を消した
下町の肉屋の看板 ショーケース コロッケを揚げた鍋 秤
古い柱時計 煤だらけの窓ガラス カーテン
小さな机 そこにあったコップ 壜
きみの書棚の少年倶楽部 週刊少国民 山中峯太郎『亜細 亜の曙』
引出しに秘匿されていたビー玉 力士めんこ べえごま
鞄も 教科書 ノオト 剣道具
なにもかもが姿を消した
きみの家 そばにあった電柱 隣の家 そのまた隣の家
並べてあった防火用の火たたき 筵 鳶口
たいして役には立たなかった防火用水槽の水 ぼうふら
路地裏の植木鉢 縁台
ドアも 閂も 鍵も ごみ箱も
町並みといっしょに 姿を消した
ひそひそ話も 子供の歓声も 生活の物音も 猫の啼声 も
ばったり途絶え
奇妙にしんとした燒跡に
髪や肉を燒いた 異臭が漂った
学校も 文房具店も 八百屋も 洋品店も 警察署も 姿を消し
灰 煙 燒屍体だけが取り残され
焦げたトタン ぼろぼろの電線が 北風に吹かれていた
白い便器の残骸のみ異様に光り
お寺も 鼠も 平凡な生活も姿を消し
本所も 東京下町の風情ことごとく姿を消し
川水までが燒けて臭く
地上の果ての天までが 姿を消した
一夜に 十万人が姿を消した
すべての死者には 横たわる土地もなく
見まもる家族もなく
瓦礫の中 溝の中 泥の川に 打ち捨てられ
母は子を抱いて 子供は親を求めて 夫婦引き裂かれ
黒焦げのまま 打ち捨てられた
腕と腕とを絡め 腕や脚を捩がれ 鼻も耳も唇も熱に熔 けてしまって
廃物のように打ち捨てられた
生の国が姿を消し
天国も 楽園も
空も 花花も 三輪車も 公園も 姿を消した
ただ 燒跡ばかり 灰ばかりが臭い
きみはおそらく見ただろう 燃えるきみの町を きみの 両親を
狂暴な炎につつまれ
さいごの目で 燃えさかる きみの愛していたすべての 物 すべての人を
道を這いまわり 川面をすら舐めつくす炎のなかで
逃げ場を失って
きみは見たにちがいない
地獄を 本物の地獄
いちめん火の粉を噴き上げる地上 燒け焦げる空
つぎつぎに人間が炎に呑みこまれてゆく焦熱地獄を
それきりきみは炎と化した きみといっしょに
ぼくたちの愚かな学習 無智も燒かれた
そのとき ぼくも逃げ出していたのだよ
ナパーム燒夷弾の雨が降りそそぐ千住の町を
火災また火災が 壁のようにつらなり
風を巻き起こして押し寄せてくる狭い道を
唯一つの逃げみち 隅田川べりの広場へ
そこをめがけて 地の底から湧き出したような多勢の人 間の群れが
つめかけた
その夜 命からがら広場に逃げこんだ
夥しい人数が声もなく震えていたのは
恐怖と寒さと
炎のなかでごうごうと唸りながら燒かれてゆく
町並み 家家の屋根 柱 窓 障子 板塀
目のとどく限りのすべてを燒きつくす炎の
あまりのとめどなさ
人間か悪魔か
狂気の業の 際限もない狂乱に胆を奪われたためだ
ちょうどそのころ
とめどなく膨れる炎の壁の向う側で
きみは燒き殺されていたのだ
(この間118行短縮)
さいごの日まで
混沌である現世でこの作業をつづけ
詩もたたかい死なねばならぬ
ぼくの身体から歩きだしてゆく
骨があり
きみは土を皮膚にして
民族の虚空を映している
〈永遠〉の靴を履けぬきみのめぐり
うずたかく歳月の積もるなかで
草木がものいうのは
見えている瞬間に対してだけではない
われら人間の終りない悲歌とも問答をつづける
空襲下の『風と共に去りぬ』
大掛史子
北軍に奪われる前にと
南軍が自ら火を放った弾薬庫
間一髪 よろよろと市街地をすり抜け
爆発炎上するアトランタを後にしたのは
レッド・バトラーの御するおんぼろ馬車
「馬車を奪おうとする奴がいたら構わずぶっ放せ!」
拳銃を渡されたスカーレット
産褥のメラニーと誕まれたばかりの赤ん坊
黒人の少女召使プリシーを乗せて
昭和十九年秋 銀座のビルの地下室で
密かに上映された『風と共に去りぬ』
現実の空襲と重なる名シーンに固唾を呑むのは
映画評論家、作家など物書き数人
度肝を抜く鮮麗な映像は初めて観る総天然色
敵性語の英語が懐かしい音楽のように耳を撫で
アカデミー賞をほぼ総嘗めにしたこの映画の
ヴィヴィアン・リーもクラーク・ゲーブルも
黒人で初めてオスカーを手にした
マミー役のハティ・マクダニエルも
空襲警報のサイレンを閑かな合図に変えてしまった
戦時下敵国アメリカのこの映画を多くの人が確かに観た
小津安二郎や徳川夢声はシンガポールで
軍関係者は上海やマニラで
さらに軍によってフィルムは東京へ空輸
女子挺身隊の少女たちは軍設定の試写室で
学生だった江崎玲於奈氏は東大工学部の上映会で *1
淀川長治、内村直也、荻昌弘、古川眞治、戸板康二など
文人たちは銀座のビルの地下室で *2
そして観終わった誰もが嘆息と共に同じ言葉を吐いた
「こんな凄い映画を作る国と戦って勝つわけがない!」
内密の上映会がまだ可能だった年の暮から
東京は雪崩うって連日の空襲に晒され
翌年三月十日の未曾有の大空襲を頂点に
焼かれ壊され殺されつづける
二つの原爆投下を許して戦争が終わったとき
空襲下の『風と共に去りぬ』を共有した人々は
スカーレットの最後の台詞を呟いてみるのだった
〝After all, tomorrow is another day.〟
*1 二〇〇七年一月十日日経新聞「私の履歴書」
*2 一九四四年十月一日古川眞治の日記
いろはにほへとちりぬる
増岡敏和
見るともなく見ていたら、ふいに心がテレビの画面に貼りついた。東京大空襲の時の話である。卒業式を母校でおこなうために、群馬の疎開先から帰ってきたある小学校の生徒たちが、校舎もろとも全滅した話だ。この頃この国には全滅する話が多すぎた。
病気で子どもたちについて帰れず、山里にとり残されたため戦災死をまぬがれた教師が、四十五年後、子どもたちの埋もれた学校跡を訪れる。子どもたちの数ほどの千羽鶴を折って。垂れたこうべを上げると校舎がむかしのまま建っている。おもむろに教師は吸い込まれていき、六年二組と表札のある教室の戸を開けて入ると、夜である。暗闇の片隅にオルガンが浮き上がっている。そのまわりをさらに濃い影をつくって、子どもたちが立っている……。
千羽鶴を誰も胸にもっておる、約束のように。オルガンがひとりでに鳴りはじめる。子どもたちの澄んだ目に引き寄せられ、教師はすすみでる。うながされて静かに千羽鶴を天井に翳す。子どもたちも倣う。一瞬、子どもたちの鶴は喪った未来の夢のように金色に輝く。だが教師の鶴は鈍色のままである。大きくなったら戦場に行くことを説いた心のように。
そこから先は、私が教師になっている。鈍色の鶴を床に放って、私はなにか声を挙げたが、空気は微動だにしない。私はそうしなければならないようにライターをとりだし、自分の鶴に火を放ち、それを胸にあてる。五体が木のように燃え上がる。子どもたちがどっと寄ってきて、私の名を呼ぶ。私は一人の少女を掻き抱く。その子はその後に広島で原爆死した妹に似ている。四十五年間が一気に飛んで、私たちの上をB29の爆音が轟く。たちまち地を奔る阿鼻叫喚が。火衾のように私はどっと倒れる。
こうして私も一九四五年三月十日に全滅した一人になる。やがて校庭は乾いた朝に戻るが、すでに校舎もなく誰もいない。整地された空地がひろがっている。戦災死者は運命のようにそこに埋まったままだ。まわりの軒下には日の丸の旗さへ掲げられている。風が出る。砂塵を巻いて立つのは、あの子どもたちのいまも繰り返す全滅の唄である。聞くがよい。いろはにほへとちりぬるを、君が代に追われしわが世は常ならず浅き夢見てここに滅びぬ……。
三月十日 三ノ輪の町で
浅見洋子
一九四五年三月十日 未明
江東 墨田 台東 と
下町住民を
猛火に 閉じ込め
東京の三分の一を 焼いた
東京大空襲
小学校一年生の マサヒロは
家族とともに
三ノ輪の町で
東京大空襲に みまわれた
「今夜は ひどいのが来るぞ!
防空壕なんかじゃ
やられちますぞ!」 と
九日 旋盤工の 父は
仕事あがりに 言った
たえまなくなる
空襲警報の サイレン
サーチライトが 夜空を
縦横に てらす
B29の 大きな 機体が
つぎからつぎへと とんでくる
シュルシュル シュルシュル
焼夷爆弾が
雨のように 降り落ちるなか
ドカーン ズズズーン
爆弾が 落ちるなか
母は 二歳になった 次男を
おぶい 五歳の 三女の手を
右手に握り 左手には
長男マサヒロの手を ひいて
家が 人が 燃えるなか
炎と熱風に 追われながら
人波におされ
逃げまわり 走りまわった
十日未明の
風速三十メートルの 強風は
炎と熱風を 狂気に
かりたてていた
おひつを抱え 飛び出した
長女の 姿が ない
みんなを 守っていてくれた
父の 姿が ない
お舅さんは と
立ちすくんだ しゅんかん
「おトリ いいか!
焼け跡に にげろ!」
たしかに
父の 声がした
母は 幼子の 手を
強く 握りしめた
「いいかい マサヒロ
ユキオを 見てとくれ!
やけどをしないように
火の粉が 飛んできたら
母ちゃんに 教えとくれ!
いいかい!」
「わかった 母ちゃん!」
「ヨシコ なくな!
ユキオを 見てろ!
兄ちゃんが おまえを
守ってやるから!
火の粉が 飛んできたら
兄ちゃんに言え!」
「わかったよ! 母ちゃん!」
母ちゃんと いっしょに
弟と妹を 守るんだ と
マサヒロは 母ちゃんの手を
ぎゅっと 握りかえした
常磐線と 汐留の引込み線の
まくら木が 燃え
親子ガードは 大きな火の手を
あげていた
土手に あがった 人たちを
火の粉が おそう
衣服についた 火が
人を 焼く
二月二十五日の 空襲で
常磐線の 反対側
南千住二丁目一帯は
焼け野原と なっていた
親子ガードを ぬければ
二丁目の 焼け跡が……
たしかに 聞こえた
父の声を たよりに
母と 泣くことを忘れた
子どもたち 三人
まくら木が 人が 燃えるなか
ガード下を
焼け跡 めざし
いっしんふらんに 走りきった
マサヒロが 通った
第二瑞光小学校の 青柳は
真っ黒にこげ 炭になって
校庭に 立っていた
あたり一面 黒く焼けこげた
がれきの 死人の 山
こげた臭いが 鼻をつく
目がしみる 喉が痛い
気がつくと 三ノ輪の町が
黒く炭に なっていた
この夜の 惨事は
少年マサヒロに どう
関わったのだろうか……
彼は 半生を 酒に逃げ
酒に おぼれた
彼は 孤独にさいなまれ
じれていた
彼は 昭和五十六年十二月
四十六歳の 生涯を閉じた
あの夜の惨事が 東京大空襲が
彼の人生から 何を
うばっていたのだろうかと……


