「コールサック」日本・韓国・アジア・世界の詩人

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中村 純 (なかむら じゅん)

<経歴>


1970年、東京生まれ、京都市在住。

詩集『草の家』『海の家族』『はだかんぼ』。エッセイ集『いのちの源流~愛し続ける者たちへ~』

日本現代詩人会、日本詩人クラブ、詩人会議、「いのちの籠」、各会員。





<詩作品>



愛し続ける者たちへ       
 


粘着テープで締め切った ワンルームマンションの一室
大阪の夏 裸で死んでいた一歳と三歳の姉弟


あなたたちは
水と食べ物を探して冷蔵庫を何度もあけたのでしょう
「ママ」と何度も叫びながら
暑さに自分たちで裸になったのでしょう
人々のひしめく都会で
無援のまま 自分たちで生きようとした


そのときドアをあければ
あなたたちはきっと「ママ」と飛びついたのでしょう
ずっとずっとずっとずっと待って待って待って待って


今でもあなたたちはママを待っている
あなたたちが愛し続けたママは遅すぎた
あなたたちのやわらかな頰が茶色く干からびて
体から白い骨がのぞいても
それでもママだけを待っていたのに


やわらかな頰は 水と食べ物と愛情を与えなければ



すぐにその弾力を失ってしまう
愛し続けてあげなければ 生きられない
やわらかな いとおしい うたがいのない いのち


愛し続けたのは むしろあなたたちでした
あなたたちには ママしかいなかったから
信じて待って 愛して 何度も許して
抗議することばさえ知らなかったであろう あなたたち 


幼い者たちの声が聴こえない社会を 大人たちを
許してくれとは決して言わない
喜びも悲しみも期待も不安もわかるようになっていた
あなたたち
生き延びることのできなかった地獄と飢えと灼熱
許してくれとは決して言わない










らせん           


トウキョウを離れる最後の夜
父母の家の方に私は歩いていました
病がちになった父母が 日々をかこちながら
コンクリートの壁の中に 閉ざされている
外見はとても瀟洒な大きな家です


私は自分が老いているのか 少女なのかわからぬまま
ひとり 子どもの頃に帰っていった家に
出ていきたくて仕方なかった家に向かうのですが
それは未来なのか 過去なのか 
父母の家の玄関と赤いスポーツカーが見えてきたところで 
あの黄色い 放射線管理区域を示す表示で足止めをされるので す
私の線量計が大きな音をたてます


そこに 私の父母は暮らしているのです
大きなテレビを見て 
放射線管理区域の意味もわからぬまま
ここを出ようと私は言うのですが
もう年寄だからいいよ 
一生懸命働いて建てたこの家にいたいんだよ
そういって父母は座ったきりなのです


真夜中 目が覚めると泣いていました
わたしは今どこにいるのでしょうか
引っ越し荷物の片付いた都心の空っぽのマンションで
子どもを迎えたこの部屋で らせんの向こうの 
過去なのか未来なのかわからぬ場所に 父母を置き去りにして
幼い子どものやわらかな手をひいて 
どこに行くというのでしょうか


ホットスポットと呼ばれる地域に挟まれた父母の家は
高度成長とともに働いた私の親の世代の消費と欲望の姿です


幼い子どもを連れてきた私の西の家は
昭和の質素な佇まいの 路地中の旧い木造の小さな貸家です
父母が若く 私が産まれたころ住んでいたトウキョウの貸家は
きっとこんなふうに 隙間だらけで 
お向かいの生活の音も ささやかな喜びも諍いも
子どもの泣き声も足音も筒抜けの つつましい家だったと


息子を連れて帰れない家の代わりに
私はどこからはじめようというのでしょうか
私たちの父母は間違えていましたか
日本の戦後は間違えていましたか
貧しくはじめた私たちの父母の懸命な生活は
私が遊んだ関東平野の背高泡立ち草の黄色い草地に
見えない毒をまき散らし
子どもを連れた母親たちは見えない毒を恐れ 
草地にしゃがみこもうとする子どもたちの手を引いて 
足早に立ち去ります


私たちに見えるものと
私たちの親の世代に見えないものは
私たちを遠く複雑にらせんの向こうに隔てます
親の世代が私たちを責めようとも
私たちの子どもたちが土や草に触れることができなくなっても
私たちは 親を責めることはできず
子どもたちのやわらかな頰に吹く風を恐れながら
らせんの向こうに歩いていこうとしています


茫々と拡がった関東平野の 
黄色い背高泡立ち草と 薄桃色のコスモスの群生する草地が
高度成長によって理路整然と美しく宅地化され
黄色い記号のついた立ち入り禁止のエリアになったのです


私たちは強姦された女の
あの鉛のような悲しみと怒りを 重い沈黙に抱きながら
深い乖離の中で 声をたてずに泣き続けます
トウキョウの人間は悲しむことを まだ許されてはいません
だから私たちの哀しみは 
亀裂の走った傷口から鮮血が流れるように
人に見えない赤い涙を無意識に流しながら
時空を超えた らせんの向こうを彷徨っているのです








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「コールサック」(石炭袋)117号 2024年3月1日

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